左翼が正義であるのは科学が正しいとか音楽が楽しいのと同じこと。
- 井上靜
- 2023年10月3日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年10月3日
左翼は正義である。
これは語彙からしてのことだ。その語源から、社会を平等にして特権階級を無くそうというのが左翼であり、これに反対して特権階級のある不平等な社会を維持しようとするのが右翼である。
そうなると、当然ながら左翼が善であり、この妨害をする悪が右翼となる。そう思わないで良いのは封建時代であり、現代ではない。
これは科学と同じことである。
もちろん、左翼は科学で、右翼は非科学、という意味もある。左翼は科学を志向し、右翼は宗教に縋る。王侯貴族や特権階級の拠り所は宗教であるし、それは非科学的だから左翼は封建時代の価値観である王侯貴族や特権階級を否定する。
それ以上に、科学とは、それ自体が正しいものという語彙である。

アイザックアジモフが言っていた。
科学者が正しいとは限らないが、科学的でない者が間違っていることは確実である。
だから科学とは正しいものという語彙であり、正しくないのは科学者などしょせん人間だから間違うということだ。
つまり、科学が間違っていることはありえず、間違っている場合は科学的な思考に失敗したということである。
言葉の意味がそうだということだ。
だから、左翼とは社会を良くする正義と同義であり、しかし左翼団体とか左翼団体員とかが正義とは限らないのだ。
そして、科学と同じように、正義でないなら左翼的な思考に失敗したということである。また、左翼運動が挫折したなら、思考の失敗または実践の失敗である。
これと近いのが、音楽である。
その字の通り楽しいものであるというのが定義であるから、楽しくないということはありえない。それなのに音がしていても楽しくないのは、音が好みや気分に合わないか、合ってはいても演奏に失敗などしているからである。
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