top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月4日
  • 読了時間: 2分

 ゆうメールを出したら郵便局で嫌なことがあった。

 ゆうメールは手紙を入れてはいけないので開封して検閲するという。そんなことは今まで数え切れないほどゆうメールを出したけれど一度も無かった。手紙は入れてないかと問うだけで、入れてないと言えば信用してくれたものだった。

 だいたい、今どき別便にすべき手紙を同封するなんてことをする人はいないだろう。


 送り状や納品書は同封してよい。

 それで、手紙ではないかと検閲する。書籍などを送付するなら、思想信条に関わる。誰にどんな内容のものを送るのか調べるのは通信の秘密の侵害につながる。 

 だから封をして、口頭で確認するだけで中身を出して見ることはしないものだ。

 そんことも解らない郵便局員。


 今はイーメールに写真を画像添付して瞬時に届く。

 それでも実物を送りたいから、届けばいいというのではなく、なるべく丁寧に心を込めて綺麗な包みにする。これは手紙でも写真でも書籍でも同じだ。包むのは日本の文化である。

 それを今どきケチで手紙を同封する者なんかまずいないのに、それを開封して調べ、中身を取り出して手袋もせず触り指紋・手垢・皮脂をつけたうえ乱暴に閉じる郵便局員。この人は女性である。ガサツではなく硬直化していて規則を盾に偉そうにしているのだ。 



 郵便法違反になる危険物などは仕方ない。

 もしも深刻なことがあったら取り返しつかないから、どんなに信用できる差出人でも、なにか危惧される場合には確認するのは仕方ないことだ。しかし、ゆうメールに手紙を入れたところで深刻なことはあり得ない。料金を少しズルするだけのことで、それだって昔のことだ。

 また、手紙を入れてないと申告しても開封するというのは利用者を信用してないことになり、そんな失礼なこと過去にはしなかったはずだ。

 そして綺麗に包んでいたものを引きちぎってしまい、ガムテープを貼る。相手方に対して心を込めていた丁寧な作業が台無しである。


 こんなことをするから利用者が減るのだろう。

 それで料金を値上げし、さらに利用者が減るのである。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年12月1日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年12月1日

 アジアンドキュメンタリーが「アリ地獄天国」を配信した。

 これは「アリさんマーク」の引っ越し業者の過酷な労働と会社のアコギな体質に立ち向かい、個人加盟の労働組合に加わり会社に労働環境の改善を求めて三年に渡り苦闘した従業員の記録ということになっている。

 しかし、このアジアンドキュメンタリーはヤコペッティのいかがわしい記録映画と同じ手法であるという批判も強い。



 その後、この従業員は、加盟した労働組合から食い物にされたということで騒ぎになり、当人は去ったし、このドキュメンタリーにとって原作ともいうべき本は、その内容に対して美化しすぎと厳しい批判があった。

 それなのに、今さら何だというドキュメンタリーである。


 労働組合が労働者を食い物にする実態は色々と言われてきた。

 だから、かつて『ナニワ金融道』で知られる青木雄二が、就職誌から会社のどこを見るべきかを問われて「労働組合があるか」と答えたら掲載されなかったということがあったけれど、これだけでは労働組合に対して幻想を抱くことになる。

 かつて一緒にバイトしていた二十代前半の男性が、早くも結婚して子供もいるからと正社員の他にも働いていたけれど、その職場は連合の山岸会長が出身の会社なので、労働環境は組合のおかげで良いと言っていた。給料は安いけれど。


 ところが、その山岸会長は組織力により政治を動かせると勘違いしたような態度だった。

 それで労働運動そっちのけで政治ばかりだと言われ、テレビに出たさい「私のしていることを『政治道楽』と言った人がいる」と言って怒っていた。佐高信に言われたのだった。

 今の吉野会長は統一協会と密接らしく、やはり政治ばかり、しかもヒステリックな反共ばかり。

 これでは大きな労組も何のためかという話になる。

 

 労働組合ではないが、農業協同組合も似たようなものだ。 

 その「農協」について、農家の人も言っていた。零細な農家のためにあるという建前だけど、実際には零細な農家から上前撥ねているだけだ、と。

 つまり組合も油断してはならないものということだ。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年11月28日
  • 読了時間: 3分

 「使えない奴」という侮辱の言葉がある。

 これを面と向かって言う品の悪い人がいるけれど、言われても気にすることない。悪いのは先輩や上司の方であるのに責任転嫁していることがよくあるし、そりが合わない場合もある。実際に仕事が駄目だったとしても、職場との相性が良くなかったのであって能力の問題ではないことが実に多い。

 だから大体の人は気にしてないし、そんなことを言う奴は軽蔑の対象である。


 

 ところが気にしている人は、ほんとうに能力が問題のことがある。

 これが正社員でも臨時職員でも学生のバイトその他でも、最初の職場で言われてショックだったということらなら、慣れてしまえば大丈夫だけれど、そういうのとは違って、どこの職場どんな職種でも全く務まらなかった人は、気にするのだ。

 そうであっても、あくまで自分の問題である。ところが、こういう人は他罰的傾向があるので、自分だから言われたとは思わず、一般的にひどい侮辱をするさいに言うものだと考える。そのうえ、そんなことはするものではないと普通なら考えることができるのに、それが出来なくて、自分が言われて悔しかったから他人に言ってやろうと思うのだ。


 そういう人が片っ端から「使えない奴だな」と言っていた。

 そういう悪口を言う状況や場面ではないのに、シチュエーションなど関係なく「使えない奴だな」と言い出す。最初は何を言っているのかと誰でも不可解だったが、事情を知って理解する。この人は自分が言われてばかりで、それに耐えて努力し評価されたことが無かった人なのだな、と。

 そんな人は、自分がいかに有能かと自画自賛するもので、誰からも褒めてもらえないから自分で言うしかない。その証拠に、なにか面白くないことがあると唐突に「使えない奴だな」と言い出す。それにより自分が言われてばかりだったことを露呈させているのだが、当人は気づいてない。


 こういう人たちを「精神病グループ」と言っていた人がいる。

 それは他人から悪口で言われているのではなく、実際に病院の精神科に長く通っているとか、精神障害者として手帳を所持しているとか、そんな人たちが屯っている。そしてインターネットでも同様の行動を取っている。

 この病気のため、みんな生活保護を受けているのだが、それを差別して言う「ナマポ」を他人に向かって言う。構造は「使えない奴だな」と同じ。自分がそうであることを他人の関係ないことに言う。よくあるのは、親の資産があるから悠々自適か、それに近くてちょっとバイトすれば生活など余裕という人に「ナマポ」と罵る。この場合、言うとしたら「ニート」のはずであるが、そんな区別が出来る脳など彼らの頭の中に入ってない。


 このように構造とか仕組みを解明すれば容易に理解できる。

 例えばインターネット中でこれと似た話に触れたら、だいたい当てはまる。だから不可解がる必要はなく、病人だと解っていれば憎たらしいけれど仕方ないと思える。そして、しばしばこのような人たちは法に触れる形で迷惑行為をしているから、そのさい行政や司法の公的機関による対応にこそ厳しい目を向けるべきである。とんでもない怠慢だから。

 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page