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​炬火 Die Fackel 

更新日:3月16日

 学校で教師に呼び出される。

 というと不祥事のようだが、そうではなく教師が顧問をしている部活に入れと勧誘されたことが、高校のころにあった。

 このとき同じ姓の人が同じ組にいて、そいつが間違えて呼び出され、同じ組に同じ姓の男子がいないかと問われ、いると答えたら呼んでくれと頼まれたらしい。それで迷惑そうに伝言をされたのだった。そういう事情もあったから出向いた。

 

 その教師が顧問をしている音楽部に入れと言われた。

 なぜなら、聞くところによると部活をやってないそうだから、とのこと。確かに、その当時ある運動部を同級生たちと険悪になって退部していた。先輩は親切だったのだが、同級生たちには嫌な奴が多かったのだ。

 ただ、そういう生徒はいくらでもいた。その部でも喧嘩のため大量の退部者が出ていた。それなのになんで自分をわざわざ呼び出して勧誘するのか。それは音楽の成績が、その教師が担当している全校生徒の中でダントツで優秀だったからだ。もちろん普通科だったからで、これが音楽科とか音大付属とかだったら大したことない。

 

 この部には入学当初に気になっていた女子がいた。

 その時だったら入部したかもしれない。しかし既に他の女子に目移りしていた。だから断った。しょせん高校の部活なんてその程度のことである。

 その教師の水準から魅力が感じられなかったこともあった。このことは彼が卒業している音楽大学の名前を出せば納得する人が多いはずだ。この人の受験指導では東京藝術大学音楽学部には絶対に合格しないと保証を付けてもいい。

 


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 別の運動部に同級生が入っていた。

 この生徒は、やはり顧問の教師から熱心に奨めらたというより強引に入部させられた。大学進学は絶対に推薦入学させると保証されてのことだった。

 しかし三年後、推薦入学を断った。大学に行ってまでやりたいと思わないし、そこまでの資質というか才能というかが自分には無いと判断したそうだ。こうして推薦入学を断ったため彼は二浪もする羽目になった。森もと首相のようにスポーツ推薦入学してサッサと退部してしまうような調子の良さが、その同級生には無かったのだ。

 

 あと、自分と険悪になった連中は、その後に大体が退部していた。

 それくらい雰囲気が悪かった。これは学年主任の教師も問題だったと言っていた。そいつらが出ていくまで様子を見ていてもよかったかもしれない。結論は急がない方がいい場合もある。

 この話に、高校に入ったばかりの女子が「なるほど」と言って感謝してくれた。彼女も部活の同級生たちに思うところがあったということだ。

 

 ということで、来年度に向けて参考になればということで述べた。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2月22日

 森永卓郎さんが亡くなった。

 森永さんは「ザイム真理教」と財務省の体質を皮肉っていた。カルト団体のように金を取ることばかり熱心という意味だった。

 そのため、現実を無視して、とにかく国に金がないから税金を取りまくらないといけないのだと呪文のように唱えているが、そんなのは嘘である。


 これについては三橋貴明さんも言っていた。

 財務省は経済を悪化させることを平気でやるが、そうすると各省庁が対策を立てないといけなくなり、そのための予算を財務省に出してもらうため、各省庁の頂点にいる次官が財務省の課長に頭を下げることになるので、財務省の官僚たちは自分がエリート中のエリートであると悦に入ることができる。

 そんなくだらないことのために国の経済が悪化して国民が困るなんてことを止めさせないといけない。


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 そこで森永さんが指摘するのは財務省が権力を持ちすぎていることだった。

 財務省は、税金を集めることと、税金を配分することの、両方の権限を持っている。これだから財務省は無茶苦茶なことが出来てしまう。財務省ばかり力をもっているようなこと諸外国には無い。この権限の独占は異常である。

 そこで、財務省の分権が課題になるはずだ。


 ところが、財務省の解体という人たちがいる。

 これは、どういう意味だろうか。財務省の前に抗議のデモをしかけた人たちも財務省を解体せよと言っていた。不当に奪った税金を返せと訴えている人たちもいて、こちらは意味が解かるが、財務省の解体というのは何だろうか。ただの怒りの表明なのか。

 こんなことがあるから、財務省の解体と叫んでいる人たちは荒唐無稽だと非難する人たちがいる。このあたりは支持政党の違いによる対立がありそうだが、あまり意味があることではない。言葉は正確にすべきという程度の話ではないか。

 

 
 
 

 時代遅れの万国博覧会は赤字が確実らしい。

それで修学旅行に組み込んで強要することが非難されている。こうした失敗の誤魔化しのため利用されるだけでなく、もともと修学旅行が国策に迎合するものとなることが昔からあった。


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 かつて自分の通っていた高校の修学旅行も、それだった。万博に限らず、批判の中で強硬した結果が赤字というものはたくさんある。それなら学校行事に組み込んで行ってやり協力しようということ。そんな協力なんてくだらないからボイコットした。学校側に対しては、ボイコットが気に入らないなら退学処分にして欲しいと言った。そこまではできなかったらしい。退学処分にしてくれたらありがたかったのに。


 そうした明確な意図でボイコットしたのは一人だけだった。

 このとき、担任の教師から脅された。単位をやらないと言って。修学旅行の内容に抗議してボイコットすると言ったら単位をやらないと脅すことを滑稽だと気づかないのは、この教師の頭の悪さだが、やることが卑劣であることについては確信犯であった。だから他にも悪辣なことを生徒に行っていたが、それを人が好いように表向き見せかけながらやるのでタチが悪かった。

 これに対して、他の教師たちの中には理解する人もいた。


 教師の立場から公然と支持はできない。

 けれどボイコットに共感できると言う教師もいたし、ただ心情を理解する教師もいた。それらとも違い、何か思うことあっての行動に他人がとやかく言うのは、それが学校に関わることであっても教師が口出しするべきでなく、まして脅すなんてとんでもない、と言う教師もいた。

 これが頭悪すぎる担任の教師には解らない。この人は、自分の頭で解らないことを生徒が言うと混乱してしまう。そんな人に、教師だから、それ以前に大人だから、説明すれば解かると思ってしまったのが間違いだった。


 頭悪すぎは両親も同じだった。

 実に蒙昧だから、高校生の息子の言うことがサッパリ解らなかった。また、担任教師の立場とか言っていたけれど、それは違うと他の教師たちですら言っていたのに、それも解らない。

 こういうことがあって、次の学年の担任教師は、まず生徒の意思を尊重して、また両親は話にならないと知っていたので、保護者との面談も卒業後の進路についての三者面談も「しなくていいな」と言ってくれたので「それはありがたい」と答えた。


 こういうことがあったから、万博で各学校の各教師は何を思うかと考えてしまう。


 
 
 
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