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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月13日
  • 読了時間: 2分

 女性のヤリ手風にしている経営者が得意になって言った。

 雇った人たちに「スキル」の低い人がいるので高めてやろうとしても、そんな人は意欲に欠けているもので、元からその気が無いのだ。だから待遇も相応になるし、うちの職場にとって価値の低い人である。差異があっても仕方ないだろう。

 なにやらスポーツのコーチみたいだと言われていたけれど、こういうのが好きな人もいる。


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 ただ、そんなことを口にするのは非常識だ。

 では逆に、使われている者からすると、どうか。今以上のことを求められたら、まず現実的には仕事の労苦や給与などの待遇から不均衡になることがあるし、また働く意義や甲斐という点で個人的・社会的に難がある場合もある。

 なので、この程度で良いとか、これで仕方ないとか、それで不満足なら辞める、他所に行く、などなど自分の頭の中で考えて、それぞれが対応を決めることだ。そこへ経営者が余計なことを言うものではない。


 例えばスポーツでも趣味と実益の問題がある。

 もっと努力すれば大きな活躍ができると言われても、趣味として楽しんでやっているのだから、それ以上にやると楽しくなくなってしまうという問題があるし、そうまでしても稼げるかという実益の問題もある。

 とにかく、生活を犠牲にしてまでやるかというと、大抵の人はやらない、あるいはできない、だろう。


 まして仕事として働くことには生活がかかっている。

 それで収入が増えても大切な家族や趣味を犠牲にしては無意味、という価値観も、外国では当たり前だったし、日本でも昔と違って増大している。

 こんなことも解らない人がヤリ手風の経営者として威張っているのだから、まだまだ日本は進歩が足りないのかもしれない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月30日
  • 読了時間: 2分

 平成元年前後とかバブル期とかいわれる時に、栄養ドリンク剤の宣伝歌がウケた。

 これは三共の発売したリゲインという商品で、俳優の時任三郎が出演して唄っていた。曲のノリが良いこともあり60万枚くらい売れたという。それくらいだったから、当時はカラオケで唄ったり出勤前に聴いたりで気合いを入れる勤め人もいた。しょせんサラリーマンなのに「ビジネスマン」と気取って恥じない歌詞は、さすがバブル時の強壮剤である。

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 大学でドイツ語を習っていた先生はオーストリア文学が専門だった。

 その文学の講義もしていた。ここでRシュトラウスのオペラ『ばらの騎士』と台本の作家ホフマンスタールのことや、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートなど華やかな一方でオーストリア帝国が戦争ばかりしていたこと、これを厳しく批判や風刺をしていたカール-クラウスはホフマンスタールの戦争翼賛も批判したこと、などが取り上げられた。

 これがリゲインと、どう関係あるのか。


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 リゲインの宣伝歌は「♪黄色と黒は勇気の印」と歌い出す。

 これは瓶のラベルが黄色地に黒文字だったからだ。このパロディで「♪黄色と黒は工事の印、24時間、通れませんか」というのもあった。

 それはともかく、オーストリア帝国では戦争費用を寄付したら赤い羽根みたいに「愛国十字章」を胸に付けることになっていた。昔から今までオーストリア国旗は赤と白だが、このハプスブルク王朝の時代だけ国旗は黄色と黒であった。だから愛国十字章は黄色と黒の配色である。そして戦費の寄付を国民に呼びかける政府広報のキャッチコピーは「黄色と黒は愛国の印」だった。これをカール-クラウスは戦争を批判する大著『人類最期の日々』で皮肉っていた。


 リゲインの宣伝はオーストリア帝国のプロパガンダを意識したものだったのか。

 もしも事情を知っている人がいたら教えて欲しい。もしかすると意識したのではないか。インターネットで検索しても宣伝と歌の由来は出てこなかった。

 そのオーストリアも世紀末に「泡沫経済」という正に「バブル」の時代から戦争の時代となったのだった。そしてハプスブルク王朝は滅びてナチス時代となった。日本のバブルもはじけてリゲインのような宣伝はなくなったうえ政治的にも似た雰囲気となってきた。





 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月14日
  • 読了時間: 2分

 前に、支払いを百貨店の商品券でという男がいた。

 これは、百貨店の中にテナントとして入っている店なら使えることがあるけれど、そういうことではなかった。全く関係が無いものを、一緒に入店した人たちで割勘するさいに商品券でと言い出したのだ。それでも、持ち合わせの金がないと謝り、商品券の額面を支払いの額より大きくして、後で払うから担保として一緒にいる人に渡したというならともかく、自分でも使い勝手が悪いから厄介払いも兼ねてというものだ。


 これは、あまりに図々しいので拒否された。

 しかも、この男の出した百貨店の商品券とは「まるひろ」のであった。これは埼玉県の川越や飯能その他いくつか田舎街にあるだけ。この男は根っからの埼玉県民だった。つまり埼玉県民でも使い勝手が良くない商品券であるから厄介払いしたくなったのだ。それでと埼玉県民でない人に、タダでも有難くないのに、自分が支払う義務があるところで、金がないわけでもないに、まるひろの商品券でいいだろうと言い出したのだ。


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 この男は、埼玉県でも特に山の中の出だ。

 埼玉県の山の中は一部で、このように自分にとって都合が良くない物事を他人に押し付けてやろうという文化を持つ人たちがいる。だから、埼玉県に住む自分でも使い勝手が悪いと思っている商品券を「まるひろと言えば埼玉県では高級百貨店だ」と強弁して、埼玉県では買い物しない人に押し付け、同時に支払いを踏み倒そうという一石二鳥を目論むというわけである。


 この「ダサイタマ」式のセコイやり方と酷似しているのが政府の生活支援である。

 コロナウイルス禍の対策として生活支援を、なぜかどうしても現金ではなく商品券とかクーポン券とかにしたがる。不便すぎて使い勝手が悪いのに。これは事務手続きする業者の利益を図って「中抜き」が実質ではないか、などと言われている。

 しかし、こんなことをする本当の訳とは、政府の中枢に埼玉県の山の中の出身者がいるからではないかと、疑っている。そうでもないと、こんな不道徳はできないはずだ。

 
 
 
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