top of page

​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年7月23日
  • 読了時間: 2分

 カルト宗教を法規制せよと主張する人と、信教の自由の観点から反対する人がいる。

 法規制してもよいと言う人たちは、カルト宗教が宗教であることを隠して入信に誘導するので詐欺的であるから、まともな宗教とは違うと考えている。

 例えば、統一協会や幸福の科学は、一般的な悩み事の相談など宗教とはまったく関係ないように装う。

 こういうのと他は違うから信教の自由について問題なしと言っている人たちがいて、これに反対する人たちは、あくまでも悪いのは強引に金を取ることだから、それなのに勧誘の仕方が悪いから規制しろというと教義の内容に踏み込む場合もあり信教の自由を侵害することになると言うわけだ。


 では、本当に宗教一般は堂々とした勧誘と自発的な入信なのか。

 そんなことは無い。宗教であることを隠して勧誘のため接近することもあるし、宗教であることを表明して勧誘してはいても、逆に宗教から徐々に逸脱して政治的になるから統一協会や幸福の科学とまったく同じということの方がむしろ多いだろう。

 実に解かり易いのはキリスト教会によくあることで、人生相談から次第にイスラエル擁護アラブ敵視や反共などなど何処が宗教かという話に誘導して、もちろん寄付も求める。仏教なども大同小異。

 こういうことは、カルトや新興宗教だけの問題じゃない。


ree

 これを法規制すると、宗教全体を取り締まる結果になる。

 それなら宗教弾圧は大いに結構だと思う人たちも少なくないだろう。そして、信教の自由という基本的人権の問題より、宗教を政治的に利用している勢力が困るから、規制は無理ということになるだろう。

 とにかく、宗教とはそういうもものなのだ。統一協会との違いを線引きして区別するなんて宗教を知らない人の考える荒唐無稽である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年6月17日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年6月18日

 「エホバの証人」(ものみの塔)とは何か。

 キリスト教の一種だが、キリスト教の数多い宗派とは違い「異端」と言われている。双璧のようなのが「モルモン教」で、こちらは開祖が神の啓示を受けたと言ってキリスト教の教義を独特な解釈をしているから「異端」と呼ばれるが、それに対しエホバの証人の場合は開祖がキリスト教の聖典の素になっている古文書を独自の研究で解釈している。

 よくWikipediaで「独自研究」と注釈があるけれど、それと同じ扱われ方だ。


 エホバの証人は信者が他の宗教より熱心な傾向にある。

 それで自分の子どもへ信仰の押し付けをして、その程度が甚だしく虐待の水準ではないかと疑われる事例が指摘されている。

 これについて教団は、個々の信者がどうするかまでは関知していないが、教団としては児童虐待を容認していないことを周知したそうだ。

 また、輸血を含めて、どんな治療を受けるかについては、一人一人が自分で決めるべきであることも周知したという。


ree

 エホバの証人は家族円満を説いているし、非暴力主義を標榜している。

 だから子供に体罰など以ての外である。ただ、信者の中には本末転倒の人も当然いるということだろう。

 この非暴力主義は、武道を強要する体育教師のマッチョ願望に抵抗する高校生を生んで話題になったし、戦争反対にも貢献した。死んでも信仰が大事だということで権力者に弾圧されることも恐れない人がいるからだ。

 また、輸血の拒否は教義の曲解だと宗教学者たちから一様に批判されてきたが、しかし信者が騒いだおかげで、リスクなど無視して勝手な輸血をしては被害を出していた医療の現場が説明と同意を重んじるようになった。それまでは悲惨な被害者が何人出ようと、訴訟で倍賞金を何度も払おうと、マスコミに叩かれようと、医学界は「鮭の面に水」「馬の耳に念仏」だった。

 このように、社会に良い影響もある。


 つまり自己決定権の周知があればいい。

 それを超えて、変な考えの団体は取り締まれというのは、もっと危ない。そんなことを叫んでいる人たちの中には業界の利権のために叫んでいる人たちがいる。

 それに、宗教より医師を信じるべきと言う発想も滑稽で、そんなことは正しいと言い得ないし、なにより医師で宗教や心霊に傾倒している人の割合は、おそらく世間一般より高い。このことは拙書『防衛医大…』でも触れたとおりである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年4月16日
  • 読了時間: 2分

 4月8は花祭りであった。

 これは「お釈迦さま」ことゴウタマシッタールタの誕生日とされる。それを「花祭り」「灌仏会」として祝う。

 彼は誕生後すぐに「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられる。その意味は、天の上にも下にも我は唯一の存在であるから尊い(ひいては総ての人それぞれも他に代え難く、それが命というもの)という意味らしく、そう言われてみれば確かにこの解釈の方が宗教的だ。産まれてすぐ立ち上がり喋った、なんていう非現実ではなく、ここから仏教の教義が始まったのだ、ということになる。

 そももそ「私だけが尊重されるべきエライ存在だ」なんて思い上がったことを、お釈迦様ともあろう人が言うわけがない。


ree

 日本で最も親しまれている宗教は仏教であること間違いない。

 ところが、その開祖の生誕を祝う日の意味を知らない日本人は少なくない。これは「葬式仏教」と皮肉られるように、日本では葬式ばかりである影響かもしれない。キリスト教の開祖イエスの誕生日とされる12月25日を知らない人は乏しいのに。

 おそらく、日本人は聖書を読まないから、福音書に記述されている季節の描写からして12月じゃないことが判らず、忘年会の口実を本当にイエスの誕生日だと思っている、という程度のことで、花祭を知らないのも同じ水準ではないだろうか。


 ところで、ゴウタマとイエスは実在したのだろうか。

 いちおう、かつてソビエト連邦で完全な唯物史観による公式の歴史研究でも、実在したとされていた。

 ただ、『資本論』はマルクスという集団ペンネームによるものではないかと言う人たちと同じように、宗教の開祖も『仮面ライダー』など東映テレビドラマの「八手三郎」みたいなものではないかと疑う人たちがいるということだ。

 ちなみに八手三郎が実在すると子供のころに思っていた人は少なくない。


 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page