top of page

​炬火 Die Fackel 

アメリカ映画『ハリケーン』は実話に基づいたボクサー冤罪事件だった。

 あれは人種差別が原因だった。日本の場合、ボクサーだから乱暴に決まっているという偏見だった。これだけでもボクサーとしては不愉快なのに、強盗殺人事件で証拠が変なのに有罪で死刑とは酷いと、輪島もと選手も憤って人権擁護運動団体に応援にきたと、その団体の人に聞いた。

 「ダンゴさしいれに持って来たりして」と冗談を言ったら、本当に持ってきてくれたし美味しかったそうだ。


 とくに酷いのが検察の対応である。

 あれでは袴田さんが高齢だから死ぬのを待っての引き伸ばしだと非難轟々であるが、そうまでしてでも検察は間違いを認めたくないのだ。

 かつて大学の法学部で刑法・刑訴・犯罪学を習った教授は、弁護士でもあり元検察官だった。授業は面白いし優秀なのも判るが、検察は絶対に間違わないと固く信じていた。これを弁護士や法学者に訊いたら、検察に勤めれば大体そうなる、という。周防監督の映画で加瀬亮に検事が「俺は騙されないぞ」といきなり言うのも、それ。



 袴田事件を描いた映画『BOX』で無茶な有罪に反対する裁判官は法の精神を説くが、もう一方の陪席判事に反発される。

 「国立出に言われなくても解ってる」と。そんなこと関係ないと言って怒る。たしかに関係ない。何でそんなことを言うのか。その裁判官は出世亡者で人命など無視している。それが同窓会では、偉くなったと称賛されている。そこで皆が唄うのは「♪都の西北~」である。

 ここは国立にコンプレックス&上昇志向かと現役の早大生に訊いたら、そうだと認めた。そんな感覚で司法に携わっている者は少なくないらしいが、たまったものではない。だから袴田さんだけの問題ではないし、ボクサーだけの問題でもない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年2月20日
  • 読了時間: 3分

 いま、きっかけがあって公害に関する書籍を読んでいる。

 それら公害訴訟では、原告が健康を害しているため被告企業側が訴訟の引き延ばしを謀っていた。被害者が死ねば良いということだ。

 このため、あの手この手を駆使するから無用で卑劣な引き延ばしだと批判される。ところが、この意味をきちんと知らない法曹人がいる。引き延ばすなら何のためか。それが無いと無意味なのに、いたずらに「引き延ばし」だと言ってデタラメな非難を相手方に浴びせる。


 例えば医療裁判である。

 これも公害と同様に患者は健康を害しているのだから、引き延ばしを謀るのは医師の側である。

 ところが、あの、元高裁判事で退官してから政府関係の仕事をしている田中清弁護士(東京弁護士会・銀座ファースト法律事務所長)は、第三者の立場からの客観的な専門医の鑑定を無用だとし、なぜなら鑑定なんて患者の敗訴が確実なので引き延ばしているのだと言っていた。堂々と文書にまでしていた。何種類もの文書で、中には侮辱的な文言のものを患者にファックスを送り付けもしていた。

 つまり常識とは逆なのだ。


 しかし、むしろ滑稽なのは、なぜ患者の敗訴が確実なんて言うかの訳である。

 それは、被告の医師が日本の第一人者であると自称しており、そんな人が言えば総て正しいという主張だったことだ。

 もちろん「第一人者」というのは当医師の年齢やキャリアからして普通の常識を持っている者からすれば虚偽であると判る。仮に第一人者でも自分の誤りだと問題にされたら、自分で抗弁するだけでは信用できるわけなく、中立的な第三者の専門的な意見を訊くのは当たり前である。

 それなのに、ということは拙書『防衛医大…』(ホームページ参照)に記述したとおり。


 ところが、である。

 最初は、医師が妄想虚言のようなことを語っていると思った。だが、医師たちからすれば違うと言う。

 弁護士が手抜きというべきか、いい加減というべきか、そんな訴訟活動をしてデタラメを言っていたのであり、医師は大迷惑のはずだと言う。そういう医師による指摘があることを、後に知った。


 それら引き延ばしの手口の一つとして裁判官忌避がある。

 これも公害訴訟で加害企業側の弁護士にとって常套手段だった。なんと、これを逆に援用して、自分の身内をかばうためデタラメ判決をすると堂々と法廷で宣言し、それで裁判官忌避をされると、引き延ばしだと言って他の裁判官に回さず、自らにされた忌避の申立を自ら却下してしまった裁判官がいた。

 こんなことはザラあることだが、代表的なのは鬼頭季郎という、後に内閣府へ「渡り」をした判事である。その実兄がロッキード事件や宮本顕治身分帳事件で有名な判事補であった。「悪鬼兄弟」と言われていた。


 こうした悪辣な法曹人が跋扈するのは、公害訴訟などで過去に身体を張って努力してきた庶民の闘いを知らない人が多いからだろう。自分もいちおう関心がある方だと自認していたが、まだまだ知らないことが多いと反省している。



 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年2月10日
  • 読了時間: 2分

 2月9日の東京地方裁判所で第一回弁論。

 ここで同じ法廷の同じ裁判官による訴訟は総て土地の契約に基づくもので、土地の明け渡し請求や賃貸借契約の違反といった争いだった。書記官が代わっても裁判官は変わらない。それら訴訟の原告の一人が言うには、土地の争議が専門とか得意とかのような裁判官ということだ。

 その中で唯一、国が被告で損害賠償請求事件だから、例外的だけど、その方が「ヒラメ判事」ではない可能性があるので、そこの部分については良かったのではないか、ということで、他の訴訟の原告とで認識が一致したのだった。



 さて、連帯する被告の一人である鈴木秀夫裁判官は、欠席だった。

 これは答弁書を提出して擬制陳述にすると自ら言っていたからだ。具体的な反論はせず、総ては国の責任であると公式に主張した。やはりナチ戦犯アイヒマンと同じである。

 ただし、アイヒマン鈴木は、公務員は上司の指示に従うものだから個人責任は無いとしておきながら、裁判官は独立して職務に当たるのだから同じではないとの指摘を無視して、公務員であるから責任は国にあると繰り返したのだった。まるで整合性がない。


 国の代表として来たのは法務省の担当者たち。

 反論するにしても事実関係を確認してからでないと不味いので、やや長めに時間をとって欲しいとのことだった。連休があるので間延びしすぎてはいけないというさい、連休はしっかり休むからと言っていたので、そこは役所だと他の原告が笑っていた。

 それで次回期日は4月27日、同じ木曜日の午後1時30分から、同じく東京地方裁判所5階の521号法廷と決まった。

 平日だけど、可能な方は傍聴に来て欲しい。


 
 
 
  • twitter

©2020 by 井上靜。Wix.com で作成されました。

bottom of page