ヤリ手風の女性経営者の時代遅れな経営感覚
- 井上靜

- 2022年2月13日
- 読了時間: 2分
女性のヤリ手風にしている経営者が得意になって言った。
雇った人たちに「スキル」の低い人がいるので高めてやろうとしても、そんな人は意欲に欠けているもので、元からその気が無いのだ。だから待遇も相応になるし、うちの職場にとって価値の低い人である。差異があっても仕方ないだろう。
なにやらスポーツのコーチみたいだと言われていたけれど、こういうのが好きな人もいる。

ただ、そんなことを口にするのは非常識だ。
では逆に、使われている者からすると、どうか。今以上のことを求められたら、まず現実的には仕事の労苦や給与などの待遇から不均衡になることがあるし、また働く意義や甲斐という点で個人的・社会的に難がある場合もある。
なので、この程度で良いとか、これで仕方ないとか、それで不満足なら辞める、他所に行く、などなど自分の頭の中で考えて、それぞれが対応を決めることだ。そこへ経営者が余計なことを言うものではない。
例えばスポーツでも趣味と実益の問題がある。
もっと努力すれば大きな活躍ができると言われても、趣味として楽しんでやっているのだから、それ以上にやると楽しくなくなってしまうという問題があるし、そうまでしても稼げるかという実益の問題もある。
とにかく、生活を犠牲にしてまでやるかというと、大抵の人はやらない、あるいはできない、だろう。
まして仕事として働くことには生活がかかっている。
それで収入が増えても大切な家族や趣味を犠牲にしては無意味、という価値観も、外国では当たり前だったし、日本でも昔と違って増大している。
こんなことも解らない人がヤリ手風の経営者として威張っているのだから、まだまだ日本は進歩が足りないのかもしれない。



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