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イーロンマスクの幻想

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年11月27日
  • 読了時間: 2分

 イーロンマスクのTwitter買収でどうなったか。

 その影響を語る人たちは、それぞれが同じことに対して勝手な解釈をしているだけで、まるで意味がない。特に「右」の人たちは、左でもないものを左だと言って影響を説くから相変わらずである。

 

 『市民ケーン』も正力松太郎も同じだ。

 どちらも、潰れかけた不振の新聞社に目を付けて買収して自分が経営に乗り出した。だから好き勝手なことを出来た。

 ところがイーロンマスクが買収したTwitterは既に影響力があって、これを自分が買ったから経営を自分の好きなようにするというと抵抗があって当たり前である。


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 買えば勝手にできるというのは勘違いだ。

 かつて大昭和製紙の会長は、バブル時にルノアールを競り落とし「執務室に飾り自分だけで鑑賞し、死んだら棺桶に入れて一緒に焼く」と放言して世界中から顰蹙を買い、これで日本の評判も貶めた。

 この、買ったから自分の物で、もう何してもいいと思っても、それが社会に影響力のあるものであれば公共財となっているから、買う力がある者は適正な扱い方の出来る者だと社会から見做される。そこを勘違いするのは俄成金である。


 イーロンマスクの支持者は、そのやり方が適正だと思っている。

 だから良かったことをアレコレ言っているが、ほんとうなのか疑問なことばかりである。前に休眠状態の出版社がたくさんあって安く手に入るのだから買って好き勝手しようかと考えたことがあるけれど、それでは影響力の点で虚しい思いをするだけだと気付いて止めたが、影響力が有れば在ったで、駄目である。

 だから、金さえあればというのは幻想である。

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