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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月10日
  • 読了時間: 2分

 ジャズ批評で知られるアメリカの作家ナット-ヘントフは小説もある。

 彼の最初の小説が『ジャズカントリー』だった。これは高校生の時に読んだけれど、当時はジャズという音楽に詳しくなかったので、ずっと後で再読することになる。

 他に学園もので『この学校にいると狂っちゃうよ』を、高校の図書室で呼んだ。これは不本意な学校に行かされている生徒の話だが、最後の盛り上がりが秀逸だったことで読み応えがあった。


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 もう一つの学園もの『ぼくらの国なんだぜ』はいわゆる社会派だった。

 この題名のとおりで、教師による学校新聞の検閲に反対する生徒の話で、作者がベトナム反戦運動や黒人公民権運動などの理論家であったことが反映している内容だ。

 それで、これを高校の図書室が何かリクエストはあるかというさい申請した。


 どういうわけか、そのころ通っていた高校の図書室はリクエストで奇妙だった。

 よく、何かリクエストはないかと図書室の担当教員は言うけれど、それでいて希望が叶うことは殆どなかった。後で事情を聴いたら、どうも個人的な趣味としかいえない本ばかりだったからで、その一つが同じ組の人の希望で空手の教則本だった。そんなものは自分で買えというわけだ。しかし、編み物の本は購入していて、女子から大変に多いリクエストがあったからだというから、この学校の女子に編み物する人がそんなにいるのかと意外だった記憶がある。


 ところが、少ないリクエストが通った。

 それがナット-ヘントフの『ぼくらの国なんだぜ』だった。これは無理だろうと思ってリクエストしたのだけれど、図書室の担当をしている当時まだ若い教師が『ぼくらの国なんだぜ』は購入するよと直接に口頭で伝えてきた。

 これを知っている生徒は他に居ないだろうが、個人的趣味ではないということだった。それに、担当教員も、みんなに読んでもらったらいい内容だと思ったらしい。


 あと、その先生の同情もあった。

 あの時、生徒会活動の中で、前にも述べたとおり顧問のクソ教師たちから「お前らは卒業しちまえばそれでいいが、こちとら教師稼業を続けていかないといけないんだ」と言われて行事や校則について問題提起する印刷物を、ことごとく止められたうえ侮辱的な言葉を浴びせられるなどの迫害を受けていた。

 それを見ていたこともあったのだった。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月5日
  • 読了時間: 1分

 歯の嚙み合わせに問題があった。

 それで近所の歯科医に頼んで調整してもらったのは良かったのだが、このさい一部にある痛む部分に薬を塗ったところ、歯から口外に漏れて皮膚に垂れてしまった。この薬は皮膚に付くと藍のように染まってしまうから、しばらく取れない。


 最初は気づかなかった。

 後でマスクを取ったら顔に縞々模様ができているのに気付いた。再診で行った翌日に、これは何かと問うたら、歯科衛生士が薬で染まったと言った。服に付いたら洗えば落ちるけれど、皮膚に付いたら染まってしばらく消えない。しばらくしたら自然に消えるけれど、それを待つしかない。そういう説明だった。

 

 そして歯科医が診た。

 この人は診療所の副院長で、院長の娘である。痛みはもう大丈夫という確認と共に、縞模様を見て「ごめんなさいね」と言った。


 まるで『虎よ、虎よ!』である。

 この小説の主人公のように、顔が虎のような縞模様になって復讐ということにはならない。いずれ消えるし、ほとんどマスクで隠れるし、なんか主人公になった気分をしばらく楽しめる。


 アルフレッド-ベスターの『虎よ、虎よ!』は、今まで読んだSF小説のうちベスト作品である。


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  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年10月30日
  • 読了時間: 3分

 ブラッドベリの小説で一番人気は『火星年代記』だろう。

 その証拠にSF小説の人気投票で常にハインライン『夏への扉』とキース『アルジャーノンに花束を』と共に上位にあがっているし、図書館にあるものは他より手垢がたくさん付いている。

 この新装版で、元は1990年代の未来という記述が2030年代に変えられている。よくSF小説では、書かれてから年月が経過して、内容的に古びてはいないけれど設定の年になっても科学が進歩していないことがあるどころか、そればっかりである。

 その最たるはクラークの「宇宙のオデッセイ」シリーズで、映画化のキューブリック監督は「もうじき2001年だけど『2001年宇宙の旅』が実現しそうにありませんね」と言われて「NASAが仕事をサボっているからだ」と応えた。

 また『夏への扉』も1970年代から2000年代という設定だが、そこに描かれる科学技術は全く実現していない。せいぜい自動で動き回る掃除機「ルンバ」程度である。ディックの小説が原作『ブレードランナー』は冒頭で2019年と表示されるが、人造人間はいなくて、動かない「ラブドール」が売られているくらいである。


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 そういうことが次々と証明されはじめた80年代、その後半になっても、まだ解らない人がいた。

 その最たるは「SF作家」の豊田有恒である。もととも『鉄腕アトム』の台本を書いていたが、虫プロ追放のあとで小説家になり、原発推進派の代表みたいな存在になる。そして原発の廃棄物はロケットに積んで太陽に向けて打ち上げれば良いとトンデモ発言していた。86年のスペースシャトル打ち上げ失敗で爆発した事故のようなことになったら大変なことになる。そのトンデモ発言を批判されてもまだ、将来は科学技術の進歩で解決できるようになると言い張る。もう一つ彼が関与した『宇宙戦艦ヤマト』のコスモクリーナーみたいなものが発明されるハズということである。


 こうした具体性の無い「何とかなる」で「見切り発車」を正当化するのは無見識である。

 ところが、そういう発言する人は他にもいて、例えばチェルノブイリ原発事故の当時、東京大学の助教授(今の准教授)であった舛添要一が、原発に色々と問題があっても将来は解決できるようになると、何の具体性もなく言っていた。将来への希望ではなく空虚で無責任な思考停止であった。

 こうした無責任・無見識の人たちは、マスコミに出て大企業から金をもらうためデタラメでも良いと思って放言しているのだろう。そんなのは論外である。


 それより大事な現実を認識すべきである。

 これはオリンピックが無意味になったと指摘されているのと同じである。かつては体力と技術の進歩で新記録が塗り替えられる連続だったから盛り上がっていたが、それも限界になり面白くなくなってしまった。だからドーピングする選手がでる。それと同じように科学技術の進歩も、体力と同様に知能からして、そろそろ限界ということではないか。だから将来に過剰な期待をしてはならない。

 
 
 
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