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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 9月23日
  • 読了時間: 3分

更新日:9月27日

 国勢調査員がうろついている。

 それで変な人が居ると怪しまれたりしている。これは老人の小遣い稼ぎにもなっている。そこで心臓に持病がある80歳の男性が従事していて仕事している最中に死亡していたと報じられていた。

 この国勢調査は昔から苦情が多かった。家族構成から収入に関することまでプライバシー情報の最も重要なことを調査票に記入するので、不適切な扱いがあれば深刻であるし、そうでなくても不愉快になる。

 ところが、調査員が記入漏れなどを確認すると言って見てはいけないものを見てしまうことがある。これはかなり酷いようで、あちこちで起きているから新聞の記事にもなっていた。


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 そこでお節介な大家さんが、とんでもないことをする。

 このことも雑誌の記事になっていた。住んでいるアパートの大家さんが、落語に出てくる長屋の家主と同じ感覚でいるものだが、その一環として、国勢調査を回収に来るさい不在にしていてもいいように大家で預かり調査員に渡してあげるという余計なお世話をしている。実は親切ではなく、他人のプライバシーを見て楽しむためだ。だからプライバシー保護のため封をしているのに開封してしまう。

 だから、自分で渡すから預かってくれなくてもいいと言っても、どうしても預かると言ってきかない。それで無記入で封して渡すと「何も記入してないとは何事だ」と怒鳴り込んでくる。だから「封をしているのに開けたんですか。そんなことしてはいけません」と言うけれど、その意味が大家には解らない。そして大家の奥さんが優しく「難しかったかな。他の人の見ますか」と言ったそうだ。

 こんな人たちは、自分のやっていることがノゾキであるとは気づいていない。覗き趣味なんて悪趣味の最たるものだが、その当人は自覚してない。


 そもそも国勢調査は必要なのか。

 かつて始めたころには意義があるとされていた。そして、あくまで統計のためにする調査であるから、回答するさい氏名は本当のことを書かずに偽名を記入するべきだと言う人や、それを実行している人が昔からいた。

 こんな調査は必要が無いという指摘もある。自分も最初はプライバシーの問題から匿名で記入するべきだと思っていたが、今はそうではなく国勢調査そのものが無用であり予算の無駄使いだと思うようになった。


 だから国勢調査はボイコットしている。

 国勢調査に応じるのは国民の義務だと調査票の封筒に謳われているが、なんのために調査するかを考えると、その調査結果に基いて色々とやることが政府にはあるのに、その義務はさっぱり果たされないのだから、まったく意味が無いのだ。

 だいたい、80歳の心臓疾患がある人が働いて死んでいる国で、何を調査するのか。

 

 うちの母親は国勢調査は危険だと昔から言っていた。

 もともと、社会的な意識が高い人ではないのだが、それでも容易に理解していた。国勢調査の類は内容からして権力による統制につながるものだと言っていた。

 ところがうちの父親はニタニタしながら「国民の義務だからな」と言って喜々と調査票に記入していた。そして封も糊付けしなかった。

 これについて、うちの母親は、言っても解らない人に言うだけ無駄だと諦めていた。確かに、鈍感その他の解らない人たちに説いて聴かせるほうが野暮というものである。

 だから国勢調査についての問題はこのへんで止めておく。解かる人はとっくに解かっているはずだから。

 ただ、調査票は手渡しすると指示されているのに、今回うちも近隣も郵便受けに入っていた。担当する人が、回収する気もなくやっているからではないだろうか。

 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 9月8日
  • 読了時間: 4分

更新日:9月22日

 坂本弁護士一家の遺体が発見されて30年になった。

 この日、江川紹子はSNSで発信した。この事件のあと生き残った者の責任なるものを。いったい、どんな責任なのか。

 かつて彼女はテレビに出たさい、危ない新興宗教団体について坂本弁護士に相談を自分がもちかけたから、巻き込んでしまったと言って号泣して見せた。これが唐突でわざとらしい感じだったから、女子高生たちが「ウソ泣きオバサン江川紹子」と言っていたことがマスメディアで取り上げられていた。

 

 また、江川紹子は、事件のおかげでテレビに連日の露出となった。

 このギャラのおかげで、出演する度に着ている服が見るからに高価そうになってゆくから、事件の犠牲者を踏み台にして自分の利益にしている江川紹子、というのが当時の社会一般の評価だった。深刻な社会問題にさいしての「火事場泥棒の焼け太り」とも言われていた。安倍晋三の殺害事件でも同じ現象が見られたが、とにかくあの当時のことを知らない人や忘れた人ばかりではない。

 しかも江川紹子は、文具のカッターナイフを持っていたことを「銃刀法違反」として別件逮捕している警察が問題になったさい、違法に逮捕されたのが事件を起こした宗教団体の信者だから「今回は仕方ないと思います」とテレビでトンデモ発言した。

