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​炬火 Die Fackel 

 朝日新聞の記事を読んで共産党を批判する人がいる。

 その記事を真に受ければ当たり前だろうが、その記事のひどさに気づかない人が野党の支持者にまでいるのだ。この朝日新聞の記事は、野党共闘のため立憲党に譲歩したからではなく共産党の理念が悪いから有権者は支持しなくて、それで共産党は議席を減らしたうえ、これに立憲党も巻き添えになった、というフェイクニュースの延長だ。


 もちろん共産党がリーフレットを作成したのは、そうしたデマに対抗するためだ。

 するとデマにデマを重ねる朝日新聞は、共産党が天皇制の廃止について「そんなことは絶対にしません」と述べたことを針小棒大な見出しにした。ところが、そんな記事でさえ「続けるか、なくすかは、あくまで憲法にもとづいて国民の総意にゆだねる」と、同党が綱領の立場を解説していると記述している。

 それなのに見出しに釣られて記事からでさえ解る意味に気づかない人たち。


 もしも、そんな見出しからの誤解のように共産党が方針転換したら。

 同党を前から支持してきた人たちの多くは、それではもう支持しないと言うだろうし、もともと支持してない人なら選挙向けの噓だと言うものだ。つまり有害無益である。一瞬、共産党はバカかと思ったが、記事の見出しに悪意があった。

 その共産党の広報とは、あくまで国民が決めることだという趣旨だ。憲法の規定で国民の総意に基づくものとされている故、上からの改憲という自民党が志向していて批判されているのと同じになっては駄目だから、政権を取ったら天皇の廃止というやり方は「絶対にしません」なのだが、それを朝日新聞の見出しは、共産党がいかにも選挙むけの宣伝を始めたと錯覚させるものだ。



 これは、ただ見出しの不適切ということではない。

 朝日新聞は、共産党が憲法と天皇に関して何十年も前から説いてきたことと、自民党の改憲したがり姿勢がなぜ批判され続けているか、この両方を解ってない。悪意のプロパガンダであったと甘く見てやったとしても、記者の不勉強が酷すぎること剥き出しである。その前に問題が指摘された沖縄の選挙の報道と同じで、問題意識すら持たず型に嵌った思考しかできないということである。

 まったく最近の朝日新聞は、記事がバカである以前に記者がバカすぎるのが丸わかりである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年1月29日
  • 読了時間: 2分

 拙書『朝日新聞…』(ホームページ参照)の最後で、入社試験の問題にふれた。

 実は、この部分、出版社の方で指摘されて直前に付け加えたことであるから説明不足であった。朝日新聞は入社試験のさい変な筆記試験をしているのではないか、こんなことはやめてしまったほうが良い記者が入るはずだ、という問題だった。



 記者の不見識はツイッターに反映している。

 もともと読売新聞は統制が強いので記者がSNSで自由に発信できないが、それと違い朝日新聞は記者の自由があると勘違いしている人がいたものだ。この勘違いは昔からのことで、とんでもない買い被りであるという指摘もあった。

 他にも毎日新聞の記者が品の悪いツイートをしていると批判する人がいたので見たら確かに酷かった。しかし、今時の新聞記者なら普通のことだろう。それを隠したいならツイッターするなという会社からの業務指示ということになる。


 朝日新聞の記者が酷いのは、おかしな一般常識を持っていることだ。

 おそらく他の新聞社でも似たようなことだろうが、おかしいというのは昔の産経新聞どころかCIA雑誌『リーダーズダイジェスト』どころか、そういうメディアでもあり得なかったネトウヨふうの認識に基づいてデタラメを開陳しているのだ。

 いつから、ここまでひどくなってしまったのだろうか。

 
 
 

 ついに毎日放送が、橋下・松井・吉村の三人を出演させた番組に調査チームを立ち上げる。

 これは、政治家の三者「揃い踏み」により報道の公正が問題になったからだ。こんな番組ばかり垂れ流されていれば「維新」の支持率が上がっても不可解ではない。


 かつて米国ではレーガン大統領がテレビに出るさい放送局がケジメをつけた。

 つまり、元芸能人の政治家がテレビに出るのはいいが、そのさい「今季限りで次の選挙には立候補しない」という話をするなら現在の政治家として発言するだけだから無料で出してもいいけれど「次の選挙に立候補する」という話をするなら候補者の宣伝になるので広告料金を払ってもらわないと出せない、ということだった。

 この点で日本のテレビ局はケジメが無さすぎる。


 特に「維新」はテレビが露骨に宣伝をしていると問題になってきた。

 そもそも特定の政治家がテレビに頻繫な出演をするのは、特定の大企業が利権を貪るのに好都合な政策を進めるためだ。その大企業がテレビに金を払い、その政治家をテレビに出さないといけなくする。そして「維新」といくつかの大企業の利権関係は具体的に指摘されているが、マスコミでは問題にならない。同じ利害関係があるので、できないのだ。

 ほんとうは、スポンサーであることを商売に利用するなんて、有限の資源ゆえ規制されている電波では厳禁である。それなのに、一部の企業が自己利益のため報道と政治を操る構図ができている。前から指摘されて問題になっているのだが、金に物を言わせている相手に批判は無力になりがちである。


 しかも、マスコミ関係者が空々しくスットボケたこと言う。

 「維新」の連中を出すと、視聴率がとれるから仕方なく出しているのであって、他の政党に人気が無いだけだと言うのだ。では、同じように他の党の政治家を出して比較して見ればいい。そのうえで差があるならともかく、そんなことしない。アイドルグルーブと同じで、芸がなくても魅力が乏しくても、マスメディアが騒いでスターに祭り上げていると、そのうち出せば視聴率が取れるようになるだけである。



 もともとマスメディアは自縛になるものだ。

 冤罪事件を扱った映画で、昔の作品では警察や検察など権力が横暴をするだけだが、その後の作品はマスコミが煽り立てる実態が描かれる。そして、最初にマスメディアが作り上げて垂れ流したイメージが消えないので、後から訂正しようとしても困難になる。犯人視報道で煽情的に騒ぐと視聴率が取れるようになって、これが止められなくなる。人権侵害しているのに、そうすれば視聴率が取れるのだから視聴者のニーズがあると言い出して正当化までするようになる。

 こういう実際にある図式と同じことだ。だから「維新」の連中を出すと視聴率が取れるので仕方ないとか言うのは噓である。そんな嘘をマスコミ関係者がツイッターなんかで吐いているのを皆よく見かけるだろう。そんなマスコミ関係者たちは軽蔑しないといけない。

 
 
 
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