拙書『防衛医大…』(ホームページ参照)のなかで、防衛医大による不適切な手術の被害を東京警察病院が改善したという事実が述べられている。
そのさい、同病院の医師たちが、完治は無理でも可能な限りの回復に尽力しているなかで、同科の部長だけは傷を指で突いて嘲り笑った。こんなひどいことになって、元に戻らなくて、裁判に訴えても負けると、顔を近づけて嫌らしい目つきをして大声をあげて。
これについて、この医師を知っている他の病院の医師たちは、部長というのは親の七光りで、人柄的に評判が良くない人だと言った。
それにしても、不適切な手術だからと笑っておいて、それを裁判に訴えても負けると言ってまた笑うとは、奇妙である。
これは、嫌な奴だから意地悪さえすれば満足ということかと思ってしまうが、後で専門分野が異なる他の医師に話を聞くと、ちゃんと意味があると言われた。まず、病院は違っても科目は同じだから身内意識で庇っているのだろうと推測した医師がいるけれど、それ以上に健康保険がらみだと指摘した医師がいた。
つまり、自費による充実した治療ではなく、健康保険が適用される安い治療をしたので、それだと悪くなるだけで良くならないと解っているが、それでいて「藁をもつかむ」気持ちで無駄かつ危険な手術を受けた貧乏な患者だと思い、嘲り笑ったのだろう、ということだ。
だから、他の専門医も、嘲り笑う非常識はしなかったものの、医者が騙すなどした証拠があれば別だが、そうでないと患者が悪いことになってしまうと指摘していた。これを受けて、裁判で医者の様々な不適切を証拠と共に指摘し、被告側の病院も非を認める結果となったのだった。
例の部長は、警察病院勤務の傍ら別の診療所で、保険適用ではない高額な自費治療の商売をやっていた。これで大金を患者から取り、おかげで高級ブランド品に身をくるみ高級外車を乗り回し、という生活をしていたことは語り草である。
これと同じことをしている医師は、科目を問わず大勢いて、それではいけないと言っていたのに変節する医者も大勢いる。
こんな実態なのに、破たんした健康保険制度を守ろうと言う人たちがいる。それは、幸か不幸か「知らぬが仏」なのだ。