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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月24日
  • 読了時間: 2分

 「貧乏が生んだ知恵」

 あの円谷英二は、特殊撮影(特撮)とは、それがそもそもだったと言っていた。そして今度アカデミー賞の特殊視覚効果の部門で、ゴジラの新作が日本映画として初めて受賞し、それもハリウッド映画に比して低予算で仕上げていたことも称賛されたが、そうなると元々ケチな日本の映画界では、工夫すれば良いと増々ケチにならないかと危惧もされた。


 そのうち、何でもCGで表現できるようになるかもしれない。

 そして、その進歩と普及により、金もかけなくてよくなる可能性がある。これは、どんなことでも同じだ。

 なら、自衛隊の描写も防衛省の協力が無用になる。かつて書いた脚本も映画化できるだろうか。怪獣映画を撮った監督に読んでもらったら「この話では自衛隊が悪役になっていて、

協力を拒絶されてしまうからと没にされる」と言われた話を。

 あれから何十年も経過し、オキシジェンデストロイヤーの構造が解明され、非核三原則や国際原子力機関の監視で難しい核兵器ではなくデストロイヤーを、芹沢博士個人の研究所でも作れたから自衛隊の設備なら大量生産できるぞと取り組む話は、そんなに自衛隊を悪者にしているのだろうか。

 もちろん、自衛隊の幹部たちが危ない発想を真面目に語っているという場面の連続ではあったけれど。



 話は変わるが、先日ここで、前に同人誌に発表した小説の話をした。

 そうしたら読みたいと言って来た人たちがいるので、ブログに転載しようとしたが、紙に印刷されたものだけで素のデータが無いのだ。そうなるとスキャンして変換する方法しかないけど、これは手間がかかるうえ読み取り間違いが多い。書き写した方が早いかも。どうやるにせよ暇を見て少しずつ作業している。

 それでは、ついでにシナリオ化しようか。低予算で映画化できるネタだからスポンサー探してもいい。製作費を集めるのか意外と簡単で、その管理がむしろ難しい、という話は、前にした通りである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月11日
  • 読了時間: 2分

 前に雑誌に書いた日本映画監督協会の創立記念祝賀会を取材した記事の件。

 この催しで、同協会は、映画の著作権は製作者ではなく監督にと主張していた。これについて、スタンリーキューブリックみたいに製作兼監督とすれば良いのにと言うと、できることならそうしたいが難しいというのが監督の立場だった。



 それをスタンリーキューブリック忌日で思い出した。

 キューブリックは『スパルタカス』で雇われ監督となり揉めた経験から「ますます製作の管理面に首を突っ込むようになったが、しかし映画の芸術面での成功は、この分野での闘いにかかっている」と言っていた。

 それで自分が映画を作るなら製作・監督でないと無理だなと思った。それは、もちろん難しい。


 製作費を集めることは難しくない。

 なぜなら、あるところにはあるからで、集めたあとの管理の方が難しい。そう言っていたのは三浦和義氏であった。彼は映画製作を手掛けたことがある。そして、交渉すれば幾らでも出て来るというほどだったそうだ。しかし、集めた資金を製作に関与する者が着服したので、業務上横領で刑事告発したという。

 むかしから、映画製作で横領は珍しくなかった。大作にしては安っぽい出来なのは製作に関与している者が横流したからで、それで家を建てた人がいたとか酷いこともあった。



 ところで交渉というと刑務所の暖房である。

 かつて「ロス疑惑」で騒がれて逮捕された三浦和義氏は、収監された宮城刑務所で執拗に抗議と請願を繰り返し、冬に暖房を入れさせたのだった。緯度からして暖房は無用だと突っぱねる刑務所の職員に対し、では自宅にも暖房は無いのかと突っ込むと、有ると白状した。この結果だった。これを映画化で高知東生が演じていた。

 最近、長野刑務所で凍死者が出た。低体温症であったのに病死といって誤魔化していたという酷い話である。


 要するに、無いとか駄目とか言われても交渉次第ということである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月10日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年3月11日

 菅野完氏の、ご意見は苦情も含めて電話で、と携帯電話の番号を公開し、着信で番号表示なら出る、録音もする、場合によってはインターネット上で公開というか曝す、というのは、なかなかグッドアイデアだと思う。

 少なくともメールより良いかもしれない。前にメールで、匿名に対して答えられるのはここまでだと伝えたところ、不誠実だと文句をつけた人がいた。手前は匿名で勝手に質問しておいて。そんな厚かましい奴がいるのかと言われそうだけど、居るのが現実である。

 だから、その点では携帯電話が優れていると言い得る。



 ところで、因みに98年末、宇多田ヒカルの『Automatic』で、「♪名前を言わなくても声で直ぐ判ってくれる〜」は、固定電話でナンバーディスプレイ無しということになる。携帯電話は広く普及し始めた時期だ。





 遡って85年、渡辺美里『Growin'up』で「♪Telephone Number〜訊ねても無駄よ~私の住所は~何時だってTake a journey〜」ということは固定電話の意味になる。当時は携帯電話など普及してなかった。ただし、自宅に不在というより自分探しの旅をしているような意味合いで「生き方を模索しているのだからナンパ男なんて相手にしないよ」という歌詞である。

 このように十代の渡辺美里は、ちょっと尖がった感じがあって好きだったのだけど、二十歳以降は良い詩だけど内容的に優等生となってしまって残念だった。なにも尾崎豊のようなのは求めないけど、毒気が無くなった。しかも曲調が洋楽風のロックではなくJポップになった。それで人気が出たのだけど。



 同年、小林明子のヒット曲『恋に落ちて』は「♪ダイヤル廻して〜手を止めた〜」というのが時代遅れと言われた。

 当時すでにプッシュホンになっていて、子供なんか最初から押すのが当たり前になっているから、ダイヤルの電話を使わせると番号を押して手応えが無いから首を傾げるようにしたものだった。

 それを承知の上で、躊躇いの表現に拘ったということらしい。



 ラジオの『子供電話相談室』は、開始の主題歌が「♪ダイヤル、ダイヤル、ダイヤル、ダイヤル!(ベル音)回して…」というフレーズで有名だったが、ヒッチコックのサスペンス映画『ダイヤルMは殺し(マーダー)の番号』は『ダイヤルMを廻せ』という邦題にしていた。



 それで、98年にリメイクされたら『ダイヤルM』となり「廻せ」が無くなっていた。それでもまだ変だった。原題は『完璧な殺人』で「ダイヤル」も無い。当時すでに電話はダイヤルじゃなくなっていたから、リメイクを強調するにしても不可解な邦題だった。



 レトロ趣味でダイヤルの黒電話を使っている人を見たことがある。

 しかし、ダイヤルの移動する距離によって入力されるため、留金の部分に指を押し付けるように回さないと距離が変わって別の数字になってしまう、という不便さがあった。しかもディスプレイに表示されないから気づない。このため、ダイヤルの電話が普通だった時代は、間違い電話が非常に多かったのだ。

 これだから、レトロ趣味で使っていた人も次第に使わなくなったはずだ。

 
 
 
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