『グッドウィルハンティング』と『ビューティフルマインド』と数学教師
- 井上靜

- 2020年12月6日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年6月24日
アカデミー賞ハリウッド映画で、『グッドウィルハンティング』と『ビューティフルマインド』は、どちらも心を病んだ数学の天才が主人公だった。
ここで違うのは、『ビューティフルマインド』は冷戦時代の話だから数学は花形の学問だったけれど、『グッドウィルハンティング』はずっと後の時代だから数学では教師がせいぜい。
『ビューティフルマインド』の主人公にはモデルがいて、軍の諜報部に暗号解読を依頼されて頑張ったつもりだったが、それは統合失調症による幻覚であった。後に彼は経済学に応用する理論でノーベル賞に選ばれる。その様子がDVDの特典に付いていて、授賞式で大江健三郎も一緒に映っている。
『グッドウィルハンティング』では、主人公の才能を見出す数学者が大学で教鞭をとりながら、自分を「栄えあるフィールズ賞を受けて、しがない大学教員」と言っていた。そして主人公は、本当に軍の諜報部から暗号解読などの仕事をしないかとスカウトされるが、戦争の片棒担ぎなんてまっぴらごめんだと拒否する。彼は病気ではなく、里親に虐待されたトラウマから喧嘩などしては警察の世話になっていたが、そのさい社会に懐疑的となって権力にも批判的だったのだ。

この、数学やっても教師くらいしか仕事が無いというのは、宇宙論のホーキング博士も学校の先生から言われたことがあるそうだ。
そして、自分の出た高校の若い数学教師は、田舎の国立大学を出て高校教師になり、自己保身のことばかりの最低男だった。自分の数学担当ではなかったが、生徒会の顧問だったので、自分は生徒会役員だったから、ついでに数学のことを質問したことが何度もあるけれど、まったく教えてくれなかった。なぜなら、自分の数学担当は学年主任でもある年配の教師で、その授業で解らなかったから他の数学の先生に教わって解ったとなると、先輩教師の顔を潰したことになってしまうと勝手に配慮していたからだ。その年配の数学担当教師は、そんなことで顔を潰されたと思うような狭量な人ではなかったし、他の数学の教師は、訊けば教えてくれた。
この調子だから、生徒会活動でも、何から何まで頭ごなしにダメだと弾圧し「軽率にやっては一時的に盛り上がるだけで後に禍根を残す」と言うが、これは「お前らは卒業すれば関係ないが、こちとら教師稼業を続けて行かないといけない立場なんだ」の意味であった。
今思うと、あの時、退学届を書いておいて、生徒会室で糞数学教師を殴ってから校長室に行って届を出して出ていけばよかったが、なんでその覇気が無かったのか、情けない限りである。
できることなら、タイムマシンで戻って『バックトゥザフューチャー』というより『ターミネーター』みたいに教師を殺しに行きたい。そう思って悔やむより、あの時に啖呵きっておくべきだった。青春は二度と帰らない。



コメント