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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月4日
  • 読了時間: 2分

 「院だけ東大」という言い方がある。

 これは「学歴ロンダリング」とも言われていて、最終学歴が東京大学になるから大層なことのように思われるけれど、所詮は大学院だけ東大ということだ。

 それでも東大だから凄いと錯覚される。


 「誰でも入れる」と言った人がいる。

 この人は医師の女性で、東大ではないが一流と言われ偏差値も高い総合大学の医学部を卒業したのち大学院にも外国留学にも行っていた。

 この人が言うには、東大の院なんて、そこの流儀に沿った入試に受かれば、その前の学歴その他は関係なく入れる。試験のやり方は、知っている人や、知っている人が教えている予備校などで習える。それに金がかかるし、入ってからも金がかかる。要するに総て金次第である。


 だから明確な目的があったならむしろ行かない人がいるという。

 その女性も、医師として必要なことを学ぶために大学卒業後に大学院へ入ったり海外留学したり、ということだ。

 だから、箔付けとか虚栄とかで「学歴ロンダリング」する人か「院だけ東大」になりがちで、そうできる構造がある。東京大学の側でも解かっていて実施している。


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 言われて見れば「院だけ東大」の人は態度に出ている。

 あいつも、こいつも、マスメディアに登場している人たちで知的ぶって実は院だけ東大の人たちは、やけに偉そうにしていて、相手が学歴で箔が無い人と見ると見下している。

 これは金で買った金箔で威張り腐っているのであって、だから下らないネタで他人をこき下ろしているけれど、その発言などは全く御粗末である。

 これについて、こう言った人がいる。「東大に行くのはアンタの勝手だが、オレには関係ない」と。ごもっともである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年4月4日
  • 読了時間: 3分

 松田聖子が通信制で単位とり大学卒業。

 この話題で、仕事しながら大したものだと松田聖子は感心されているけれど、これで思い出したが田原俊彦である。彼も前に芸能活動しながら大学を出ると言って放送大学を始めたけれど、こちらはどうなったのか。ネット上では結果が見当たらない。

 田原俊彦は松田聖子とCМ共演で話題だったが、もう一人、松田聖子と一時は親密ということで縁があった郷ひろみは、大学に入ったものの芸能活動が多忙で全く通えず辞めてしまったということだ。通えないなら通信制か放送大学にしておく方がいいだろう。


 芸能人で、大学に通学して卒業したのはタケカワユキヒデだった。忙しくて通えない時は休学し、通えそうなら復学してなるべく単位を取得する、ということの繰り返しで十一年かけて東京外国語大学を卒業した。

 通えないのに休学しないと在学期間が無くなってしまう。これがサンプラザ中野で、早稲田大学政経学部に八年在学して取得した単位が卒業に必要な数に足りず除籍されてしまった。

 国公立大学は休学すると授業料は払わなくて良いが、私立大学は病気などで休学するのでなければ免除にならないのが普通だから、これがタケカワユキヒデとサンプラザ中野の明暗を分けた。なので、多忙なのに大学に通学して卒業したければ国公立大学が有利である。



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 大学の通信制を初めて挫折する人は多い。

 卒業できない人が圧倒的である。仕事しながら、あるいは他にも学校に行きながら、それで通信制にするので、もともと難しいということがあるけれど、これに入試が無く学費が安いと安易に始めるから駄目ということが加わる。

 あと、通信制で一単位も取得せず辞めたのに「大学中退」と言う人がいる。とんだ見栄っ張りである。


 とにかく、勉強したいことがあるからやるのだ。

 ところが、大学卒になりたいだけで勉強に興味が無い人もいる。そういう人は、勉強しなくても卒業させてくれる学費の高い私大で通学生になるものだ。

 ところが、これを通信制でやろうとする誤りをした女性がいた。そして始めたものの単位を全く取れず直ぐに辞めてしまった。勉強する気が無いのだから、最初からやらなければよかった。それを解ってない。


 それで彼女はどうしたか。

 彼女には兄がいて、彼は親が貧乏だからバイトしながら大学に通い卒業してからも借金を暫く返済する年が続いた。大学で勉強する目的があったからだ。それが解らない妹は、兄が大学を出たのを「いいなあ」とか言って不平を言っていた。

 また、兄は受験勉強をしたから大学に入れたのだった。Fラン大学を別にすれば、どんな大学でも難易度は別にして入試がある。その妹は受験勉強をしなかった。それで通信制にしたけれど、勉強する気が無いので全く単位を取得できなかった。

 そんな勘違いをしている人も、たまにいるということだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年3月13日
  • 読了時間: 2分

 東京大学の五月祭に成田悠輔が招かれた。

 社会のお荷物となる老人は「集団自決」すべきと説いた人。それを東京大学は「今年の五月祭の特別ゲスト第一弾は成田悠輔先生です!東大経済学部卒で、経済学者・データ科学者・事業家として活躍されています。幅広い社会課題の解決に取り組みながら、報道からお笑い、ファッションまで無秩序に活動される先生のご講演は要チェックです」というから、その姿勢が批判された・


 ここで勘違いしている人たちもいた。

 あんな成田悠輔を呼んだ東大を批判するのではなく、東大生に厳しく追及させるべきだと言っている人たちがいた。

 けれど、おそらく三島由紀夫対東大全共闘を念頭においてだろうが、今時どころかとっくの昔に、そんな知性も根性も東大生にはないから東大を買いかぶりだし、成田悠輔と同列にするなんて三島由紀夫に失礼だろう。


 だから、こうも言われていた。

 「東大なら批判的な議論が自然発生して成田の思い通りにはならないはずだ」「成田vs東大の知性が見られるはずだ」みたいな期待感が全く持てないから、あんな奴を呼ぶなという話にもなるのだ。

 つまり東大の知性に対する不信が広がっているのだ。


 「背中のいちょうが泣いている」とは、このこと。


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 しかも、東大出の成田悠輔が「高齢者は集団自決」と説いているのに講演に招いて東大も堕ちたと言ってる人たちは、東大出の官僚たちが何十年も前から「障害者なんて地面に並べて戦車で踏み潰すべきだ」などと言ってきた事実を知らないのだろうか。

 単に、歪んだエリート意識と選民思想による差別主義が相変わらずであるだけのことだ。

 
 
 
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