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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年2月4日
  • 読了時間: 3分

 婚姻は両性の合意のみによって成立する。

 この、憲法の規定を持ち出して、同性婚は憲法違反だと言う滑稽な人たちがいて、これに対して既に法的な誤りだと指摘がされている。これは、このあいだ弁護士だった国会議員が言っていた。

 もともと、この規定で法学的に問題になっていたのは、「のみ」の部分だった。他にも成立させる条件はあるからだ。これは法学部の授業でも話題に取り上げる先生がいた。

 しかし、これは言葉の綾だとも言われていた。「合意のみ」とわざわざ謳うのは、結婚する当人が他から強制されてはならないということだから。また、「両性」とは男女のことだが、これは結婚する当人という意味だから、男と女、男と男、女と女、どの解釈もできる余地があり、少なくとも男とと女でしか結婚できないという意味ではない。そもそも、仮に同性婚を禁止するとしても、それを憲法で規定するわけがない。憲法とは、そんなことを書くものではないからだ。

 つまり、憲法は何のためにあるのかということからしても、結婚を強制されてはならないという意味でしかない。封建時代には親などが勝手に決めてしまうことが普通だった。それで悲劇も起きていたし、そうまでする意味も乏しくなった。だから当人の自由であり、強制しても無効だということ。

 あと問題があるとしたら、そうであるのに強制されてしまい、これを当人が仕方なく認諾している場合だ。しかし、この多くの場合、当人が財産や家業を優先させているからで、こうなると、どうしようもない。 



 職業選択の自由も同じだ。

 前に、医療の問題で、美容外科があってもいいし、それ自体に遣り甲斐を感じている医師がいてもいいし、儲かるから選ぶ医師がいてもボッタクリなどせず真面目やるならいいけれど、その一方で命に関わる分野の医師が足りなくなったら問題だという話をしていたところ、職業選択の自由だと言う医師がいた。

 もちろん、まずは医学界または医療と厚生の政策や行政の問題であり、医師個人に対して、もっと社会に役立つ分野をやれと命令することは不適切である。

 しかし職業選択の自由は違う。これも婚姻は両性の合意のみにて成立するというのと同じで封建制度を否定する規定である。封建制度では、親から勝手に結婚相手を決められてしまうのが普通だったが、職業も親から引き継がないといけなかった。それでは当人の意欲や才能が無視されてしまい、当人も気の毒だが社会の発展を妨げることになる。また、家業を継ぐ都合から結婚相手も自由に決められなくなってしまうことがある。だから、結婚の自由と職業選択の自由は関連がある。

 むしろ、たいへん金がかかる医学部に行かないと医師になれないから、親が富裕とか、親も医師とか、そういう人がどうしても多くなっている現実の方が、よほど職業選択の自由として問題である。


 こんなことは当たり前だと思っていた。

 ところが、そうではなかった。それを先日の元弁護士国会議員の話から思い出したのだった。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年2月3日
  • 読了時間: 2分

 かつて同じ高校の人が、その父親に頼んださいのこと。

 これは、友達と一緒に街へ飲みに行きたいから、自分らをクルマで連れて行って欲しいという頼みだった。帰りは、みんな電車やバスに乗り、彼の場合はタクシーに乗って、帰宅するから。

 しかし、何か用事があってのことならともかく飲みに行きたいからというのに、親をわずらわせるというのは如何なものかと誰でも思うだろう。

 すると彼の父親は、こう言ったのだ。


 「クルマでお送りとは、どんなに偉くなったんだ」

 これでは、駄目とは言ってないが、もう頼めない。それに、クルマで送って貰うというのは、確かに、それなりの人のことである。息子が父親に甘えて、それも未成年者の子供ではなく、成人している社会人で、やむをえない用事でもないのに、クルマで送って欲しいというのは身のほどをわきまえてない。

