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​炬火 Die Fackel 

 ウォルフガング-ペーターゼン監督が死去したとの報。

 

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 『ネバーエンディングストーリー』が最も人気がある映画だろうが、その前に『Uボート』によって知られるようになっていた。

 のちにハリウッドに進出し、ビバリーヒルズに住んでいた。それで死去した場もアメリカだった。ハリウッドで金をかけた映画を撮るためアメリカに媚びる内容ばかりになったから、このことで、『ネバーエンディングストーリー』は良質なファンタジー映画だったのにと言われ、勘違いした人からは『Uボート』は反戦映画だったのにと言われたものだった。

 

 『Uボート』は公開当時、原作者が批判していた。

 小説は反戦だったが、映画化はハリウッド式の活劇になってしまったと言うことだった。監督の候補に挙がっていたのはジョン-スタージェスとドン-シーゲルというアメリカの活劇が得意な監督たちだったそうだ。だから製作者は活劇映画にするつもりだったのだろう。

 もちろん、ペーターゼンもフィルモグラフィからすると活劇にしか関心が無い人だろう。しかしドイツ人が監督でないと演出に支障があったのではないか。『Uボート』は、乗組員たちの言葉はドイツ人でも聞き取れないほどの訛りで、それにより戦争に駆り出されたのは地方の若者たちということが判るからだ。

 この、巻き込まれる庶民の部分が、小説では重要だったけれど、映画化では無くなっていた。これが不満だったと原作者は言っていた。


 いつも戦争に駆り出されるのは地方の若者ということだ。

 これは、よく映画に描かれる。かつて名優-三國連太郎がテレビドラマで戦争体験のある男を演じたさい、自分は地方の出身者で、戦争に行くのは農家の次男坊・三男坊だと語る場面があった。映画『野生の証明』では、三國連太郎が地方のボスに扮して地元の自衛隊の幹部に「倅です」と紹介したら「立派な若者ですね。どうです自衛隊に」と言われ「いや、男の子は一人だけなので」と言う。戦後も「自衛隊に入る農家の次男坊・三男坊」と言われていた。

 そんな人が今でもロシアでは地方に行くと多くいて、ウクライナに派遣されている兵士も、そうだということらしい。ところが中国は違い、かつて人口抑制のため「一人っ子政策」をして、少子高齢化になるからと最近になって止めたから、跡取り一人息子を軍隊に入れるのを嫌がる人ばかりになり、経済力がついたから金かけて装備を近代化しても人が足りず、だから中国は戦争できないと言われる。


 最近、自衛隊が隊員を集めるための調査でプライバシー侵害をしたことが問題になった。

 この経済状況では、自衛隊に入る人が多いかと思ったら、やはり少子化の影響があるらしい。しかし金がなくて大学進学を諦める人は増えている。

 その中には、学歴がなくてもなれる公務員ということで自衛隊に入る人もいて、辞めたあとで社会に対するルサンチマンから暴力に走る人も一部にいて、ついに元首相を銃撃ということまで起きたのだった。


 ペーターゼン監督には『シークレットサービス』という映画もあった。

 クリント-イーストウッドふんするベテランが、若い者と一緒に要人の乗った自動車の周りを走って体力的にシンドイ様子だけど、最後は活躍する。

 よく言われる、元首相銃撃のさいの警備の御粗末は、実際にどうだったのだろうかとも考えてしまう。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月19日
  • 読了時間: 3分

 かつて人気映画『トラック野郎』に怒っていた人が警察にいた。

 それは、最後に必ず人や荷物を大急ぎで運ぶためスピード違反し、停止を命じる警察に対し菅原文太が「こっちは、お前らと違って暇じゃないんだ」と罵声を浴びせ、追跡するパトカーや白バイを振り切って逃げ、そのさい転倒するパトカーや白バイの様子が滑稽で警察をコケにしているからだった。


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 この映画の原案は、主人公の相棒役の愛川欽也だった。

 彼が声優として吹替をしたアメリカのテレビドラマに運転手が主人公のシリーズがあって、そこから発案して東映に売り込んで採用され、ちょうど『仁義なき戦い』シリーズが下火になったので、その主演だった菅原文太が主役となり、愛川欽也も共演することになったという。それでヒットしたのでシリーズ化した。

