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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年8月10日
  • 読了時間: 2分

 文芸座が地上と地下とミニホールだった旧建物の当時。

 夏休みには地上で和製のSF映画やホラー映画を、地下では反戦映画を、特集していた。子供のころ、地下の方にも関心はあったけれど、お金が無いので地上の鑑賞が多かった。社会派の映画は勉強になるからとは言っても、だからと御小遣いをくれる気前の良い親ではなかった。


 学校の先生の中には場所が良くないと言う人がいた。

 それは当たっているかもしれない。安い暇つぶしで来る人にマナーの悪い人がいて、映画館で他の客が不快だったのは殆どが文芸座であった。また、その教師は「オカマに寄って来られたことがある」と言っていた。そういうことは上野のハッテンバとしてしられる映画館なら普通だが、そうでない映画館では迷惑行為である。



 しかし夏の「社会を告発する。反戦反核映画特集」は真面目な客ばかりだった。

 その中で観に行った数少ない映画が『野火』であった。併映が『真空地帯』(原作・野間宏、監督・山本薩男)である。どちらも見応えがあった。

 『野火』は再び映画化されていて、塚本晋也が製作・脚本・監督・撮影・主演をこなす自主製作だった。そして、やはり『鉄男』の監督らしい恐怖映画仕立てなのだが、しかし旧作よりも、原作である大岡昇平の小説に雰囲気が近かった。旧作は監督-市川崑、脚本-和田夏十すなわち『ビルマの竪琴』の夫妻によるものだが、小説を読んでから観ると話が違うような気がした。だから新作の方が良かったと思う。


 あのころの夏休みに、お金があって、もっと文芸座に通えたら、もう少しマシな人間になっていたのではないかという気も、今はしている。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月5日
  • 読了時間: 1分

 ♪梅は咲いたか〜桜はまだかいな〜

 という季節に東京は入ったが、前に世田谷区に住んでいた時、区役所の最寄りの小田急線の梅ヶ丘という駅の近くに居たので梅に注目するように自然となった。ただ、梅が植えられたのは後の時代で、元は丘に何やら埋めたから埋めが丘だったらしい。


 梅が咲いて鳥が花をついばみに来た。

 これは多摩川の近く。




 この梅ヶ丘は、隣の世田谷代田駅(その次が下北沢で、よく芸人を見かける)の環七通り近くに「舛添政治経済研究所」の看板を掲げた事務所があり、歩いてすぐだから、たまに梅ヶ丘駅前の周辺でテレビから聴いた声がすると思ったら舛添要一だったということがある。いつも女性と仲良く歩いていたが、その度に別の人だった。片山さつきと別れたあと蓮舫に振られた時期のことだ。


 この季節は風が心地に影響を及ぼす。

 日が照っているのに冷たい風が強く吹いていることがある。しかし曇っていて決して暖かくないが風は吹かないと、公園で小さい子どもたちは楽しそうに遊んでいる。その姿を観ていると何か元気が湧いてくる。

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年2月3日
  • 読了時間: 2分

 かつて節分の日にテレビで、所ジョージが「♪節分イレブンいい気分。撒いてて良かった」と歌ったら、では自分も「セブン」でと嘉門達夫が「♪節分〜節分〜節分〜節分〜節分!節分!節分!」と歌って笑わせていたのを思い出した。


 『鬼滅の刃』がヒットしている。

 鬼とは妖怪であることになっている。羅生門に出るというのが歌舞伎になっていて、黒澤明の映画のセリフにあったし、高橋留美子の漫画にも描かれていた。このアグネス-ラムがモデルの鬼娘は宇宙人だが、本当は鬼とは白人のことだろうと言われている。

 鬼は身体が大きいし、顔の彫りが深い。頭はウェビーヘア。金髪に描かれることもよくある。おそらく漂着し山でサバイバル生活していたから毛皮を纏っていたのだろう。肌が白いから青っぽく見えたか、またはロシア人を北海道に来た赤ら顔の人「赤蝦夷」と言ったが、これが青鬼と赤鬼になった。

 こう考えれば納得することばかりである。


 鬼は昔話に欠かせない。

 節分の「鬼は外」の由来は、娘を嫁にと言う鬼に炒った豆を投げつけて、これを撒いて発芽したら来いと追い払った。ひどいことをするものだ。白人との結婚を人種差別で拒絶したという話が基だったのではないか。

 また、『泣いた赤鬼』は、偏見で受け容れられない白人のことが基であったと考えれば納得できるし、なんとも悲しい話である。

 それとは別に、排他的なのはよくないからと、寺によっては「福は内」だけで「鬼は外」とは言わないというところがある。


 また、姓に「鬼」が付く人がいるけれど、これは強いから良い意味であるそうだ。

 もともと、怖いというのは悪いというより強いという意味であったりする。それで息子に強くなって欲しいからと「悪魔」と付けて役所の戸籍係ともめた父親という騒動もあった。


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