先日、防衛医大の学生とスピリチュアルで知り合った話を取り上げた。
詳しくは拙書『防衛医大…』を読んで欲しいが、オウム真理教事件のさい、なんで高学歴の人たちがと騒がれたけれど、そんなのはザラで、宗教系の大学より理系学部の人がカルト宗教やスピリチュアルに強い関心をもっている、ということだった。
ところが、そういうことに実感が沸かない人がいるのも現実である。
かつてコロナウイルスによる新型肺炎の記事を雑誌に書いたさい、信仰で病気が治ると言っている人たちの話について、編集部が勘違いして「病は気から」という意味に書き変えてしまい、そうではなく深刻な病気だからこそ信仰に頼る人がいて、現代の医学では助からないので「溺れる者は藁をもつかむ」で宗教に頼るだけでなく、スピリチュアル(音楽の霊歌ではない心霊)になると現代科学よりも優れている超越したものと考えているのだと説明し、その説明を加えたうえでゲラから原稿の記述に戻してもらったことがある。
映画『復活の日』にも描かれていた。
この、軍事開発されたウイルスが漏れて新型の流行性感冒が世界に破滅をもたらす、という小松左京の小説が原作のSF映画は、今、コロナウイルス新型肺炎のため思い出す人が多い。
この劇中、世界が大混乱するなか、日本では祈禱師が患者を集めて呪いの儀式をしているという場面がある。
メディスンには薬と呪いの意味がある。
それで、この映画の製作者の角川春樹氏は、宗教儀式に薬物はつきものだといって手下の者に密輸させたから刑務所に入るはめになってしまった。
彼の父の角川源義は岩波書店の岩波茂雄のような人だったから、それとは違うことをすると言って息子は映画製作に乗り出し、原作本とタイアップして売る手法で話題になった。文庫本に付いている栞を映画館で提示すると入場料が割引というのはグッドアイデアだ。このため『復活の日』は、SFのハヤカワから出ていたが譲渡してもらい角川文庫を出版していた。
角川春樹は父親が出ているからと國學院大学に入っている。
ところが、彼は早稲田大学の入試に受かっていた。早稲田の学生で半分くらいは国立大の入試に落ちた人だと言われる。そんな人たちのせいで早稲田に入りたかったのにはみ出してしまった人たちが明治大学の学生の半分くらいと言われる。それで明治に入れなくなった人が國學院の何割かを占めていると言われていた。
それなのに、あえて父親と同じ大学に入った有名人だから、國學院大は角川春樹を有難がっていた。しかし逮捕されて、その原因が宗教に薬物を使うためということだったので、宗教大学としては大迷惑だった。
先述の雑誌の編集長は国立大卒だった。
それで、宗教大卒より縁遠かったのかもしれない。宗教にのめり込んでいる人たちについて、そこまで本気だとは思わなかったのだろう。それはそれで結構なことだ。そんな宗教に関わらないでいられることは幸運であるから。
さて先日、互助会の勧誘を受けた。
そのさい、パンフレットを見たら、葬儀とか斎場の費用も対象であると謳っていた。ただ、その従業員も、コロナウイルスによる新型肺炎のことは心配であると言っていた。葬儀と斎場どころか、昔のSF映画みたいにブルドーザーが集めた死体の山を火炎放射器で焼いている怖い場面みたいなことになってしまう前に解決してほしい、と。