バク転(back転)
- 井上靜

- 2023年10月9日
- 読了時間: 3分
ジャニーズのアイドルで最初にバク転して見せたのが北公次であった。
彼は病死する前に過去のヒット曲を歌って見せたさい、得意のバク転を披露した。このとき彼は年齢五十を二つ三つ越していたけれど、まだ出来ることを示した。しかも、たいへん綺麗に決まっていて、若い頃の田原俊彦より遥かに上手だった。
かつて田原俊彦は、出来るけれど上手ではないと言っていた。また、ジャニーズ事務所のアイドルで、薬丸裕英と野村義男とひかる一平はバク転が出来ないと、薬丸が言っていた。

もともと北公次は体操が得意だった。
だから将来は体操や水泳で、高校さらに大学に行き活躍すると期待されていたそうだ。ところが父親の経営する会社が経営破綻して生活苦に陥り、進学を諦め中学を卒業したら就職した。
そのあとジャニーズ事務所で最初のアイドルグループであるジャニーズをテレビで観て、そのアクションなら自分のほうが上手にできると思い、そこから関心を持ちジャニーズの付き人から始まり17歳で自らアイドル歌手としてデビューした。華麗なるアクションと共に女の子に好かれる顔だったから、ほんとにもうキャーキャー騒がれた。
そして北公次はジャニーズ事務所の実態について衝撃の告発をした。
さらに田原俊彦の全裸写真が流出。週刊誌に載ったさいはボカシが入っていたけれど、フルモンティとかスッポンポンとかいう状態で仰向けになっている田原俊彦は、無理矢理に服を脱がされてカメラを向けられて恥ずかしがっている様子だった。
これはあの喜多川の仕業だなと言われ、北公次の告発を裏付けるものだと話題になったものだった。
田原俊彦は、あんなひどいことをされて、よく我慢したと言われた。
新人であり売り出してもらわないといけない立場だとしても、だ。そのあと田原俊彦は、ロック歌手の浜田省吾と雑誌で対談したさい、浜田が大学の学生時代にバンド活動していた話をするのに対し、自分は母子家庭の出で、生活が厳しくて大学進学なんて夢のまた夢だと言っていた。
田原俊彦は芸能活動の傍ら放送大学で大卒資格を取得しようとしていて、そのあとどうなったかは未確認であるが、進学したくでもできなかった悔しさがあるから、放送大学をやり始めたのだろう。
このように、家庭の事情から芸能界に入り、しかし芸の修行をする余裕もないから十代のアイドルに、という人を食い物にするところが、ジャニーズ事務所の醜いところである。
ところで話題のバク転のことであるが、高校の先輩が得意だった。
この人は、同じ高校の一学年上で、中学は別だが中学の校長の息子だった。同じ空手道場に通っていたが、こちらは楽器をやっていたので、空手は駄目だった。やはり中学のころにやっていた少林寺拳法の方が両立できる。ギタリストのクロードチアリも、それで少林寺拳法をやっていた。瓦を割ったりするのではなくツボ(経絡秘孔、北斗の拳で御馴染)を突くから手を痛めにくいのだ。
それで空手道場は辞めたが、同じ時に校長の息子も辞めた。受験勉強に専念するため。ちなみに校長の息子はアニソンの大家だった。歌えないアニソンは無いというくらいの人だった。その一方で床運動が得意だった、それで、自分は前回りなら出来るが後方は怖くてできないので、どうやったらいいのかと相談し、教えて欲しいと頼んだのだが、ダメだと言われた。彼自身、どうやったら出来るのか解らないから。何かの拍子でたまたま出来るようになった、ということだった。まあ、そういうものかもしれないなと思ったのだった。



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