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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年4月14日
  • 読了時間: 2分

 小池百合子の学歴詐称疑惑が、また週刊誌で取り上げられている。

 この「カイロ大学卒」は、その当時に日本人が卒業なんて語学力などから到底無理という指摘があった。それでも卒業証書があり、カイロ大学が卒業を認めている、ということから一旦は沈静化しかけたが、その声明も自作自演という証言があり、それを週刊誌が取り上げたという次第だった。

 これは選挙が近づいて蒸し返されたのだろう。


 ここで騒ぐ週刊文春の手口は、相変わらずである。

 まず、小池百合子は首都の知事であるから公人の最たる立場であり、その選挙で広報に「カイロ大学卒」と明記しているから、これが虚偽であれば公職選挙法違反で失職のうえ刑事罰もあるのだから、疑惑があれば取り上げることには公益性がある。

 あの野村佐知代も、選挙に立候補したから、コロンビア大学で学んだというのが嘘ではないかと騒がれた。そうでないとプライバシー侵害となる。

 そうなると、疑惑が濃い灰色であり、公人ゆえ公益性がある、ということだから、小池百合子が名誉毀損で訴えても、卒業証書だって怪しいものだということで、報道に違法性があるとは言いにくい。この辺りを週刊文春は計算しているはずだ。もともと週刊文春は、こういう計算をして騒ぐことに長けている。それくらい昔からやってきた。



 卒業できるわけがないのに、卒業は噓ではないことは、ある。

 これは学位を金で買った場合である。皇族が外国の有名大学に留学する場合、宮内庁から多額の寄付があることは、周知のとおりである。だから通常では入学も無理なのに受け容れられている。

 それくらい、名門でも金次第ということだから、卒業は到底無理なのに卒業しているということは金が絡んでいると見たほうがいい。


 あと、卒業証書は当人だけに関係あるものだ。

 だから大学を卒業したあと大学院に行くとか就職するとか資格を取得するとかで他者に対して証明するなら、そのための証明書を発行してもらうし、そのさい卒業証書は無用である。こうなると、学歴詐称疑惑に対して卒業証書を出しても証明に限界がある。貴女には特別に証書をあげます、ということだったと言い得るからだ。

 それで、また選挙が近づいているから蒸し返されたのだろう。

 
 
 

 自民党の谷川とむ議員が「離婚しにくい社会が健全」と発言した。

 これは、離婚届だけでは簡単すぎるので、子供の対策を離婚の条件にするべきではないかという質問をしたさいのことだった。

 これに対して政府側から、それらの対応がされることは望ましいが、義務にしてしまうと、そうしなければ合意していても離婚できないなどの事態が生じてしまうから、子供のためとしながら却って子供のためにならないという答弁がされた。

 すると谷川議員は「離婚しにくい社会が健全」と発言したわけだ。


 つまり子供のためなんて嘘だということ。

 そもそも子供のための対策が離婚のさいに要るという趣旨だったのに、それでは離婚しにくくなってしまい悪影響して子供のためにならないと言われたら途端に、離婚しにくい社会が健全だと言うのだから、谷川議員の言う子供のためは方便でしかなく、ただ離婚しにくくするべきだと考えているということだ。子供のためにならなくていいということだ。

 なんてことはない、子供のためというのは子供をダシにしているだけ。



 離婚したいと言いながら離婚しない人は子供を言い訳にする。

 それを言い訳にする人がいるというだけでなく、制度にしてしまおうという発想をしているのが谷川議員である。

 これは自民党の基本的な姿勢だ。形式の家族にこだわり、家庭によって人が幸福になることを否定している。ここから、例の杉田水脈議員のように、家庭に「生産性」という発想を持ち込むなどの差別発言を連発する人が輩出される。


 しかし、これを支えるのは大多数の日本人たちである。

 愛情もなく経営体としての家制度が当たり前だと思っている人は、特に田舎に行くほど多いし、そんな田舎の保守とは別に、依存症で家庭内暴力などがあっても一緒にいる夫婦とか、サディストとマゾヒストの夫婦にとって暴力は愛撫の前戯だけど変態だと思われては嫌だとも考えているとか、そうした夫婦は離婚して当たり前だと周囲が見ていても、子供がいるから離婚しないのだという口実にしている。

 これは、自民党政権を存続させている一因として相当の影響があるはずだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年4月8日
  • 読了時間: 2分

 「五体不満足」で売り出した乙武洋匡という男。

 この人は上昇志向・権力志向であり、これは周知のことだ。前に失敗したのに懲りずというか諦めきれずというかで選挙にまた立候補を表明している。

 これを自民党が推薦することにしたけれど、公明党は難色を示した。公明党の支持母体である創価学会の婦人部から反発されるからだ。乙武が評判を墜としたのは女性問題だからで、こういうことに創価学会婦人部は神経質である。自分たちの組織の上層部については、かつての池田大作会長から色々とあっても大甘である一方で。


 乙武洋匡は三島由紀夫の『金閣寺』そのものだった。

 生まれつき足の動きが不自由であることを利用して女性の同情を買う柏木というキャラが出て来て、これについて主人公の説明が長いから三人称にしておくべきだったと言われる場面など、とにかく障害を不幸とは考えず上手く利用すればむしろ幸運だと考えて実行している描写がある。

 だから、乙武洋匡の女性問題がマスコミにも取り上げられたさい『金閣寺』だと言われたのだ。しかも「下半身大満足」とか「五人でも不満足」とか皮肉られていた。



 「身体障害は不便であっても不幸ではない」

 これは乙武洋匡が言う前から知られている言葉だ。ただし、後からけがや病気で身体障害者となった場合、これまで努力してきたことが全て無駄になってしまい、いまさら年齢は戻らないのでやり直しが出来ず、人生設計が破綻してしまうから、それで自殺する人もいるし、精神を病んでいる人もいる。そういう人たちを、精神科を中心に総合病院になっている都立松沢病院に行けば見かける。

 そうではなく生まれつきの障害なら、それを前提に人生設計することも可能である。ところが、蒙昧な一般人から差別や偏見を受けたり、公共の場が障害者への無配慮だったり、ということで困ったり苦しんだりする。


 この弱者を虐げる社会に対し乙武洋匡は肯定的である。

 ちょうど、貧しいなど恵まれない出自の人が、自分だけ抜け出せば良いという発想をしたり、女性なのに女性が差別されているのを嘲笑しながら男社会に擦り寄ったり、というのと同じである。

 こうなることは予想できた。特に画期的でもないのに乙武洋匡のことはマスメディアが大々的に売り出したことについて、障害者の問題に関心がある人たちは違和感を覚えていたが、そうしたら「やはり」ということだ。

 
 
 
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