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​炬火 Die Fackel 

更新日:2025年4月9日

 元弁護士の山添拓議員が国会で追及していた。

 かつて治安維持法に基づいて弾圧された人に対して、政府は今も居直っていることを。正式に成立した法律に基いて適法に処刑されたのだから国は悪くないと言い続けるのは非人道的であると。

 これはドイツも同じだ。ナチス政権下での弾圧は適法に行われたというのが公式見解である。



 このことは『白バラ』の映画にあった。

 ナチス政権下で政府を批判するビラを配布した大学生グループを全員死刑にした事実を映画化したドイツ映画『白バラは死なず』の最後で。この見解が批判的に引用されていた。

 この映画でも、後に発見された資料も考証に加えて再映画化された『白バラの祈り』でも、裁判官の異常な対応が描かれている。いくら適法でも、法律が悪いとしても、裁判官が政権に媚びず公正であれば、あそこまで酷いことにはならない。


 イーロンマスクが、悪い評価の裁判官を毎年1%解雇すべきと主張した。

 この評価とは、どのようにするべきかで問題になる。だいたい、デタラメな訴訟指揮と判決ばかり繰り返している裁判は、そうすることによって権力に媚びているのだから、これをいくら評判が悪くても解雇することは難しい。

 逆に、喩えばジョングリシャムの『ペリカン文書』のように、環境破壊で大儲けを企む企業及びそのお零れに預かりたい田舎者たちが、開発差し止め請求訴訟で邪魔になる裁判官を排除したい、というようなことが起きるだろう。

 しかし客観的に評価できることはあるので、これを公正に行えば、悪い裁判官を追放することは可能だ。


 東京高裁の三角比呂裁判官など代表的だ。

 法廷で平然と嘘をつく、訴訟の内容と判決の内容が全然違っている、いちいち荒唐無稽や支離滅裂である、などなど。これに裁判の当時者はもちろん、普段は裁判官の批判は控えている弁護士まで、三角比呂は無茶苦茶なことを平気でやらかしていると言っているほどだ。

 こうすることで順調に昇進している裁判官が司法を牛耳っているから、検察官は捏造で冤罪を作ってばかりいるし、どうせ無駄だとやる気を無くしている弁護士ばかりになる。そして真面目な人は法曹を志望しなくなり、優秀な人材が集まらず、日本の司法は無能な人ばかりと何十年も前から言われてきたのだ。

 

 だからイーロンマスクの言う通り三角比呂裁判官を解雇すべきである。 

 


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年4月8日
  • 読了時間: 2分

 学術会議に官邸が介入した事実が明らかになった。

 これは前に言われてきたことが更に具体的に報道じられたのだ。それによると、意に添わなそうな六名を排除するよう働きかけたという。安倍内閣から露骨になったということだ。そもそも学術会議は、戦争への反省から発足したものだった。

 これを否定する意図だった。


 かつて中曾根内閣の時。

 中曾根康弘首相は、自分の意に沿わない報道に対して反論するのではなく、また純粋に自分の意見として言うのではなく「偏向していると学者が言ってきたから同感だと言った」と談話した。

 どうせ、当時のことだから、「学者」といっても統一協会と癒着していることで首相と同類項の渡部昇一上智大学教授あたりだろうと言われていた。テレビでも同席していた。


 これに朝日新聞の筑紫哲也記者が反論した。

 かつて無謀な戦争を起こして国が破滅的な惨禍となったが、なんでこんなことになったのか。それは、そんな戦争が正しいと強弁したからで、この時も学者が動員された。

 これは、かなり勇気の要る反論であった。そして痛快であると称賛された。

 ところが週刊文春が中曾根内閣側に立って朝日新聞と筑紫哲也を攻撃した。ここで起用されたのは、先日死んだ元サンケイ新聞の御用マスコミ人でフジサンケイに飼われていた俵孝太郎であった。この反論は別の関係ないことを持ち出して筑紫哲也を非難するという幼稚なものだったから、呆れたという記事が別の雑誌に掲載されていた。

 すると文春がやってきたことを、文春がやられるようになった。



 今では古市憲寿という人が週刊文春を攻撃している。

 このタレント学者というより学者ふうタレントは「週刊文春は廃刊すべき」と、御用の立場から言っている。85年産まれと言っているので、ちょうど中曾根内閣の時である。物事がついてないに決まっている。だから御用の連中がテレビで醜態さらしていることに実感がない。それで恥を恥とも思わない言動なのだ。


 今では「文春砲」といわれるスクープを売りにしている。

 かつては時の権力に媚びる商売をしていて、中曾根内閣の当時は例の渡部昇一上智大学教授を盛んに起用していたのに。それも渡部が統一協会との密接な関係を隠さなくなったので、文春としては距離を置いたようだった。

 なんとも滑稽な輪廻である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年4月7日
  • 読了時間: 2分

 山下達郎の一連の発言はさらに批判を招いている。

 もとはジャニーズ事務所の、所属アイドルに対する性暴力の問題だった。山下達郎は商売の取引があるので無関心を装うならともかく擁護する発言をしていた。その態度が批判されると、文句があるなら自分の音楽を聴いてもらわなくて結構だと居直っていた。

 さらに「解って頂こうとも思いません」と、陰気で卑屈な談話を発した。



 それにしてはプロモーションやタイアップには熱心である。

 なんで解ってもらう気が無いのに他人への訴求は熱心なのか。言行不一致だという批判をする人もいる。

 でも、これは販売促進であるから、共感を求めているのとは違う。山下達郎がプロモーションやタイアップに熱心なのは売るためであり、このためジャニーズ事務所のことも擁護する。人権より金儲けが大事というのは褒められたものではないが、そんな態度の人は珍しくない。しかし山下達郎は露骨である。


 それなら山下達郎の作る音楽は創作物とは違うということになる。

 これは、すぎやまこういち及び弟子の筒美京平と同じだ。商品としての営業してこその物。だから創作物のように共感される必要は無いし、それ相当の販売をしないと売れない。売れなくても価値のある創作物はいくらでもあるが、創作物でないからには商品だけで存在しても意味がない。

 だから山下達郎は、解ってもらおうと思わないけれど売れるようにはしたいという意味で、一見は言行不一致と思える一連の発言をしたのだ。

 
 
 
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