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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年10月12日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年10月13日

 国際的に騒がれてジャニーズ事務所も凋落である。

 それなら、沖雅也の養父だった日景忠男も、かつては羽振りが良かったけれど晩年は金で揉め事を起こして逮捕されるなど凋落していた。王貞治や蓮舫と同じで台湾に親がいて、それもかなり富裕だったから、台湾の大学を出たあと日本に留学して東大の大学院に通い、卒業後も仕送りがあるため就職の必要がなく、自らが同性愛者だったためゲイバーを営んでいた。

 その当時、偶然出逢った家出少年が、学歴もスキルもないけれど美形で長身だったので芸能を志向していたから、出資して会社を作り、芸能のプロデュースやマネージメントの専門家を雇って売り出してやったところ、素材が良かったのできちんとした売り出しをするとたちまち売れて、二枚目俳優として一躍有名になった。これが沖雅也であった。


 その後、沖雅也は体調が悪くなって悩み続け、自殺してしまう。

 そのさいの日景忠男に宛てた遺言「親父、涅槃で待つ」が話題になり、日景が記者会見で泣きながら「もう、いいじゃないですか」と言う様子も話題になった。これをきっかけに景忠男はオカマキャラクターのタレントとして一時はよくテレビで活躍していた。

 このため沖雅也も同性愛者だったと思われたが、そうではなく、それで日景忠男は、同性愛行為を嫌がる沖雅也が、一方で女性に人気だけどスキャンダルを避けて女性を遠ざけられるから欲求不満になっているので、金で口の堅い女性を雇って宛がってやったと話していた。

 また、沖雅也の実父が死去したら自分の養子として正式に法的手続きを取っていたから、死後は墓石に本名の日景城児と刻まれていた。このように責任をもって世話をしていた日景忠男だった。



 私事だが、この日景忠男が経営していた新宿の喫茶店で知人が働いていた。

 そのまた知人がゲイ雑誌を発行している東郷健と顔見知りだった。そこから「ジャニーズ事務所は喜多川という人の趣味と実益」という話を聴いていた。

 その新宿の喫茶店はシンドバッドというが、そこでバイトしていた女子高生が電話をとってうっかり「ロビンフッドです」と言ってしまい叱られたという話も聞いた。この店も後に潰れてしまった。


 これに対しジャニー喜多川という人は、少年を食い物にしただけ。

 育てるタレントを息子のように大切にしていたと御用メディアが報じていたけれど、それなら日景忠男のようにしているはずである。しかし実際は、特に母子家庭など貧困な出の少年が芸能でやっていくしかないうえ歌や踊りなどを修行している時間も費用もないので十代のアイドルになるのだから、売り出してもらえなければだめという弱みに付け込み性的虐待をし続けたということだ。

 そしてジャニーズ事務所のアイドルは十代の女の子むけの子供騙しだから、そんなのばかりがテレビを占拠し、まともな芸能は輸入品ばかりになり、貨幣が外国に流出して日本の経済に悪影響を及ぼしてきた。

 だから「不祥事があったからと功績まで否定して良いのか」と言っている人は、解っていないのだ。

 
 
 

 話題のジャニーズ事務所についてのこと。

 その性暴力は、昔から一部では知られていたどころか常識と言っても良かったが、一般的には知られておらず、週刊誌ネタの噂くらいに思っていた人が多かった。

 これはやむを得ない。なぜか。


 その記事は名誉毀損として訴えられて裁判沙汰になった。

 その結果、ジャニーズ事務所内には性的加害行為が存在すると判決で認められた、とは言っても、この判決は元々「きちがい判事」と評判の裁判官によるズサンな認定であったから、あの狂った判決ばかりの異常な裁判官がまたやらかした「トンデモ判決」であるという認識が、法曹に関心のある人たちの間では普通だった。



 それなのに東京新聞は、ジャニーズ事務所をネタに偽善的な声明を発した。

 そんなトンデモ判決を引き合いに出し、ジャニーズ事務所を追及しなかったことの反省を表明したのだ。ジャニーズ事務所の元スター北公次が告発した時に、独自の取材と追及をしているべきだったというなら、現に北公次がマスコミの姿勢を問題にしていたのだから、反省するのが当然のことだろう。