 それでバカ息子は諦めたのだった。



 「偉くなった」は、皮肉で言う言葉だ。

 これは他人から評価される場合でさえ、皮肉でなければ先ず言わない。面と向かって言うのはもちろんのこと、第三者と話しているさいにも、偉くなったというと皮肉である。

 「出世したね」でも、少し慇懃無礼になる場合があるけれど、失礼ではない。ところが「偉くなったね」と言ったら、それなりの地位に就いた人に対して言ったとしても皮肉になる。普通、褒めたり称えたりするさい「偉くなった」という表現は使わない。

 ところが、自分で自分のことを大真面目に自慢して「偉くなった」と言う人もいる。


 よく、チンピラが勘違いする。

 「闇バイト」と実質が同じ汚れ役を押し付けられて、立派な仕事だと煽てられて、その気になってしまう精神の未熟な人がいる。そんなチンピラでさえ、役を任されていい気になってはいても、それで自分は偉くなったと言うことはない。他人から褒められて言われる言葉でもなければ、自画自賛するさいに使う言葉でもない、ということは解っているからだ。

 ところが、たまに、損な役割を煽てられ乗せられてやらされているのに、錯覚して「頼りにされている」と勘違いしてしまう人ならいるが、それどころか「自分は偉くなった」と思って、それを堂々と口にする人がいる。

 こうなると、ただ言葉づかいがなってないのではなく、精神疾患とか人格障害とかの深刻な場合だから要注意である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年1月26日
  • 読了時間: 2分

 高校の時に保護者面談を学年で唯一やらなかった。

 担任教師が、配慮してくれた。それは、父親が教師に合うと空々しい嘘を言うし、母親は言動が奇妙だから精神病だろうと教師は察していたから、これでは話にならないと判断したのだ。

 だから誰か代わりに保護者になっていれは、そちらと面談していたが、それは卒業後のことだった。

 ところで、保護者面談に関して「作家」「日本保守党首」の百田尚樹サンが変なことを言った。 

 百田尚樹サンは次のように述べた。

 子供の学校での保護者面談で、次の順番の親を呼ぶ時、今は普通に子供の姓で「〇〇さん」と呼べるが、選択的夫婦別姓が採用されると、面談に来る親がどちらの姓かわからない。先生、どうする?普通に子供の姓で呼べばいいじゃないかという意見もあろうが、別姓を選ぶ人はこだわりが強いので「私は〇〇ではありません」と文句言いそう。


 これに教師を経験した人たちから次の指摘があった。

 まず、全員等しく「〇〇さんの保護者の方」と呼ぶので、全く問題ない。なぜなら教師にとって大切なのは生徒だから。親御さんは「〇〇さんの保護者」以外の何者でもない。素人が聞いた風な口をおききになるもんじゃない。

 そもそも保護者面談は「保護者」との面談である。必ずしもその生徒の「親」が来るとは限らない。様々な家庭事情の生徒がいるから。従って自分も現役の時は次の方をお呼びする時は「○○さんの保護者の方」だった。全く 何も知らぬ素人が知った風な口をきかないでほしい。

 などなど。



 バツ(X)でも、この件には「コミュニティーノート」で指摘があった。

 現場の教員は様々な事情の家庭の児童がいる事も想定した上で「〇〇さんの保護者の方」と現在でも呼ぶのが一般的であり、選択的夫婦別姓が導入されても百田尚樹氏の懸念するような事象は起きえません。


 まあ、百田尚樹サンは難癖つけるためにちょっとした思いつきで話したのだろう。

 それがSNSで拡散され話題になった。それにしても、保護者=親という発想は、どこから出るのか。それに、保護者=親なら、最初からただ親と言って保護者とは言わないはずだ。親が死んでしまったとか、生きているけれど何かの事情で駄目とかで、親戚その他の人が保護者ということは、昔から今までいくらでもある。

 ところが、ちょっと考えれば解る常識なのに解らない人が、こと家族のことになると解らない方が普通になる。そうに決まっていると思うからだ。必ずしもそうではないという現実を絶対に認めない。

 
 
 
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