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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年10月14日
  • 読了時間: 1分

 高裁判決言渡し。

 10月16日木曜日午前11時45分、霞が関、東京高裁、8階、825号法廷にて。


 警官の強制猥褻を所持品検査として裁判所が許可した(そんな許可は存在しない)と正当化した飛澤裁判官の不正を裁く訴訟。

 一審で飛澤知行と「クルージング」の大須賀寛之裁判官が訴えを握り潰したことに控訴していた事件。


 このとき裁判官忌避を申し立てた。

 しかし、裁判官忌避はほとんどが却下される。それで本件も例外ではなかった。この程度の不正は特別な関係でなくても裁判官にザラという趣旨だった。

 これでは「居直り」である。


 控訴審も同じだった。

 裁判官が裁判官の悪事を認めるわけにはいかないから、高裁でも強引に賠償請求を棄却するとし、やましいから判決の言渡しのさい傍聴人はいて欲しくない、といわけでこんな来にくい時間にしたそうだ。

 だから、来れる人がいたら来て裁判官を睨みつけるようにして欲しい。その後で昼飯ご一緒でもしましょう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年10月10日
  • 読了時間: 2分

 マンションではなくアパートを選ぶ人が増えている。

 そういう報道があって、ひどい報道だと批判する人がいた。この人は外国で仕事をしていて、「岡目八目」のように客観的だと、日本のマスメディアがいかに駄目か、はっきり判るらしい。

 そして、その人が指摘する。マンションより割安だからアパートにしているのは金が無いからに決まっている。

 それを、どうして報道は問題にしないのか。だから駄目なのだ、というわけだ。


 これは、一時の仮住まいではなく生活の中心になる住居の話だ。

 それなら、居住性の良い建物が絶対に安全で快適である。だから良い物件ほど費用も多くなる。なのに、金があってもケチッて安い方にする人はまずいない。

 つまり、安い方にせざるを得ないのだけれど、それをわざわざ安い方にする人が増えているという報じ方は、貧困な人が増えている実態を隠蔽しているのだ。 


 前にも、風呂無アパートを選ぶ若者が増えているという報道が流行った。

 これは、銭湯が良いからわざわざ風呂無しを選択しているという報じ方だった。内風呂があっても銭湯やスパに行きたいときに行けばいいだけのことだから、風呂無しにする意味は無い。それで節約になるわけでもない。むしろ今は燃料費の高騰などで銭湯は高額だから、毎回の入浴を銭湯にすると、風呂無しに住むより割高になってしまうほどだ。それでも風呂無アパートに入居するのは、手持ちの費用が貧弱だからだろう。

 こうなると、貧困な人が増加しているという深刻な問題のはずだ。それを、好きで風呂無アパートにする若者がいると報道されていた。

 

 ということは、マスメディアが、社会の問題を把握できていない。

 あるいは政府に媚びて、その無策を隠していることになる。こんなマスメディアは、まるで『ドラえもん』に出てきた「いたわりロボット」だ。

 ドラえもんがのび太のために何でも慰めてくれるロボットを出したら、それにのび太は依存してしまい、心配になったドラえもんが未来を見たら、のび太は浮浪者になっていて、ホームレスになったことをロボットに慰められていて、これでは駄目だ、という話だった。



 こんなマスメディアは本当に駄目だし、それに騙されてはいけない。

 
 
 

更新日:2025年10月8日

 辻元清美の「祝意」が批判されている。

 高市早苗自民党総裁の誕生にさいして、あの人とは年齢二十代のころからの知り合いだと言って、それが初の女性総理大臣になる予定だから、ということだ。

 かつてテレビで一緒に出て、そのさい高市早苗は論敵であったと辻元清美は言っていた。それが変わったということなのか。また、他の人のことでも辻元清美は知り合いであると言っていて、ただそれだけなのに政治姿勢と関係なく称えたから批判を受けたことがあった。知り合いだなんて、そんなことは関係ないのに。



 大人の対応をして見せたのだと言う人がいた。

 それを意識してやったのだろう、と。だとしたらとんでもない勘違いである。選挙で対抗候補者だったなら、自分が落選しても当選した人に祝意を表明するものである。それは、自分もそれなりの得票があった場合である。そして、当選おめでとうと言ったうえで、ただし自分にもそれなりの得票があったのだから、自分の政策を支持した有権者のことも考えて職務に当たるよう頼むのだ。だからこれは首長のことで、議員ではやらない。

 この点で、辻元清美が自民党員で総裁選挙に立候補していたのなら、当選した高市早苗に祝意を言う意味があるけれど、そうではないのだから言う意味がない。


 また、生まれたのとは違う。

 かつて共産党の不破議長が、皇族で赤ん坊が産まれたことに祝意を述べたが、これは生命の誕生だから何処の誰でも喜ばしいことに変わりはなく、地位に就いたのとは違うからおめでとうございますと言ったのだと説明していた。

 逆に死んだ場合の弔意についても同じことが言える。皇族でも、安倍晋三もと首相が死んだことでも、これは人としてのことだから、政治的に相容れなくても弔意は普通のことである。それを国葬など政治的に利用するから、そこは批判する。


 けれど高市早苗が自民党総裁に当選したのは政治的地位を得たことである。

 それに対して政治的に相容れない者が祝意は不適切である。ヒットラーだって死んだら弔意くらいはあるけれど、ナチス党の総統に就任したのでお祝いを言うだろうか。しかもユダヤ人など敵対的な立場の者が。

 だから、大人としての礼儀などは全然、関係が無い。いったい立憲党の辻元清美は何を考えているのか。昔からの知り合いが出世したことを祝すというのは、自分も同類と思っているからだろう。意見は違っても、一緒にテレビに出ていたのが揃って永田町センセイになった、エラクなった、という想いを共有しているという心情の告白である。なんて小せえ心情だろうか。


 立憲党の野田代表も同様に祝意だった。

 そもそも自民党総裁さらに総理大臣というのは祝意の対象ではない。就任してから大変な仕事があるのだから。それを出世と思っているから祝意という発想になる。そして、そんな総理大臣に対して野党として対決することがたくさんあることを忘れているのでなければ、祝意なんてあり得ない。

 つまり立憲党は自民党と対決する意思が無いのだ。出世したからお祝いというのは、馴合ってないと出来ないことだ。もちろん野田は自民党と相容れないことはなく、ほとんど自民党の亜流である。そんな人ばかり代表者にするから立憲党は支持者が減っている。

 そして辻元清美も変節したのだろう。政治家になったのは信念からのはずだったが、そうではなく出世のための手段だった。いつからのことだろうか。政界入りを誘った土井たか子に代わった福島瑞穂とうまくいかず社民党に後ろ足で砂かけるように出てからのように見える。

 
 
 
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