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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月21日
  • 読了時間: 2分

 トランプ政権が大学に介入している。

 それに賛同する人たちが少なくない。これについて米国在住の日本人学者が、正直驚いていると言っていた。賛同する人達が言うには、大学には公金が投入されているのだから政権の方針に従うのが当然だとのことだ。この発想がとても危険であることは歴史を見れば明らかなのに。

 しかし、この歴史を見れば明らかなことを解らないのは日本の大学生も同じである。


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 かつて日本政府が何かの催しに合わせて国旗掲揚を大学に指示した。

 これに学生たちが反発したけれど、学生の中には「国立だから仕方ない」とか「国立だから当たり前」とか言う人たちがいて、これがテレビのインタビューでも放送されていた。

 国立だから駄目なのに、それを解らない人が一般人だけでなく当の大学生にもいるのだから由々しきことである。


 私立大学には国粋主義を売りにしている所がある。

 これは私学だからわざわざやっていることである。宗教の学校に特徴的で、学問とは無縁なことだからだ。それゆえ、一般的に国立は私立より水準が高いとされるのだ。低水準だから、学問とは関係ないことをやっているし、学問とは関係ないことをやっているから低水準ということにもなる。

 それに加えて、国から金が出ているから従えというのでは、スポンサーやパトロンである。そんなことをしていたらもはや学問ではない。


 これは基礎中の基礎である。

 なのに知らないとか解ってないとかの状態で平気でいる人達が大学生をやっているし、大学教授にすら解らない人もいた。御用学者とか、上昇志向で権勢に媚びている人とか。しかし、そんな人たちは保守的な学者からも軽蔑されているものである。 

 そんな軽蔑されている偽学者を慕っている学生がいることも確かだが、そういう学生は色々な意味で大したこと無い人である。 

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 4月8日
  • 読了時間: 2分

 学術会議に官邸が介入した事実が明らかになった。

 これは前に言われてきたことが更に具体的に報道じられたのだ。それによると、意に添わなそうな六名を排除するよう働きかけたという。安倍内閣から露骨になったということだ。そもそも学術会議は、戦争への反省から発足したものだった。

 これを否定する意図だった。


 かつて中曾根内閣の時。

 中曾根康弘首相は、自分の意に沿わない報道に対して反論するのではなく、また純粋に自分の意見として言うのではなく「偏向していると学者が言ってきたから同感だと言った」と談話した。

 どうせ、当時のことだから、「学者」といっても統一協会と癒着していることで首相と同類項の渡部昇一上智大学教授あたりだろうと言われていた。テレビでも同席していた。


 これに朝日新聞の筑紫哲也記者が反論した。

 かつて無謀な戦争を起こして国が破滅的な惨禍となったが、なんでこんなことになったのか。それは、そんな戦争が正しいと強弁したからで、この時も学者が動員された。

 これは、かなり勇気の要る反論であった。そして痛快であると称賛された。

 ところが週刊文春が中曾根内閣側に立って朝日新聞と筑紫哲也を攻撃した。ここで起用されたのは、先日死んだ元サンケイ新聞の御用マスコミ人でフジサンケイに飼われていた俵孝太郎であった。この反論は別の関係ないことを持ち出して筑紫哲也を非難するという幼稚なものだったから、呆れたという記事が別の雑誌に掲載されていた。

 すると文春がやってきたことを、文春がやられるようになった。


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 今では古市憲寿という人が週刊文春を攻撃している。

 このタレント学者というより学者ふうタレントは「週刊文春は廃刊すべき」と、御用の立場から言っている。85年産まれと言っているので、ちょうど中曾根内閣の時である。物事がついてないに決まっている。だから御用の連中がテレビで醜態さらしていることに実感がない。それで恥を恥とも思わない言動なのだ。


 今では「文春砲」といわれるスクープを売りにしている。

 かつては時の権力に媚びる商売をしていて、中曾根内閣の当時は例の渡部昇一上智大学教授を盛んに起用していたのに。それも渡部が統一協会との密接な関係を隠さなくなったので、文春としては距離を置いたようだった。

 なんとも滑稽な輪廻である。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年7月7日
  • 読了時間: 3分

 公共スペースで勉強している高校生を見ていると面白い。

 これは一人でコツコツやっていているのと、同級生と一緒にやっているのとがあるけれど、先日、同級生と一緒にやっている高校生が社会科で「ソビエト社会主義共和国連邦」と言っているのが聞こえて来た。略称の「ソ連」「USSR」「CCCP」は正式には何なのかということなのだろう。

 もう、そういう時代になったということだ。


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 かつて存在した大国。

 だから今の高校生にとってソビエト連邦はローマ帝国と同じなのだ。もっと前の時代から若い人は、近代にあったことでも例えば戦争について大化の改新と同じだと言っていた。

 それと同じなのだろう。


 しかし学校で正しく教えられているだろうか。

 まあ、無理というものだ。そんなことは文科省の教科書検定で通らない。この話をすると、昔はこんなではなかったと言う人たちがいる。それは間違いだ。

 そもそも、どんな物事についても、今と違って昔は良かったという人は、ただ昔のことについて、その当時の良くない現実を認識できなかっただけ。


 中学の社会科の担当教師は右翼だった。

 学年主任をしていて、最年長で古い考え、そのうえ実家は裕福だから教師は趣味でやっているようなものだった。生徒に難癖をつけてニタニタ笑いながら体罰という、教師である以前に人間としてクズだった。

 それで授業中に反共の発言をよくしていた。それが実に程度が低い。あんな人では、その程度の水準で当たり前ではあるけれど。

 例えば「ソ連にはシャーボなんて無いんだ」と言い、だから社会主義はいけないそうだ。「シャーボ」って今もあるか知らないが、シャープペンシル(正式にはメカニカルペンシル)とボールペン(正式にはボールポイントペン)が一体になったもので、特に便利ではないから、今ではあったとしても重宝がって使用する人はまずいないほど廃れている文具だ。それが高価な商品として売られていた。

 必要のない商品を宣伝で消費と購買を焚きつけるのが、愚かな資本主義の下での消費社会であることは既に指摘があったことだ。それなのに、である。


 これと同時に、無茶苦茶な「校則」を正当化するさいは資本主義のせいにした。

 無用な欲望を刺激する社会だから、青少年の健全育成のためには「あれは駄目、これも駄目」ということにしないといけないとのこと。

 この滑稽さ、中学生でさえ気づく。しかし、このクズ教師だけの問題ではない。もともと学校のセンセイというのは、児童・生徒でさえ解かることが解らないものだから。そんな人でないと教師になれないという構造がある。そう仕組まれているのだ。官僚や企業によって。

 
 
 
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