 

 右翼活動家の鈴木邦男が、江川紹子のような発言は危険だと指摘した。

 やはり江川紹子の発言ばかり流すと不公正であるとテレビ局も判断したのだろう。鈴木邦男を出演させて「カッターナイフで銃刀法違反にする別件逮捕のようなことは、政治活動をしている者に対して警察が弾圧するために散々やってきたことだ。私と私の仲間もやられている。別件逮捕だけでも違法であるし、権力の人権侵害に対して今回だけの例外だなんて言ってはいけない」と、事実や体験に基いて指摘していた。

 この鈴木邦男の指摘は常識の提示であり、また江川紹子の非常識と嫌らしい権力ヘツライに対する批判でもあった。


 映画監督の山際永三も批判していた。

 よくテレビドラマの演出もしていた人だったが、その一方で、テレビ特にワイドショーの人権侵害を危惧し、それを問題にする運動を始めた。その中で、組織の幹部が事件を起こした新興宗教団体の、事件とは関係ない一般信者とその家族へのメディアリンチ、とくに悪質なのは子供まで巻き込む、という煽情的で不真面目なテレビ番組を問題にしていた。

 そのようなテレビ番組に出ている江川紹子と有田芳生の、官憲にすり寄っての威張り腐った言質や態度はまさに「虎の威を借る狐」だと指摘していた。これは世間一般でも、やはり山際永三と同じ受け止め方であったから、江川紹子や有田芳生は評判が悪かった。

 しかし、そういう権勢に媚びる人こそマスメディアは起用し続ける。それで得た知名度を利用して有田芳生は姑息な国会議員になった。


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 日本弁護士連合会も空々しい。 

 坂本弁護士一家皆殺し事件節目の30年で、渕上玲子会長が談話した。「弁護士が妨害に屈したら、市民の人権と社会正義が失われる」だとさ。

 現実には、坂本弁護士事件から弁護士はことごとく萎縮している。坂本弁護士が属していた法律事務所のように「人権派」だと、狂信者と敵対しても警察が守ってくれない。だから警察を批判するのではなく、権力の迫害を受けた人達を無視したり放置したり侮辱までしたりする。どこの法律事務所でも、どこの弁護士でも、だいたいそうなってしまい、闘うことは避ける。問題から逃げてばかり。各弁護士会と日本弁護士連合会は、権力の人権侵害に味方して善良な市民を迫害している。

 それを誤魔化すため、マスコミむけに空々しい談話をしてみせる。心にも無いことを。


 これでは坂本弁護士も浮かばれないだろうが、犠牲になったのが他の弁護士だったら、これに対して坂本弁護士はどうしたか。

 おそらく法曹界の大勢に流されて抗することはできないでいるだろう。


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 8月15日
  • 読了時間: 2分

 八月十五日は終戦の日ではない。

 もちろん終戦の日は九月二日である。それまで戦争は終わってないから、散発的に戦闘は続いていたし、日本と戦争をしていた国々で終戦の日は九月二日としている。戦争は相手があるから、戦争を終わらせることで相手と合意しなければならない。その合意で日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏の文書に調印したのが九月二日である。これで戦争が終わったのだ。

 ならば八月十五日は何なのか。


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 八月十五日は日本が戦争で勝つことを諦めると発表しただけ。

 だから戦争が終わってない。それなのに、どういうわけか終戦の日と言っているが、実は敗戦の日だ。にもかかわらず靖国神社に参拝する人たちがいる。敗戦の屈辱と無念そして戦争の犠牲者を弔うのではなく、国の為に戦争で命を捧げた英雄を称えると言っている。戦争で負けたのに。それも惨敗であったのに。

 なんで、勝ってもいないのに、英雄を称えるのか。これは日本独特の信仰によるものだ。


 無念の死を遂げた人を神として祭り煽てる習慣が日本に昔からある。

 これは怨念・怨霊を恐れてのことだ。日本人は、殺しておいて、死んだら霊を恐れる。湯島天神の菅原道真や、怪談お岩の亡霊を、祟らないように神として祀る。だったら殺さなければいいのだが、そういう発想にならない日本人の奇妙さである。

 だから靖国神社も、戦争で死んだ人達が祟らないように神として祀っている。もとから英霊とは、戦争で勝つことに貢献した人のことではないのだ。

 

 これだから、日本人は軽々しく戦争を始める。

 そして負けても平気でいる。悲惨な目に遭っても、そこから反省しない。この、宗教というよりオカルト信仰から日本人が脱しないと改まらないのだが、もともと日本人は宗教に関心が乏しいから、自分の社会に昔からある奇妙な信仰に気づかない。

 これが原因で、敗戦の日に、惨敗した戦争で非業の死をとげた同胞を英霊として称えて何か意味があると思い込む。そして戦争と平和という大事な話を真面目に考えることができなくなっているのだ。


 

 
 
 
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