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再考ニュータイプを否定した富野由悠季と安彦良和

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月22日
  • 読了時間: 3分

更新日:4月22日

 前に、こんな話をした。

 かつて同級生が西武新宿線に乗っていた時。『機動戦士ガンダム』などアニメーション映画のキャラクターデザインで知られ、漫画家としても活躍してきた安彦良和氏を偶然に見かけて、頼んでサインしてもらった。

 そういう話だった。


 そして、こんな話にもなった。

 その安彦良和氏が、『ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」を支持しないと発言していた。また、これよりずっと前に、『ガンダム』の製作者である富野由悠季氏も、テレビに出たさい「ニュータイプ」という設定を入れたことは間違いだったと発言していた。

 ようするに富野氏の発言とは、人間が次第に進歩することについて「ニュータイプ」という概念を作る必要はなかったという趣旨だったし、安彦氏は「選民思想」に繋がるものだと指摘していた。

 ということで、『ガンダム』を作った中心の二人が「ニュータイプ」なるミュータントというか新人類というかの設定を否定したのだ。

 ところが、「ファン」「マニア」「オタク」の人たちは、「ニュータイプ」が出てくるからこそ面白いので、これがないと作品は意味をなさないと言う。

  しかし、そもそも『ガンダム』は『スターウォーズ』のような神話伝説調ではないのだから、神秘主義とかオカルトとかに属する設定を持ち込んでしまうと、多くの人は違和感を覚える。

 また、過去のSFアニメのように、宇宙人が侵略してくるとか、マッドサイエンティストや秘密結社による世界征服の陰謀とか、そんな非現実的な敵と戦う話ではなく、今の現実で起きている戦争と同じことが未来に起きたら、どんな科学技術を用いたものになり、どんな政治経済の背景になるか、という追及をする話なのが『ガンダム』であり、それこそ面白さだったはずだ。だから放送当時は、過去のSFアニメと違って大人でも面白いと感じると評価されていたのだ。

 ところが、後から映画化などで人気が出て熱狂的なファンやオタクが発生すると、その人たちは娯楽作品を鑑賞するというより宗教のように扱っている。こういう人たちが主流になると、そうではない多くの人たちは離れるのだ。


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 これに対して、別の指摘があったのだ。

 それは、結局『ガンダム』は子供むけにオチを付けたということだ。描かれているのは戦争なのだから、このオチは政治的であるはずだ。しかし、それでは子供には解らないし、子供でなくてもアニメばっかりのマニアやオタクといわれる人たちの頭の中に入っている脳の思考力では理解できない。

 それでオカルトを持ち込んで落した。そういうことをしないSFアニメ『銀河英雄伝説』は、原作の小説のとおり戦争に政治的オチをつけていたけれど、これがアニメのマニアやオタクは理解できていないのが現実だ。

 なるほど。それでニュータイプを否定されると熱狂的な人はヒステリーなのだろう。ただ、それを作者が意識していたというより、そもそも作者の側がオチを思いつけなかったのではないだうろかとも考えられる。

 

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