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執筆者の写真井上靜

霊感商法は日本ばかりで当然のわけ

 うちの親は、家庭教師や予備校ではなく受験必勝の御守を買ってやったとか、病院や医薬品ではなく厄除け無病息災の札を買ってやったとか、そんなことを恩着せがましく言う人だった。

 これは貧乏人だからだ。そのほうが安上りである。その程度のことなのに、そうするしかないので惨めな気持ちになる。だから気を紛らわすための残された手段は、本気で信じ込んでしまうことだけなので、実際にそうなってしまう。そして深刻な事態となるが、あくまで自分は正しいと言って譲らない。



 これはうちの親だけが貧しく愚かなのではなく、日本の国が全体的にそうであることの反映である。

 例えば、靖国神社や護国神社も同じことである。アメリカのような大国と違い兵士への補償が貧弱なので、宗教を利用して安くあげるしかないのだ。

 かつて中曾根康弘首相は、靖国神社に参拝して戦争美化だと国内外から批判を受けたさい、強硬になったり妥協したり様々な対応だったが、そこで戦争の英雄を讃える必要性を説き、そうしないと「誰が国に命を捧げるか」と言ったことがある。


 そんなことを言うけど、東大出の官僚から将校というエリートコースだった中曾根氏は、戦争で大勢の部下が犠牲になった責任をとって切腹するべき立場なのに-実際にそうした将校たちが何人もいたけれど-中曾根氏は責任とらず出世街道を歩み続けたじゃないか。そう言われたことがある。


 まあ、中曾根氏はあの「殖産住宅事件」で、自己保身のため学生時代からの親友を見捨てた人であり、その刑務所に入れられた親友に「中曾根くん、卑怯じゃないか。東大生の時から無二の親友だったのに。問題になった会社の金は、中曾根くんが自民党総裁選に出る資金にするためだったじゃないか」などと罵られても平気でいた。

 そんな人だから、親友が刑務所で病気になって受刑に耐えられないほど深刻になり釈放されるなど悲惨なことになっているのを尻目に首相に上り詰め、その後は百歳を超えて老衰で死去するまで心身ともに健康そのものだったほどで、そんな人にとっては自分だけ戦争で生き残ることなど当たり前なのかもしれない。


 しかし、戦争で国民に国に命を捧げさせるのに必要なことが、なぜ宗教なのか。

 これがアメリカなら、最近では軍隊に入れば永住権が得られるということで「グリーンカード兵士」もいたりするけれど、前からアメリカは兵士への補償は大国らしく充実していて、これに比べると日本は貧弱である。

 それで宗教により紛らわせているのだ。だから、戦後も殉職自衛官を遺族の意思に反して護国神社に祀ったことで未亡人が訴訟を起こしたさい、最高裁は「寛容」になれと言って合憲とした。個人が国家に対して何か寛容なのかと批判されたが、それくらい日本は国の社会制度が脆弱で御粗末ということだ。


 こんなふうに国ぐるみで貧乏臭いから国民も染まり、統一協会は世界各地に展開しているのに霊感商法は日本ばかりということになるのだ。

 あのとき中曾根元首相は統一協会の合同結婚式に堂々と祝電を送っていたが、その七光りで議員なった孫が、安倍元首相殺害事件に絡んで統一協会との関わりを問題にされると、前よりマシな団体になったと思っていたという珍解答だった。ということは、祖父のころは酷かったとの認識なのだろうか。

 いずれにせよ、こんなに日本は貧しいのだ。努力が足りなかったのだろう。 

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