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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月27日
  • 読了時間: 2分

 れいわ新選組への激しい批判について。

 これが、あまりに凄まじいからびっくりしたという大学の法学部の先生がいた。かつては、共産党がこんな攻撃をされていたけれど、それがまるごと移動したというか、それ以上ではないかというのだ。

 むしろ逆に支持が増えるのではないかと述べてもいたが、これは皮肉と期待が混ざっているようだった。ただ、興味があるのは、社会の、どんな層から、批判されているか。内容からして与党支持者ではない印象だから。


 政策に対してなら、いくら手厳しくても良い。

 当たり前だろう。政治なのだから。ただ「山本太郎は芸能活動のため高校を中退しているので中卒と同じだから知性がない。そんなのと違って、米山隆一や鈴木寛は灘から東大だから、本人の知性も同級生のレベルも違う」とか言ってる人たちは、アホとちゃうかと思う。

 これが自民党の片山さつき議員のような人ではなく、「左派の政治クラスタ」で非インテリを見下している人たちなのが眼について嫌な感じを持ったと言う人もいた。

 その点れいわ新選組は、そうした人たちの心情に上手く填まったということか。


 前に二子玉のビル内で高校生の男女が人目を憚らずいちゃついているのを見た。

 という話題をここで取り上げたことがある。これに「今の若い者は」と言うことは到底できなかった。なぜなら、自分が若い頃のことを思い出すと、他人のことなど言えないからだった。

 でも、青春時代に受験勉強ばかりしていると、新潟県知事を辞した人ようになりがちだから、何も悪いことではない。

 かつて、フィクションのドラマとして仕立ててあるがネタは実際にあったことばかりという日本映画の中で、警察が裁判官を脅している場面があった。これと同じようなことを裁判所で目撃し、それも結構な堂々とした脅しぶりであったから流石に驚いた。

 しかし「青春時代に受験勉強ばかり」の影響で後から恥ずかしいことをしてしまう人は、裁判官や弁護士や医師にもいて、それで警察に知られて脅しのネタにされるのだから、権力のチェック機能など不全で当たり前である。


 もちろん、完全に学歴と一致はしない。

 逆に、勉強が苦手すぎたから学校で異性に接したことがあるのは小学校くらいという男が、まるで女性を解らないため、いい歳になってから深刻な問題を起こしている例も現実にある。

 どちらにせよ、学歴や偏差値を政治に持ち込むのは愚かしいことだ。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月20日
  • 読了時間: 3分

 日本共産党を追放された人たちは、追放して良かった人ばかりだった。

 その最たるは有田芳生であるが、自分から出て行った人たちでも、過激派と野合して連合赤軍となり殺人事件を起こした人たちなど、居なくなってくれて良かった。

 では、戦前に弾圧に屈して変節した人たちは、どうか。


 戦後の例、読売新聞の渡辺恒雄は、実は語ったところで面白くない。

 この人は、早坂茂三と同じで単純だから。早坂茂三は新聞記者をしていた時に、取材した田中角栄と意気投合し、誘われて秘書となった。渡辺恒雄も中曾根康弘と意気投合した。仲間が出来たから嬉しくてそっちに行ったということは、もともと思想信条など付け焼き刃だったからである。


 面白いのは水野成夫の方だ。

 商売でプロ野球に熱心な関与をしたことでは渡辺恒雄と同じである彼は、そもそも1928年2月1日の『赤旗』創刊時の編集長を務めた、日本共産党幹部の一人である。ところが、同年3月15日の大弾圧で検挙されると獄中で変節し「転向」表明の第一号となった。

 その後、フランス語の翻訳者を続けた後、1940年に変節仲間の南喜一と大日本再生紙という陸軍御用達の会社を設立し、それ以来、戦後もずっと会社経営者の道を歩む。経営者としては優秀だったようだ。

 この会社設立の時に陸軍省側の担当事務官をしていたのが、1957年にフジテレビジョンを水野とともに設立することになる鹿内信隆である。

 フジ産経グループを作ったのは変節した元日本共産党員と、元帝国軍人である。



 水野は政治活動で失敗したと自認していた。

 弾圧を受けて転向したが、その後も体制内で平等な社会を目指す政治活動を続けるつもりだったが、その組織は瓦解してしまい、挫折を味わっている。失敗を繰り返したため止めて、もうやらないと言っていたそうだ。

 しかし逆に弾圧する側に回ることは、やる必要がないはずだ。しかし水野成夫は鹿内信隆と共に経済同友会や日経連という財界団体で、戦後しばらくの産別会議の激しい階級的労働運動と闘っている労働者分断支配のエキスパートであった。


 まるで遠藤周作の小説である。

 この『沈黙』は映画などで知られているが、日本の基督教徒弾圧を甘く見て来日した宣教師たちが挫折し転んで、基督教を取り締まる仕事を死ぬまで続ける。

 前に、『沈黙』を再映画化したマーチンスコセッシ監督は、この映画を観ると遠藤周作の小説に描かれる日本の基督教弾圧をアメリカのマッカーシズムのように見ているようだが、実際には日本において遠藤周作はマッカーシーの側にいる右翼文化人であった事実を知らないだけでなく、小説の意図を読み取れていないという話題を取り上げた。

 もっとも、日本でも読み取れていない人が殆どだ。しかし水野成夫と併せて見れば理解しやすいのではないか。

 
 
 

 不正選挙は無いという人の根拠に失笑したことがある。

 もちろん不正選挙が有るという意味ではない。かつて元国会議員が指摘したとおり、不正選挙は逮捕者も出ているから、実際に有ったことである。従って問題の立て方は有り得るか否かではなく、どの選挙で有ったか否かである。

 つまり不正選挙は、(少なくとも日本では)一切有り得ない、というのは無理である。


 なにが根拠なのかというと政権交代があったということ。

 不正選挙があるなら政権交代があったのは何なのかと言っていた。どうやったら、そのような発想ができるのだろうか。

 この政権交代とは民主党政権が成立したことで、もう、かなり前になる、たった一度のことだ。

 それを根拠に、不正選挙は無いと言うのも無理である。有り得るか有り得ないかの問題は構造から考察すべきことで、わずかな例では判定できない。まして昔の一例では。



 ところが鬼の首を取ったように「政権交代は何なんだ」と。

 これが実例だと言いたいようだが、たったこれだけでは別に何か原因があったり事情が影響したりの例外だとも言い得るのだから、それを分析しないで決定的とするのは軽率である。

 あと、この軽率は不正選挙の犯人が自民党だと思い込むことが必要である。しかし、今の立憲党・国民党すなわち民主党の残党たちを見れば自民亜流の馴れ合い政党である。だから、政権から転落して損をする自民党自身なら政権交代は嫌だろうけど、自民党を利用したり操っていたりの勢力からすると政権交代で困ることはない。そうなると、不正選挙の犯人は自民党とは限らないのだから、自民党が政権から転落したからというだけのことを根拠にして不正選挙は無いというのは無理である。


 つまり不正選挙は問題ではない。

 もしも疑わしいなら騒げばいい。それ以前に、政権交代について幻想を抱いている人、特に立憲党の支持者たち、が問題である。最大野党が自民党の亜流であることは何が危険なのか理解できないということだから。

 
 
 
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