そんなことを憲法で規定するわけない
- 井上靜

- 2月4日
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婚姻は両性の合意のみによって成立する。
この、憲法の規定を持ち出して、同性婚は憲法違反だと言う滑稽な人たちがいて、これに対して既に法的な誤りだと指摘がされている。これは、このあいだ弁護士だった国会議員が言っていた。
もともと、この規定で法学的に問題になっていたのは、「のみ」の部分だった。他にも成立させる条件はあるからだ。これは法学部の授業でも話題に取り上げる先生がいた。
しかし、これは言葉の綾だとも言われていた。「合意のみ」とわざわざ謳うのは、結婚する当人が他から強制されてはならないということだから。また、「両性」とは男女のことだが、これは結婚する当人という意味だから、男と女、男と男、女と女、どの解釈もできる余地があり、少なくとも男とと女でしか結婚できないという意味ではない。そもそも、仮に同性婚を禁止するとしても、それを憲法で規定するわけがない。憲法とは、そんなことを書くものではないからだ。
つまり、憲法は何のためにあるのかということからしても、結婚を強制されてはならないという意味でしかない。封建時代には親などが勝手に決めてしまうことが普通だった。それで悲劇も起きていたし、そうまでする意味も乏しくなった。だから当人の自由であり、強制しても無効だということ。
あと問題があるとしたら、そうであるのに強制されてしまい、これを当人が仕方なく認諾している場合だ。しかし、この多くの場合、当人が財産や家業を優先させているからで、こうなると、どうしようもない。

職業選択の自由も同じだ。
前に、医療の問題で、美容外科があってもいいし、それ自体に遣り甲斐を感じている医師がいてもいいし、儲かるから選ぶ医師がいてもボッタクリなどせず真面目やるならいいけれど、その一方で命に関わる分野の医師が足りなくなったら問題だという話をしていたところ、職業選択の自由だと言う医師がいた。
もちろん、まずは医学界または医療と厚生の政策や行政の問題であり、医師個人に対して、もっと社会に役立つ分野をやれと命令することは不適切である。
しかし職業選択の自由は違う。これも婚姻は両性の合意のみにて成立するというのと同じで封建制度を否定する規定である。封建制度では、親から勝手に結婚相手を決められてしまうのが普通だったが、職業も親から引き継がないといけなかった。それでは当人の意欲や才能が無視されてしまい、当人も気の毒だが社会の発展を妨げることになる。また、家業を継ぐ都合から結婚相手も自由に決められなくなってしまうことがある。だから、結婚の自由と職業選択の自由は関連がある。
むしろ、たいへん金がかかる医学部に行かないと医師になれないから、親が富裕とか、親も医師とか、そういう人がどうしても多くなっている現実の方が、よほど職業選択の自由として問題である。
こんなことは当たり前だと思っていた。
ところが、そうではなかった。それを先日の元弁護士国会議員の話から思い出したのだった。



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