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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年8月8日
  • 読了時間: 2分

 黒澤がヴェンダースと話したさい、編集がいちばん面白いと言われたそうだ。

 そして黒澤は、撮影しているときがいちばん面白いとのことだった。黒澤は編集が映画製作の画竜点睛だと言っていて、編集する素材を作るための撮影という認識だった。

 しかし、面白いのはどちらかとなると、話は別ということだろう。


 撮影と編集といえば黒澤の『隠し砦の三悪人』が好例。

 ここでもっと迫力があるのは、三船敏郎の扮する主人公が、馬に乗って逃げる敵の侍を馬に乗って追撃し追い付き斬り伏せる場面。

 中平康監督から「あんな移動レール敷く金があったら僕も撮れる」と言われた黒澤明監督は「あれは移動ではなくカメラを振ったパンだ。その方が背景の流れが強まる。あんな山の中にレール敷く場所はない」と。

 これは編集が巧みではある。


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 しかし、望遠でパンすると移動みたいに見える。

 また、同じ場所を繰り返し走って撮っているけれど、その度にレンズを変えている。これをつなげるから迫った感じになる。

 つまり撮影が的確だからこそ出来る的確な編集なのだ。

 そうしてみると、撮影と編集と面白いのはどちらかということで監督による違いの訳が解ってくるのではないか。


 親戚がフィルム編集者で、弟子入りしないかと言われたことがある。

 その後の顛末は置くとして、編集は地味な日陰者だけど監督に信頼されていると全面的に任されるし、役得もある。スターたちからの付け届けだ。自分が良く映っているのを使って、と。

 『蒲田行進曲』で、風間杜夫ふんする時代劇映画のスター「銀ちゃん」が、撮影のさい自分ばかり映ろうとして蟹江敬三ふんする監督が怒る場面があって、これに観客は笑っていたけれど、とかくスターはそうしたがるので、あとは編集者に「よろしく」と付け届け。ただし低予算だと撮ったフィルムが少ないから加減しにくいけど。

 この余談は、前に少し語ったことがあるので、読んで憶えている人もいるかもしれない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月21日
  • 読了時間: 2分

 病気で入院した知人が食事のキウイに辟易していた。

 これが週に三回は出て来るから、もともとは嫌いではなかったけれど飽き飽きで嫌になってしまったということだ。キウイはビタミンが摂れてカリウムの摂りすぎの心配が少ないから、栄養士は病院食にすぐキウイを付け加える。

 その病院でも、そういうことなのだろう。


 ちなみに芸能の話題。

 先日、川上麻衣子が、亡き親友の誕生日だからと可愛かずみ追悼の話をしていた。そのデビュー作で「わあ、キウイだ」と喜ぶ場目があり、この80年代の始めには、まだ珍しくて憧れの果物だった。


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 閑話休題。

 彼の退院は全快ではなく入院の必要性が絶対的ではないからで、帰宅してから不安を抱えているそうだ。そのような場合は、病院などの有床診療所ではなく療養施設に入ってそこから患者が通院または医師が往診ということになるのだけど、入院と違って健康保険が使えないという問題がある。

 そして、よく子供や嫁が介護で忙殺されたりする。


 昔は入院食がもっと豪華だった。

 それが90年代後半の保険制度改悪から病院の食事にしわ寄せとなり、ケチケチした献立になってしまったのだ。

 だから、キウイやパイナップルにはタンパク質分解酵素があるから消化を助けるために付いているので、昔は入院食でもステーキに添える形で出たものだった。それがショボいオカズにポツンと付くようになってしまい、これでは飽きて当然だ。

 また、昔は身の回りのことが困難なら退院の延期もしてもらえた。


 健康保険は値上がりばかり、内容は貧弱になる一方なのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月5日
  • 読了時間: 2分

 DVDを再生して有無を言わさず出る画面がある。

 そのうち奇妙というか不可解なのは「リッピングは違法行為です」という警告と一緒の漫画である。あれはどうやらギャグのつもりらしいが、あれを面白いと思う人がいるのだろうか。

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 もちろん映画館での「映画泥棒」というのも退屈だが、あのモノクロ漫画のつまらなさには敵わない。

 どちらにせよ、警告や啓発なら、真面目にやるべきではないのか。


 あと「新作情報」というやつ。

 これがメニュー画面に予告編として出るものは、観てつまらないものは少ない。そうではなく最初に自動再生されるものが、二十分以上も長々と、しかも中身が退屈である。

 あれは多すぎるのではなく、予告編として宣伝するのが下手なのではないか。

 そう思っていたら、違うという人の指摘を聴いた。


 あれは数が多すぎて長いからでも、宣伝が下手なのでもない。

 では何故かというと、映画が下らないからだ。それを、どう宣伝しても魅力あるようにはできるはずがない。だから、自動再生で強引に見せるしかない。

 では、どう下らないかというと、若者が無意味に叫んでいるばかりで、これでは予告編によって興味を持つわけがないけれど、そんな予告編しか作れない御寒い内容ということだ。

 これが、たまにはそういう映画もあるとか、そう感じる人もいるとか、そういうことではなく、そのような映画が粗製乱造されているというのだ。

 この指摘は当たっていると思った。


 なぜなら、そうなる業界の構造があるからだ。

 つまりテレビがつまらないのと同じことである。それに付き合っては時間と電気代の無駄なだけでなく、精神的にも悪い。

 ということで、予告編を見るか否かの判断基準は、自動再生で有無を言わさず見せようとするものであるか、自分で選択して観るか決められるものか、である。くだらないものは早送りに限る。


 
 
 
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