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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年4月8日
  • 読了時間: 2分

 学術会議に官邸が介入した事実が明らかになった。

 これは前に言われてきたことが更に具体的に報道じられたのだ。それによると、意に添わなそうな六名を排除するよう働きかけたという。安倍内閣から露骨になったということだ。そもそも学術会議は、戦争への反省から発足したものだった。

 これを否定する意図だった。


 かつて中曾根内閣の時。

 中曾根康弘首相は、自分の意に沿わない報道に対して反論するのではなく、また純粋に自分の意見として言うのではなく「偏向していると学者が言ってきたから同感だと言った」と談話した。

 どうせ、当時のことだから、「学者」といっても統一協会と癒着していることで首相と同類項の渡部昇一上智大学教授あたりだろうと言われていた。テレビでも同席していた。


 これに朝日新聞の筑紫哲也記者が反論した。

 かつて無謀な戦争を起こして国が破滅的な惨禍となったが、なんでこんなことになったのか。それは、そんな戦争が正しいと強弁したからで、この時も学者が動員された。

 これは、かなり勇気の要る反論であった。そして痛快であると称賛された。

 ところが週刊文春が中曾根内閣側に立って朝日新聞と筑紫哲也を攻撃した。ここで起用されたのは、先日死んだ元サンケイ新聞の御用マスコミ人でフジサンケイに飼われていた俵孝太郎であった。この反論は別の関係ないことを持ち出して筑紫哲也を非難するという幼稚なものだったから、呆れたという記事が別の雑誌に掲載されていた。

 すると文春がやってきたことを、文春がやられるようになった。



 今では古市憲寿という人が週刊文春を攻撃している。

 このタレント学者というより学者ふうタレントは「週刊文春は廃刊すべき」と、御用の立場から言っている。85年産まれと言っているので、ちょうど中曾根内閣の時である。物事がついてないに決まっている。だから御用の連中がテレビで醜態さらしていることに実感がない。それで恥を恥とも思わない言動なのだ。


 今では「文春砲」といわれるスクープを売りにしている。

 かつては時の権力に媚びる商売をしていて、中曾根内閣の当時は例の渡部昇一上智大学教授を盛んに起用していたのに。それも渡部が統一協会との密接な関係を隠さなくなったので、文春としては距離を置いたようだった。

 なんとも滑稽な輪廻である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月7日
  • 読了時間: 3分

 公共スペースで勉強している高校生を見ていると面白い。

 これは一人でコツコツやっていているのと、同級生と一緒にやっているのとがあるけれど、先日、同級生と一緒にやっている高校生が社会科で「ソビエト社会主義共和国連邦」と言っているのが聞こえて来た。略称の「ソ連」「USSR」「CCCP」は正式には何なのかということなのだろう。

 もう、そういう時代になったということだ。



 かつて存在した大国。

 だから今の高校生にとってソビエト連邦はローマ帝国と同じなのだ。もっと前の時代から若い人は、近代にあったことでも例えば戦争について大化の改新と同じだと言っていた。

 それと同じなのだろう。


 しかし学校で正しく教えられているだろうか。

 まあ、無理というものだ。そんなことは文科省の教科書検定で通らない。この話をすると、昔はこんなではなかったと言う人たちがいる。それは間違いだ。

 そもそも、どんな物事についても、今と違って昔は良かったという人は、ただ昔のことについて、その当時の良くない現実を認識できなかっただけ。


 中学の社会科の担当教師は右翼だった。

 学年主任をしていて、最年長で古い考え、そのうえ実家は裕福だから教師は趣味でやっているようなものだった。生徒に難癖をつけてニタニタ笑いながら体罰という、教師である以前に人間としてクズだった。

 それで授業中に反共の発言をよくしていた。それが実に程度が低い。あんな人では、その程度の水準で当たり前ではあるけれど。

 例えば「ソ連にはシャーボなんて無いんだ」と言い、だから社会主義はいけないそうだ。「シャーボ」って今もあるか知らないが、シャープペンシル(正式にはメカニカルペンシル)とボールペン(正式にはボールポイントペン)が一体になったもので、特に便利ではないから、今ではあったとしても重宝がって使用する人はまずいないほど廃れている文具だ。それが高価な商品として売られていた。

 必要のない商品を宣伝で消費と購買を焚きつけるのが、愚かな資本主義の下での消費社会であることは既に指摘があったことだ。それなのに、である。


 これと同時に、無茶苦茶な「校則」を正当化するさいは資本主義のせいにした。

 無用な欲望を刺激する社会だから、青少年の健全育成のためには「あれは駄目、これも駄目」ということにしないといけないとのこと。

 この滑稽さ、中学生でさえ気づく。しかし、このクズ教師だけの問題ではない。もともと学校のセンセイというのは、児童・生徒でさえ解かることが解らないものだから。そんな人でないと教師になれないという構造がある。そう仕組まれているのだ。官僚や企業によって。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月4日
  • 読了時間: 2分

 「院だけ東大」という言い方がある。

 これは「学歴ロンダリング」とも言われていて、最終学歴が東京大学になるから大層なことのように思われるけれど、所詮は大学院だけ東大ということだ。

 それでも東大だから凄いと錯覚される。


 「誰でも入れる」と言った人がいる。

 この人は医師の女性で、東大ではないが一流と言われ偏差値も高い総合大学の医学部を卒業したのち大学院にも外国留学にも行っていた。

 この人が言うには、東大の院なんて、そこの流儀に沿った入試に受かれば、その前の学歴その他は関係なく入れる。試験のやり方は、知っている人や、知っている人が教えている予備校などで習える。それに金がかかるし、入ってからも金がかかる。要するに総て金次第である。


 だから明確な目的があったならむしろ行かない人がいるという。

 その女性も、医師として必要なことを学ぶために大学卒業後に大学院へ入ったり海外留学したり、ということだ。

 だから、箔付けとか虚栄とかで「学歴ロンダリング」する人か「院だけ東大」になりがちで、そうできる構造がある。東京大学の側でも解かっていて実施している。



 言われて見れば「院だけ東大」の人は態度に出ている。

 あいつも、こいつも、マスメディアに登場している人たちで知的ぶって実は院だけ東大の人たちは、やけに偉そうにしていて、相手が学歴で箔が無い人と見ると見下している。

 これは金で買った金箔で威張り腐っているのであって、だから下らないネタで他人をこき下ろしているけれど、その発言などは全く御粗末である。

 これについて、こう言った人がいる。「東大に行くのはアンタの勝手だが、オレには関係ない」と。ごもっともである。

 
 
 
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