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​炬火 Die Fackel 

 フランシスコ教皇の死去に西欧を中心に政治家が弔辞。

 日本では一部の信者しか関心が無いことだ。それなのに共産党の小池晃議員が弔辞をSNSに投稿した。

 「フランシスコ教皇は、2019年に長崎で核兵器廃絶を訴えられました。東日本大震災・福島第1原発事故被災者とのつどいでは被災者への支援と原発廃止を支持する発言も。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻や、ガザ攻撃についても、平和的な解決を訴えてこられました。 安らかな眠りをお祈りいたします。 」



 「是々非々」のつもりかも知れない。

 けれど、フランシスコ教皇は、それらの発言をする一方で共産主義に対する憎悪を煽っている団体のトップであるという事実を忘れてはならない。この点では統一協会と完全に同一である。もちろん、統一協会の幹部であろうと、それとの癒着関係が原因で被害者に殺害された安倍晋三もと首相であろうと、誰に対してだって人の死には追悼してもいい。

 しかし、もし質問されたら、その時は、誰であっても同じく社会的儀礼として「ご冥福をお祈りします」とだけ言えばいい。

 余計なことは言うべきではない。政治家なのだから。


  余計なことを言うからツッコミ入れられる。

 「宗教は庶民の阿片」というマルクスを信奉したり、敵視はしないが非宗教であるとしたり、そうしながら都合良く宗教を政治利用する日本共産党、などと議員ではなく党が非難されてしまった。

 また、これは「党員の中には信仰を持つものもいる」というのとは次元が異なる話だというもっともな指摘もあった。

 さらに、 そしてカトリック教会の膨大な罪を見て見ぬふりなのか、魔女狩りや十字軍など悪行の限りを尽くした過去のことだけでなく、その後も権力にすりより反共で社会改革の妨害をしつづけている宗教の親玉を肯定するのか、というカトリックに対する厳しい指摘に基づく批判もあった。

 

 もともと小池晃議員は軽率さが問題だった。

 例えば、小池晃議員は暴力的だと告発されている正にその名も「しばき隊」のTシャツを着ていて、その写真を撮られて批判されたこともあるし、今では委員長の田村智子議員に間違いを指摘されたとき、間違ってないと言って人前で感情的になってしまい、ほんとうに間違いなかったとしても褒められたものではない態度をとり、しかも後から確認したら間違っていたことが解ったと非を認めて仕方なく謝罪するという醜態をさらしたこともある。

  こんな人だから、またやらかしたと言われるのだ。


 だいたい、教皇はどんな立派なことをしたのか。

 報道によると、教皇は貧者や弱者に寄り沿ったそうだが、それは具体的には何をしたのか。同情や励ましの言葉か。そういう問題こそ政治家がとりあげないといけない。それをせずに人気取りで宗教に媚びるのは堕落である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年4月23日
  • 読了時間: 2分

 減税にヒステリックな反対をする立憲党。

 それが「ザイゲン」「ザイゲン」と紋切り型の言葉使いと中身の無さだから、当然のこと呆れられている。これは、かつて、もう何十年も前のことだが、消費税の制度が強行されたさいに批判された自民党側の人達が言っていることのゾンビ復活である。

 これで、よく恥ずかしくないものだと不思議でさえある。


 ここで党に盲従するのが米山隆一議員である。

 すぐに辞めるはめになった知事の経験を基に、経験は短かかったけれど、それによって税収の大切さが良く解ったと言っていた。よく言うよ、というのが正直なところだ。

 これでは、青春時代に受験勉強ばかりしていて、いい年こいたオッサンになってから出会い系でひっかけた女性を金で買って、その程度の経験でナンパも恋愛も解ったと言っているのと同じである。

 



 ここで米山隆一議員が御粗末なトリック論法を開陳していた。

 消費税が経済に悪影響しているという話に対して、今は物価が上がっているので、ここで消費税を全廃したとしても三年前の物価水準に戻るだけだから、それで経済が活性化するなら三年前に活性化しているはずだから、消費税を廃止しても経済が活性化することは無いと説く。

 いちいち解説するのも馬鹿馬鹿しいが、要するに米山隆一議員が解くことは、消費税の制度が存在することによる影響と、他の原因による結果としての数値とを、すり替えているのだ。


 こんな御粗末みっともないと気づかないのだろうか。

 まさか市民を騙せると甘く考えていないだろうか。


 


 

 
 
 

更新日:2025年4月22日

 前に、こんな話をした。

 かつて同級生が西武新宿線に乗っていた時。『機動戦士ガンダム』などアニメーション映画のキャラクターデザインで知られ、漫画家としても活躍してきた安彦良和氏を偶然に見かけて、頼んでサインしてもらった。

 そういう話だった。


 そして、こんな話にもなった。

 その安彦良和氏が、『ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」を支持しないと発言していた。また、これよりずっと前に、『ガンダム』の製作者である富野由悠季氏も、テレビに出たさい「ニュータイプ」という設定を入れたことは間違いだったと発言していた。

 ようするに富野氏の発言とは、人間が次第に進歩することについて「ニュータイプ」という概念を作る必要はなかったという趣旨だったし、安彦氏は「選民思想」に繋がるものだと指摘していた。

 ということで、『ガンダム』を作った中心の二人が「ニュータイプ」なるミュータントというか新人類というかの設定を否定したのだ。

 ところが、「ファン」「マニア」「オタク」の人たちは、「ニュータイプ」が出てくるからこそ面白いので、これがないと作品は意味をなさないと言う。

  しかし、そもそも『ガンダム』は『スターウォーズ』のような神話伝説調ではないのだから、神秘主義とかオカルトとかに属する設定を持ち込んでしまうと、多くの人は違和感を覚える。

 また、過去のSFアニメのように、宇宙人が侵略してくるとか、マッドサイエンティストや秘密結社による世界征服の陰謀とか、そんな非現実的な敵と戦う話ではなく、今の現実で起きている戦争と同じことが未来に起きたら、どんな科学技術を用いたものになり、どんな政治経済の背景になるか、という追及をする話なのが『ガンダム』であり、それこそ面白さだったはずだ。だから放送当時は、過去のSFアニメと違って大人でも面白いと感じると評価されていたのだ。

 ところが、後から映画化などで人気が出て熱狂的なファンやオタクが発生すると、その人たちは娯楽作品を鑑賞するというより宗教のように扱っている。こういう人たちが主流になると、そうではない多くの人たちは離れるのだ。



 これに対して、別の指摘があったのだ。

 それは、結局『ガンダム』は子供むけにオチを付けたということだ。描かれているのは戦争なのだから、このオチは政治的であるはずだ。しかし、それでは子供には解らないし、子供でなくてもアニメばっかりのマニアやオタクといわれる人たちの頭の中に入っている脳の思考力では理解できない。

 それでオカルトを持ち込んで落した。そういうことをしないSFアニメ『銀河英雄伝説』は、原作の小説のとおり戦争に政治的オチをつけていたけれど、これがアニメのマニアやオタクは理解できていないのが現実だ。

 なるほど。それでニュータイプを否定されると熱狂的な人はヒステリーなのだろう。ただ、それを作者が意識していたというより、そもそも作者の側がオチを思いつけなかったのではないだうろかとも考えられる。

 

 
 
 
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