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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月25日
  • 読了時間: 2分

 海自幹部165人が靖国神社に集団参拝。

 防衛省は共産党の機関紙の取材に対して事実を認めた。これを同機関紙が報じた。その記事によると「研修」として公用バスで九段下まで赴き、史跡の見学をして「休憩時間」に165人が一斉に参拝したという。



 どうみても見学は方便だ。

 この問題で靖国神社の性質から批判する人たちがいて、これは共産党の機関紙も同じ姿勢だが、もちろんそれもあるけれど、靖国神社でなくても他のいかなる宗教でも、自衛隊の組織が関わると悪いことである。

 なぜなら、宗教は国より上にあるからだ。そして政府に従うなと宗教から指示されたら言う通りにしてしまうことがある。それを自衛隊がやらかしたら極めて危険だ。だから、個人なら信教の自由だが、集団だと問題になる。


 宗教も処世術で権力にすりよる。

 しかし、逆らうことも多い。例えば、スポーツ選手の中にはセレモニーのナショナルアンセムで起立しない人たちがいるけれど、独立運動のあるアイルランドやスコットランドの選手の他に宗教が理由の人たちがいる。だいたいエホバの証人の信者である。

 特にスポーツ選手にとって、国歌吹奏で反抗するのは難しいことだけど、エホバの証人のように信仰心が強い宗教では、神では無く人が作った国を崇拝することは拒否して当たり前で、命懸けで貫く。

 その点で靖国神社は大丈夫だと思ったら大間違いである。


 「富田メモ騒動」を思い出すといい。

 宮内庁長官が昭和天皇の発言を書き留めていた中に、靖国神社のA級戦犯合祀について、無神経なことで不快だから、もう参拝しないことにした、という趣旨の発言があり、実際それから昭和天皇はそのとおりにしていた。

 これが日経新聞によって報じられると大騒ぎになった。この政治的な影響は別にして、天皇と靖国神社とで考えが対立することが有り得ることは、はっきりした。

 そこで自衛隊の組織内の一部が、靖国神社に肩入れしたら、どうなるか。


 つまり自衛隊幹部たちの靖国神社集団参拝は自衛隊内での叛乱も同然である。

 これには厳正な処分が必要であり、参拝した幹部自衛官たちは逮捕して裁判にかけるべきである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月18日
  • 読了時間: 2分

 杉田水脈議員は最高裁判所に上告していた。

 TBS記者の男性から性暴力を受けたと訴えた女性の記者に対し、ツイッター(現バツ。エックスとも言う)上で「枕営業の失敗」などとする複数の匿名投稿があった。これらは明らかに、匿名で嫌らしいことを投稿する卑劣漢の行為であった。

 こうした投稿25件に「いいね」を押した杉田水脈議員は、侮辱的行為であると訴えられていた。


 一審の東京地裁判決は侮辱と断定できないとした。

 「いいね」だけでは何に対してか不明確である。侮辱と断定できないとした。それが「称賛」から「悪くない」まで幅広い感情を含み、また対象が投稿の全部か一部かも区別できない。

 この一般論により賠償責任を否定した。

 それはある。


 例えばクリミア情勢でのこと。

 政治的な共感ではあく、あの美人検事ナタリアポクロンスカヤにハートマーク押しただけの人は少なくないだろう。

 だから、差別発言に共感して「いいね」しても、杉田水脈議員にハートマーク押したのだと空々しい逃げも可能である。



 ところが杉田水脈は他でも悪意を示していた。

 これを二審判決は重視した。杉田議員が当時、その女性記者に批判的な言動を繰り返していたことなど、「いいね」が押されるまでの経緯から「侮辱する内容のツイートに好意的・肯定的な感情を示すために行われたものと優に認められる」と結論付けた。

 これに不服だった杉田水脈議員は上告していたが、裁判官全員一致の意見で、上告の理由に当らないと退けられたのだった。

 これは法的な仕組みからテクニカルに無理だったはずである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月15日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年2月16日

 世田谷区長が生活保護世帯へ大学の学費を補助すると発表した。

 これは年額50万円の給付で「制度の隙間を埋める」と言う。大変な決断であるが、これまで実施されてなかったことの方が問題というか意外というかのことである。

 しかし、よく考えたら不思議なことではない。



 もともと生活保護世帯の大学進学は禁止であった。

 なぜなら、生活保護は必要最低限であるから義務教育だけというわけだ。その後、高校進学率が九割を超えたので容認されたが、あくまで容認である。だから大学は駄目。どうしても行きたければ「世帯分離」という奇策しかなかったのだ。

 それで昔は通用していた。


 しかし学歴社会が成立して事情は変わった。

 こうなると、学歴と収入は連動する。だから進学に血眼となってマスコミが「受験戦争」と呼ぶ事態となり、家庭教師や受験予備校といった「受験産業」が成長し、受験で失敗すれば競争社会からの落伍を意味し人生の失敗者となるから、それが原因で早くも十代で将来を悲観して自殺する者まで出るようになった。

 ここで貧困家庭だから義務教育だけだとなれば貧困の再生産となる。ところが、そうしたことへ配慮する政策が無かった。


 それは、大学を勉強するところだと思ってない人が少なくないからだ。

 もちろん、昔は地主階級の息子が東京大学をはじめとした帝国大学に行き、学問を生かすのではなくハク付けでしかなかった、なんてことがあったし、その後も富裕層は坊ちゃん嬢ちゃん学校と呼ばれる私立大学に子女を入れていたから、その名残のようなものがある。

 しかし、田舎に行けば行くほど、大学は勉強するところではなく、経済的余裕がある家庭の者が、まだ働かなくていいということで行くものだという発想が生きている。しかも根強いから、なかなか消えない。

 だから、生活保護世帯の大学進学なんて生意気だと言う人たちがいるのだ。


 それで保坂区長の政策は画期的なのだ。

 これは保坂区長が田舎の保守爺婆とは相いれない政治家であることが大きい。実際に自民党の二世三世議員たちは、大学まで出ていても勉強はさっぱりやってない。勉強する気が全然なくても進学するのは普通のことである家庭の出だというだけのこと。企業だって、富裕でない家庭の出身者が会社訪問したら、いくら一流大学を出ていても駄目だと拒絶することが横行していた。

 そんなことでは国が衰退する。だから、このままでは不味いと気付く人たちが増え、それを受けての世田谷区長の決断だろう。

 
 
 
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