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​炬火 Die Fackel 

更新日:2021年6月23日

 アマチュアの映像作家による短編映画が、機器の発達によって昔より今は盛んになったかというと、逆に衰退している。

 この話題から、SNSを通じて機器と映像作品の問題になったので、自分でも直接に知っていること語ろうと思う。


 かつて、家庭用の動画カメラは8ミリフィルムが主流だった。ネガが無いので複製は簡単ではないが、その代わり手軽に撮影できるという利便性があった。

 これは旅行や家族を撮影するためだけでなく、ドラマやドキュメンタリーの短編映画製作にも使用された。これがホームビデオの普及により衰退したうえ絶滅も同然の状態になる。


 これらは、どう関係しているのか。

 まず旅行や家族の撮影は、長時間の撮影が可能で現像不要のホームビデオの方が便利である。また初期は大きくて重たかったビデオカメラも、そのうち技術の進歩により片手で軽々と扱えるものが出る。こうなると、フィルムのムービーカメラは専ら芸術作品が使用目的になってくる。

 そして、全体的な売り上げが減って利益が少なくなる。これまでカメラやフィルムのメーカーが、その利益からアマチュア映像製作のコンテストや主催団体に財政援助していたけれど、厳しくなって遂に打ち切りでコンテストの中止や団体の解散という事態になる。



 こうして、80年代から、ホームビデオの普及に伴いアマチュア映像作家と小型映画の作品発表の場が消えていく。

 また、いくらホームビデオが普及しても、画質や音質などから芸術作品には向いていなかったが、そのうち技術的な進歩があって芸術作品が製作できそうでも、発表したり競い合ったりということが、かつてのようにはならなかった。


 なぜなら、まずテレビ番組でとりあげる一般家庭のビデオは、偶然に撮れたハプニングを面白がるものが主流であったから。

 次に、映像作家を目指す若者むけのテレビ番組は、周知のとおり前衛的というのではなく奇をてらっていて悪ふざけのようにしか見えない作品が高評価される。そんなものしか応募がないのかと思い真面目な作品や芸術的な作品を送ると、必ず、事前審査で不採用になったという通知とともに返送されてくる。

 これは、カメラやフィルムのメーカーではなくテレビ局のすることだからだ。機器の製造業者なら、それを上手に利用して高い水準の作品が世に出ることを歓迎するが、テレビ局は違う。軽い娯楽番組と定義していることに加え、優秀なアマチュア映像は自分たちの地位を脅かすので黙殺する。


 こういう関連があった。

 そして、機器の進歩と大衆化によってアマチュアリズムは逆に衰退したのだった。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年5月24日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年8月6日


 先日、テレビでディズニーの映画『アラジン』が放送されたが、これについて「アニメ」と書きかけて、厳密には不正確な表現であることを思い出した。

 そもそも「アニメーション」とは絵を動画化する技術のことだから、それによって製作された映画なら「アニメーション=ムービー」などと表記すべきで、省略して「アニメ」というのは日本で作られた言葉だから、外国で「アニメ」というと日本製の作品という意味になるらしい。


 これを英会話教室で聞いて思い出した。

 あの高畑勲監督が昔、確定申告のさい職業欄に「アニメーター」と書き込んだら、税務署の職員からどんな仕事なのかと問われ、映画関係と言わずに絵の仕事と言ったら「絵描きの先生ですか」と言われてしまった。

 それだと日本画家や洋画家のことになるし、絵を描くだけなら相棒の宮崎駿作画監督に任せている。当時はアニメーションという言葉が知られていなかったので、それを駆使した映画を作る仕事というアニメーターでは解らない人がいて当然だった、という話。


 そういうことなので、「ディズニーのアニメ」という表現は日本語ワープロには候補として入っているが、実は不正確ということだ。



 ところで、結婚披露宴の「お色直し」でコスプレ衣装を着る人たちが時々いる。時代劇の恰好をしたり、映画の真似をしたり。

 それで知り合いが『アラジン』の衣装を着て主題歌を流して悦に入っていた。新婦が、この映画の大ファンだったからだ。

 ただ、その新婦はかなり小柄な女性であった。新郎は特に大柄ではないけれど、花嫁と花婿は身長差がかなりある。しかも新郎は相当太っている。そんな二人がアラビア風の衣装を着て並んでいるから、招待客たちがヒソヒソと言っていた。

 「これじゃ、アラジンじゃない。ハクション大魔王とアクビちゃんだ」


 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年4月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年5月1日

 かつて『空想科学読本』という本が話題になった。

 これは、SF映画に登場する物事について科学に詳しいと自認する柳田理科雄(本名らしい)という人が解説するのだが、間違いだらけであるという指摘もたくさん出ていた。

 ちょっと読んでみたら、たしかに酷い内容だった。


 そのうち印象的だったためか記憶に残っているのが古典的人気SFテレビドラマ『ウルトラセブン』の武器「アイスラッガー」についての滅茶苦茶な解説だった。

 これは周知のとおり刃物の一種で、手に持って斧のように使う場合と、飛び道具にする場合と、二種類の使用方法が主である。

 このうち飛び道具とする場合をブーメランのように投げていることにしてしまい、それであの威力ということはアイスラッガーとは大変な質量であるという数値と計算式を書いて「私は数学や物理が得意だ」と自慢をしながら、そんな重たいものを常に頭に乗せているのだから、ウルトラセブンは首と背骨が余程丈夫なのだろうと皮肉っぽく説いていた。



 しかし、設定では「ウルトラ念力」だそうだけど、とにかく映像を見ただけでも、ウルトラセブンはアイスラッガーを投げておらず、飛ぶ向きや動きを意思の力で自在に操っている。

 また、飛ぶと発光しているということはエネルギーを帯びていて電熱メスのような威力があるはずで、だから手に持つより飛んでいる方が常に威力は大きい。

 しかも、その力には強弱がつけられ、怪獣の巨体を切り刻むこともあれば、人質を離させようとしたり殺したくない相手だったりの場合は斬るのではなくぶつけている。


 つまり、観ていれば明らかに全然違うのに、もっともらしく解説して、そこから誤った結論を導き出している、ということなのだ。

 これを思い出したのは、この柳田理科雄という人が、あるサイトで、また昔のドラマの内容について述べていたからだ。相変わらず、普通に観ていれば解る筋とか主題とかを理解できていなかった。

 まあ、あまり深刻な問題ではないから、それでもいいのかもしれないけれど。


 
 
 
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