top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 5月14日
  • 読了時間: 2分

更新日:5月14日

 医師の投稿が「炎上」している。

 重度の障害児を抱えた親の人権を守るため、障害児の政策を充実させようというのではなく、障害児穂「安楽死」させらるようにしようと説いたのだ。

 これには障害児の親たちから抗議が寄せられ、また、これでは安楽死ではなく殺処分だという指摘がされた。


 この上松正和医師は政界入りしようとしたことがあった。

 それで選挙に国民民進党からの立候補歴があった。同党は、その玉木代表が、社会の負担を減らすために老人を減らそうと間引きのような発想で語って批判されたことがあった。

 そこで同医師は、候補者としての公約に安楽死を促進する研究をすることを掲げていた。

 これがこの党の体質だと言われた。そのうえで今回の発言である。


 安楽死といえばアメリカのケボーキアン医師が有名だ。

 安楽死で自殺幇助の罪に問われたので、安楽死のための自殺装置を考案したことで知られている。

 日本で有名なのは手塚治虫ののマンガ『ブラックジャック』に登場するドクターキリコが有名で、それを名乗り毒薬をインターネットで販売した者がいたことは話題になった。

 それより上松正和医師の発想は「尊厳死協会」の太田典礼医師に近い。ナチズムと共通する発想だから。

 


ree

 それにしても上松正和医師は安楽死の意義を知らない。

 親を楽にするため障害児を殺害することを安楽死というのだから。ケボーキアン医師やドクターキリコだったら、そんなのは安楽死ではないと言うはずだ。

 そんな発想をする医師がいるということは、医学部では生命倫理を教育しているのだろうかと言っている人たちがいるけれど、もともと医学部にはナチズムに傾倒している医師がたくさんいるので、いまさら驚くには当たらない。ナチスを称えて国際学会から追放された美容外科チェーン店の院長のこともあったではないか。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 5月13日
  • 読了時間: 2分

更新日:5月13日

 風呂場ではなくシャワールームの部屋が人気らしい。

 とくに若い人から、ほとんど使わない浴槽が無い分だけ広いうえに掃除も楽だし、施設が簡素だから家賃も割安になる、ということで選ばれている。

 これは、湯船に浸かってゆったりするという文化が廃れてきたからだろう。もちろん、燃料費が高すぎるとか忙しすぎるとかでなければ、湯船に浸かることもするだろう。


 忙しいと風呂に時間をかけられない。

 かつて高校三年生の時、学校で、ある教師が、浪人したくなければシャワーで済ませるべきだと言った。毎日のこととなると、それだけ風呂は時間を食うということだ。

 これが老人になると、入浴には事故のリスクが伴う。だから身体を洗うだけのほうが安全である。


ree

 沖縄ではアパートで風呂の有無は言わない。

 どこもシャワールームがあって、浴槽が無い、というのが当たり前だから。暖かいから風呂で身体を温めるという発想が無い。また、日当たり良好とも謳わない。太陽が真上に近いから、日当たりは良くて当たり前だ。

 あと、昔、当時19歳の女性が、風呂に浸かると、ぬるめの湯でも身体がオーバーヒートしたようで気分が悪くなると言っていたけれど、それだけ健康だからだ。若くて健康だと、入浴して身体を温める必要はない。

 ということで、浴槽など無用という土地と人がある。


 自分でも、時間が無いから入浴しなくなっている。

 それ以前からシャワーだけの習慣はあったけれど、そうなったのは、子供のころから風呂の仕度と掃除をやらされたうえ、入るのは家族の中で最後にされ、親より後であるだけでなく妹より後にされたから、ぬるくなって垢が浮いた湯では浸かる気がせず、それでシャワーだけになったからだ。

 よく外国人が不衛生なのにと言って不可解がるけれど、日本では風呂の湯を使い回す。風呂の残り湯は畑にまいて水分と養分にしていたりもする。この入浴の順番は、家の中の序列である。女性が後、嫁が後、婿養子が後、虐待される子供が後、そして後にされる者が準備も後片付けもさせられる。このように家族間で残酷なことをしていた。

 そういうことも、風呂なんて要らないということに、影響したはずだ。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 5月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:5月13日

 そもそも戸籍は無用という指摘がある。

 これは夫婦別姓の件もあって話題に出たのだろうが、そこで堀江貴文や橋下徹らが戸籍を無用だと説いたので、これに反発する人達が出ている。

 ところが、その反発の訳が奇妙である。戸籍がないと犯罪者が悦ぶとか犯罪防止できなくなるとか、刑事と戸籍が関わっているという意味のことを言っている。そんなことを言う人たちは、戸籍とは何かを知っているのだろうか。

 

 戸籍とは身分関係を公証するものである。

 もちろん、身分関係とは親子・兄弟姉妹・夫婦のことである。これを公に証明するものだから、それが刑法と関係するなら、子供が死刑なら親も死刑になるといった江戸時代の連座制である。そんなバカなことがあるわけないし、現代においてあってはならない。

 いったいどこから変な発想が湧いてくるのか。おそらく、そんなことを言っている人たちは、戸籍というものを知らないのだろう。


 戸籍があるのでやりにくい違法行為もある。

 その最たるのは重婚だろうが、戸籍制度がなくても結局は後から判る。そしてたまに揉め事になる。外国でやらかす森鷗外やピンカートンのような人は今もいるが、ちゃんと国際私法が結婚も規定しているので、戸籍制度の有無が特に影響することはない。

 そして、揉め事になるとしても、それは財産上の問題である。身分関係は扶養や相続があるから公証する必要が生じるので、つまるところ財産のことである。


ree

 それで堀江や橋下らは、今はマイナンバーがあるから戸籍は無用と言ったのだ。

 もともとマイナンバーとは、国が国民の財産を監視するためのものである。そこで、脱税を防ぐためと言ってはいるが、それで防げる脱税の額より高額なマイナンバーの運用費という滑稽なことにもなっているなど問題がある。

 だから、戸籍とは何かを解っていれば、マイナンバーがあるのだから無用になったという指摘が当然に出てくることも容易に理解できる。

 なのに戸籍とは何かを知らない人たちが、知らないものを知らないがゆえに大層なものであると思い込んで、滑稽なことを言っているのだ。


 かつて戸籍を封建的で違憲だと最高裁判所まで訴えたことがある。

 その時、俗に言われているのと違い現実の制度として、あくまで戸籍とは身分関係を公証するものである、ということで上告を退けられた。

 しかし弁護士から、最高裁で弁論を開かれず門前払いとはいえ、そんな丁寧な対応を最高裁から本人訴訟でもらったのかと驚かれ、関心されたものだった。

 とにかく、最高裁も戸籍について、そう示しているのだ。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page