 しかし、その時から無視して続けておいて、凶悪な裁判官として知られる老人の相変わらずズサンな認定は拠り所にならないという当然の対応を他のマスコミがしていたのに、後から大きな問題に発展してバッシングが始まったからと、判決を検証もせず無批判に持ち出して勝手に反省して見せた東京新聞ということである。


 そんな薄っぺらさ丸だしの時流に便乗しただけ東京新聞。

 その空々しいポーズを「これぞジャーナリズムの鏡」と称賛して「他のマスコミは見習え」と言う無知な人たちがいる。これは、どうやら本当に騙されているようである。

 おそらく司法の問題に全く関心がなかったのだろう。だから東京新聞のズサンな格好つけであることに気づかないということだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年10月9日
  • 読了時間: 3分

 ジャニーズのアイドルで最初にバク転して見せたのが北公次であった。

 彼は病死する前に過去のヒット曲を歌って見せたさい、得意のバク転を披露した。このとき彼は年齢五十を二つ三つ越していたけれど、まだ出来ることを示した。しかも、たいへん綺麗に決まっていて、若い頃の田原俊彦より遥かに上手だった。

 かつて田原俊彦は、出来るけれど上手ではないと言っていた。また、ジャニーズ事務所のアイドルで、薬丸裕英と野村義男とひかる一平はバク転が出来ないと、薬丸が言っていた。

 


 もともと北公次は体操が得意だった。

 だから将来は体操や水泳で、高校さらに大学に行き活躍すると期待されていたそうだ。ところが父親の経営する会社が経営破綻して生活苦に陥り、進学を諦め中学を卒業したら就職した。

 そのあとジャニーズ事務所で最初のアイドルグループであるジャニーズをテレビで観て、そのアクションなら自分のほうが上手にできると思い、そこから関心を持ちジャニーズの付き人から始まり17歳で自らアイドル歌手としてデビューした。華麗なるアクションと共に女の子に好かれる顔だったから、ほんとにもうキャーキャー騒がれた。


 そして北公次はジャニーズ事務所の実態について衝撃の告発をした。

 さらに田原俊彦の全裸写真が流出。週刊誌に載ったさいはボカシが入っていたけれど、フルモンティとかスッポンポンとかいう状態で仰向けになっている田原俊彦は、無理矢理に服を脱がされてカメラを向けられて恥ずかしがっている様子だった。

 これはあの喜多川の仕業だなと言われ、北公次の告発を裏付けるものだと話題になったものだった。


 田原俊彦は、あんなひどいことをされて、よく我慢したと言われた。

 新人であり売り出してもらわないといけない立場だとしても、だ。そのあと田原俊彦は、ロック歌手の浜田省吾と雑誌で対談したさい、浜田が大学の学生時代にバンド活動していた話をするのに対し、自分は母子家庭の出で、生活が厳しくて大学進学なんて夢のまた夢だと言っていた。

 田原俊彦は芸能活動の傍ら放送大学で大卒資格を取得しようとしていて、そのあとどうなったかは未確認であるが、進学したくでもできなかった悔しさがあるから、放送大学をやり始めたのだろう。


 このように、家庭の事情から芸能界に入り、しかし芸の修行をする余裕もないから十代のアイドルに、という人を食い物にするところが、ジャニーズ事務所の醜いところである。


 ところで話題のバク転のことであるが、高校の先輩が得意だった。

 この人は、同じ高校の一学年上で、中学は別だが中学の校長の息子だった。同じ空手道場に通っていたが、こちらは楽器をやっていたので、空手は駄目だった。やはり中学のころにやっていた少林寺拳法の方が両立できる。ギタリストのクロードチアリも、それで少林寺拳法をやっていた。瓦を割ったりするのではなくツボ(経絡秘孔、北斗の拳で御馴染)を突くから手を痛めにくいのだ。

 それで空手道場は辞めたが、同じ時に校長の息子も辞めた。受験勉強に専念するため。ちなみに校長の息子はアニソンの大家だった。歌えないアニソンは無いというくらいの人だった。その一方で床運動が得意だった、それで、自分は前回りなら出来るが後方は怖くてできないので、どうやったらいいのかと相談し、教えて欲しいと頼んだのだが、ダメだと言われた。彼自身、どうやったら出来るのか解らないから。何かの拍子でたまたま出来るようになった、ということだった。まあ、そういうものかもしれないなと思ったのだった。

 
 
 
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