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  • 執筆者の写真井上靜

関西だけでなく東京でも事情あって夜に学ぶ機会を剥奪

 東京都教育委員会は、現在の中学2年生が受験する2026年度入試から、都立高6校の夜間定時制課程で生徒募集を停止する方針を明らかにした。

 前に比べて定時制高校に通う人が減っているらしいが、そうすることで高校に通えなくなる人が出ないかと危惧されている。

 それに、事情あって働きながら学ぶ人は減ってはいても居なくなったのではなく、これからまた増加するかもしれないことは、また日本が貧しくなっていることから充分に予想できることである。



 これは関西のことだったと記憶している。

 経済的な事情だけでなく、健康上の事情とか、虐めが原因で不登校になったけれど学校で勉強はしたい人のために、夜の学校が存在意義を持つようになっている。

 それを「学識経験者」が会議で、例えばサントリーの経営者は「水商売じゃあるまいし」と嗤いながら言い、パワハラで有名なシンクロの女性コーチは「甘えている」と侮辱しており、この議事録が明るみになって酷すぎると騒がれた。真面目な話し合いの場で悪ふざけとしか思えず、見識どころか人間性が疑われた。


 こんな人たちが教育で影響力を持つようになってしまった。

 だから、本当は事情ある人たちのための配慮を無くして迫害してサディスティックな快感を味わっているのではないかという疑いが出るのだ。

 前に竹中労という芸能ルポルタージュで有名な人が、こうした学校のことは、社会の反映であり、社会がサディスティックになっていると指摘していた。

 そのとおりで、どう考えても、人を傷つけるのが快楽であるとしか思えない社会の現状である。


 恵まれている人が他人に思いやりの心を持たないこともある。

 先の、見識どころか人間性を疑われる発言力をした人たちも、ただ大企業の重役とか、スポーツ界で地位があるとか、その程度のことで識者とされてしまい思い上がっていることが言葉の端々から解かる。

 もともと、自分が恵まれているから良いというのではなく、自分が良ければ良いというのは恥ずかしいという武士道・騎士道の精神で識者は発言するものだったはずだ。そこまでの実力がなくても運よく偉そうにしていられることで、人を見下す癖がついたのだろう。

 そんな現状だから、事情あって普通に通学できない人が学ぶ場を無くしてしまえとニタニタしながら言っている連中の顔が思い浮かぶのだ。

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