 この愛川欽也がふんする「やもめのジョナサン」は元警官で、第一作では運転手の喧嘩に巻き込まれたことで警察署に連れて行かれて、元警官のくせにと嫌味を言われる。これに菅原文太が「昔のことは関係ないじゃろ」続けて「彼は警察から綺麗サッパリ足を洗ったんじゃ」と言うので小松方正の扮する警官が激怒し「なんだ、その言い方は。警察は暴力団じゃない」と怒鳴るが、菅原文太は「桜の代紋を掲げた全国最大の組織じゃろが」と言い返す。

 これで観客は爆笑するが、警察の中には怒る人もいただろう。


 また劇中で「やもめのジョナサン」は父を亡くした幼女を引き取る。

 その子の父親は運転手だったが免停を食らって、生活のため慣れない工事現場で働いて事故死したのだった。

 「厳しい取り締まりで鬼警官と呼ばれた当時は、なんで法律を守らないのかと運転手たちに怒っていたけれど、運転手になった今は解る。過積載やスピード違反をしないと生活していけないんだ」

 また、菅原文太の主人公は、一度は一目惚れした女性を、彼女の訳あり恋人に会わせるためスピード違反してまで彼女を彼のところに送るが、その恋人の訳とは、やはり運転手だったけれど死亡事故を起こしてしまい賠償金に苦しんでいたのだった。勤め先が小さい会社だったので酷使されての過労による居眠り運転が原因だった。

 俗な人情喜劇で社会派の映画ではないが、内容に深みを出すため風刺があり、そこから自然と反権力っぼくなっていたのだ。


 こうした零細な運送業者が、国鉄スト破りに動員された。

 やったのは中曾根康弘で、後にテレビで得意になって語っていた。これについて労働組合は、自分たちが甘かったと認めていた。全国規模の組織だからと驕り、労働組合もない未組織の運送業者たちが権力者に利用されることまで考えてなかったからだ。アメリカではトラックドライバー組合の大組織があり、マフィアと提携までしていたことを『フィスト』という映画が描いており、シルベスター-スタローンが主演であった。だから彼は後にもトラック運転手の役を演じていた。


 のちに中曾根康弘は首相になると国鉄分割民営化で労働運動に止めを刺した。

 こうして全国規模の労働組合がなくなり、支持する大組織を失った野党は壊滅的な打撃を受け、与野党が拮抗する「55年体制」を打破したと、中曾根康弘は自慢していた。

 このさい中曾根康弘は統一協会と手を組んでいた。だから合同結婚式にも公然と祝電を送った。こうして今の日本は、統一協会と創価学会の宗教支配となった。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月10日
  • 読了時間: 2分

 文芸座が地上と地下とミニホールだった旧建物の当時。

 夏休みには地上で和製のSF映画やホラー映画を、地下では反戦映画を、特集していた。子供のころ、地下の方にも関心はあったけれど、お金が無いので地上の鑑賞が多かった。社会派の映画は勉強になるからとは言っても、だからと御小遣いをくれる気前の良い親ではなかった。


 学校の先生の中には場所が良くないと言う人がいた。

 それは当たっているかもしれない。安い暇つぶしで来る人にマナーの悪い人がいて、映画館で他の客が不快だったのは殆どが文芸座であった。また、その教師は「オカマに寄って来られたことがある」と言っていた。そういうことは上野のハッテンバとしてしられる映画館なら普通だが、そうでない映画館では迷惑行為である。


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 しかし夏の「社会を告発する。反戦反核映画特集」は真面目な客ばかりだった。

 その中で観に行った数少ない映画が『野火』であった。併映が『真空地帯』(原作・野間宏、監督・山本薩男)である。どちらも見応えがあった。

 『野火』は再び映画化されていて、塚本晋也が製作・脚本・監督・撮影・主演をこなす自主製作だった。そして、やはり『鉄男』の監督らしい恐怖映画仕立てなのだが、しかし旧作よりも、原作である大岡昇平の小説に雰囲気が近かった。旧作は監督-市川崑、脚本-和田夏十すなわち『ビルマの竪琴』の夫妻によるものだが、小説を読んでから観ると話が違うような気がした。だから新作の方が良かったと思う。


 あのころの夏休みに、お金があって、もっと文芸座に通えたら、もう少しマシな人間になっていたのではないかという気も、今はしている。

 
 
 
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