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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月3日
  • 読了時間: 3分

 末期がんで入院している患者が死の寸前に自分は指名手配者の桐島聡だと明かした。

 これは実際にそうだったのか、明確にするには材料が乏しかった。指名手配のさい名前と顔写真の他には指紋などが無かった。しかし当人としては、死亡診断書などを作成するさい誰だか不明確では困ると思ったらしい。

 この指名手配の写真を交番で見た人は多い。しかし昔の写真で、今では老人だから外見が変わって判らないだろうと言われていた。もう死んでいるだろうと言っていた人も多い。


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 『ゴールデンボーイ』という映画があった。

 スチーブンキングの小説が原作で、逃亡しているナチ戦犯容疑者の老人が入院中に正体を知る人と会ってしまい自決する一方、その直前に老人と出会った少年は、その話を興味本位で聞いているうちに影響され、世の中から役立たずの人を抹殺すべきだと思い浮浪者を次々と殺害しては満足するという、怖い話である。

 では、その桐島さんに影響された少年はいただろうか。


 その小説はオムニバスで、同収録には『スタンドバイミー』の題で映画化された話がある。

 しかし同じ少年の話でもナチズムに影響され殺人事件を起こすという話は危ないので、最初は出版社が収録を躊躇したと伝えられる。

 さて『スタンドバイミー』の主演リバーフェニックスは、後に『旅立ちの時』というシドニールメット監督の社会派青春映画に主演していた。ここでは、主人公の両親が、先日死去した指名手配者を名乗る人と同じく反権力の立場で爆弾事件に関与し、それで逃亡中であった。

 この両親はベトナム戦争に怒って軍事工場を爆破したが、その巻き添えで警備員を犠牲にしたことを悔いていた。しかし元の原因である戦争をしている国の権力から裁かれて罪を償ったことになるのは納得できないから逃亡し、同情した人たちが密かに生活費を寄付していた。フィクションだが夫婦にはモデルがいる。


 桐島聡を名乗る人は、人を殺してない。

 ただ違法な爆発物を取扱っていた。だから死ぬまで逃亡するより刑務所に入ったほうが短い刑期だったはずで、逃亡は間違えた対応だと言う人もいた。江川紹子なんかが、そんなことを言っていた。

 彼はアナキストだったらしい。だから、リバーフェニックスふんする映画の主人公の両親と同じく、権力から裁かれたくなかったはずである。小松川事件をモデルにした大島渚監督の『絞首刑』で、在日朝鮮人の少年が、自分の罪は認めながら、自分を抑圧・差別してきた権力の象徴である日の丸に向かって「この旗の下で裁かれることを拒否する」と言うのと共通している。


 察するに、彼は逃亡すること自体が目的で、それが反権力の発露だったはずだ。

 そして完遂し、死の直前にカミングアウトしたということ。

 ちょうど、赤狩りでハリウッドを追われたダルトントランボが、偽名で書いた脚本でアカデミー賞を取り、その後に脚本を書いた『パピヨン』では、脱獄した主人公が「ザマミロ、俺はここだ」と原作にはないセリフを叫ぶが、これと同じ心情だったはずだ。


 しかし、権勢に媚びて上から目線で優越感を丸出しする江川紹子のような人たちには、とうてい理解できないということだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年1月27日
  • 読了時間: 2分

 実話に基づいたハリウッド映画『エリン・ブロコビッチ』の場面でスーツの話がでた。

 有害物質の垂れ流しによる汚染事件で、深刻な健康被害を受けた住民に雇われた弁護士に対し、大企業に雇われた弁護士たちは「虎の威を借りる狐」の態度であった。

 そのさい着ていたのは黒くて威圧感のあるスーツで、主人公エリンらは相手方の感じ悪さに、あんな服装は商売柄だろうと言う。


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 ところで2日に初売りをする店がある。

 そのうち紳士服のチェーン店は毎年恒例としている所がある。拙宅の近所にもあるので、今年は見に行った。店員が、体型を一目見て何型の何号ではないかと言い当てたから、さすがプロだった。

 そして裁判所に来ていくスーツを探している、と言った。今までは裁判所にも洒落たスーツを着て行ったが、やはり威圧感のある黒いスーツにしようと思う旨を話した。そして、ちょうどよいのがあったので買った。


 このさいの話で、黒でも喪服とは違うとのことだった。

 ただ見ていると黒い服も、喪服を着た人と一緒にいると黒く見えなくなる。たしかに、そういう場違い体験をしたことがある。

 一方、結婚披露宴では堅苦しくなくてもいいので楽だが、スピーチして欲しいと言われることがあるので断っている。面白い話をしてくれと言われても、自分が話すと大島渚の映画みたいになってしまうから、と言うことにしている。そうすると誰も頼まない。


 ネット通販は駄目だと言う人たちがいる。

 まず、身につけるものは寸法が合わないことがよくあるので避けると言う人たちがいるけれど、それはまだ細かく測っていれば対応できることで、ほんとうの問題は見た感じであるということだ。実物は写真と違って良くないことが多い。

 これについて、店で働く人が言うには、写真だと実物より良く見えるそうで、そう写すためにカメラマンが撮るからではなく、どんな撮り方をしても着て写真を撮ると必ず実物よりよく見えるのだそうだ。


 そういう次第で威圧感のあるスーツを購入した。

 もちろん裁判所に何を着て行っても良い。知り合いの弁護士が言うには、弁護士は依頼人のために堅い服にしているそうだ。

 和服でもいい。先日、傍聴に来た方は着流しだった。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年12月27日
  • 読了時間: 1分

 ある作家が指摘していた。

 「とんでもありません」と言う人が時々いるけれど、これは「とんでもない」の末尾を「無い」であると誤解しているから、丁寧に言うつもりで「ない」を「御座いません」にしているのだ、と。


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 かつて山本富士子も言い間違えていた。

 それで、山本嘉次郎監督に注意されていた。その美女さを褒められた山本富士子は謙遜して「とんでもございません」と言ったため、山本嘉次郎に「とんでもございません」という言い方は間違いだと言われたのだ。


 「とんでもな」に「い」が付いているのだ。

 これを、間違える人は「ごぞんじなかった」のだと、その作家は言った。そこで気になったことは「ごぞんじなかった」という言い方も、もとは無かった。「ぞんじています」などは謙譲語である。だから、相手のことで丁寧に言うつもりで「ご存知ですか」は本来なら間違いである。

 だから「とんでもありません」の間違いを指摘しながら、その間違いは正しい言葉を「ごぞんじなかった」と言っているので、その点では少し滑稽であった。


 けれど、「ごぞんじ」は定着してしまった。

 あまりにもよく使われるので、容認されてしまったらしい。しかし言葉の意味をよく考えたら明らかに間違いだから、自分としては使わないようにしている。


 
 
 
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