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​炬火 Die Fackel 

更新日:2025年9月19日

 元裁判官の瀬木比呂志さんと岡口基一さんが、それぞれ著書で述べていた。

 司法記者が司法に無知なので、裁判の判決文を読んでも意味が解らず、それで裁判所から「判決要旨」をもらって記事を書いているのが現状である。

 こんなふうに教えてもらってばかりいるから、報道が司法に対しての監査とはならない。司法記者なら法的な勉強をして理解力を付ければいいはずだが、それを楽をするため新聞社と裁判所が癒着する。

 これでは司法に何か問題があっても批判できるわけない。



 前に立川の裁判所で裁判官から言われたことがある。

 これは自分が提起した民事訴訟でのこと。敗訴した相手方がblogで愚痴っていたさい、その判決への批判が無茶苦茶な内容だったから、この裁判を傍聴に来た第三者がコメント欄に、あんたの判決批判は間違いだぞと指摘する投稿をしていた。そういうことがあった。 

 これを後に別件のさい裁判所で言った。関連があることだったからだ。すると裁判官に言われたのだ。当時者とはいえ素人だから間違いがあっても当たり前なくらいだよ、と。


 新聞記事でも、判決の報道で無知に基づく間違いを書いていることがある。

 その女性の裁判官は言っていた。判例時報でさえ読んで首を傾げることがあるくらいだから、素人の記者が書いている記事なんか毎度のように無茶苦茶なものだ。

 そう言われても仕方ない現状だけれど、それで新聞社として強い司法記者を養成したり、司法記者が強くなろうと鍛えたり、ということはない。楽をしたがっているだけでなく、新聞社が役所と癒着して、そこからはみ出したりする者は排除するという、よくある図式が出来ているのだろう。


 そうなると報道が裁判所から操作されることになる。

 これに異を唱えると、ほんらいは監査する立場である報道が、裁判所の側に立って異を唱える市民を迫害することになる。

 ここで、一般市民の多くが、お役所のしていることは正しいという思い込みに基いて、間違っている報道を鵜呑みにしてしまう。これを上記の元裁判官たちが指摘していた。そして、一般市民もお役所は正しいという思い込みを棄てることが大事であると指摘していた。


 あと、判例時報でも専門家が首を傾げることがあるという点だが、前に新米のしょうもない某弁護士が、まさに若気の至りで、判例時報に解説を書いたと自慢していたので、こいつでも書けるのだから、これじゃ裁判官から首を傾げることがあると言われて当然のことだと納得したことがある。

 みんな「権威ある」ものは疑いましょう。こんなに御粗末なのだから。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2025年9月14日
  • 読了時間: 2分

 袴田氏は検察を名誉毀損で訴えた。

 「袴田事件」の死刑判決が、後に証拠の捏造によるものであると裁判所も認めたのに、これに対して検察の畝本直美検事総長は、袴田氏が無罪になるのは不当だと公言したからだ。

 まったく「史上最大の名誉毀損」とか「世紀の名誉毀損」とか言われて、検察の横柄さが批判されていた。

 そこで袴田氏は訴訟を提起し、その代理人の弁護士が発表したのだった。



 袴田事件は映画にもなっているから有名である。

 これは担当した裁判官の告白が基になっている。裁判官も証拠の捏造などを怪しんでいたけれど、合議している他の二人の裁判官がいい加減かつ強引に有罪だと決めつけてしまったというもの。それで抗しきれなかったことを、その裁判官は苦悩していた。

 そうした告白と、裁判に提出された証拠の検証などにより、とんでもない冤罪だということになり、長い間に渡って騒ぎになっていた。

 そしてずっと後になってから、遂に裁判所も証拠の捏造を認めて有罪判決を取り消したという次第だった。


 これを受けて、警察は袴田氏を訪ねて謝罪した。

 間違いを認めない最たる警察としては異例だが、証拠の捏造が裁判でも認められての結果であることを重んじたのだろう。

 また、国からは過去最大に多額の倍賞金が袴田氏に支払われた。しかし、いくら倍賞金をもらっても、寿命が残り少なくなっている袴田氏は、普通の生活でお金を使うというのはもう無理である。まったく虚しいというべきだ。せいぜい、生きているうちに公的に名誉回復されたことが救いである。

 ところが、この名誉を検察は否定したのだ。


 では検察がそう言う根拠は何か。

 それらしい根拠は無い。ただ単に、検察に間違いはなく常に正しいという思い込みと思い上がりで言い放ったのだ。日本の検察は、そんな体質である。

 かつて大学の法学部で履修した教授は元検察官だったが、彼は授業のたびに「検察は常に正しい」「検察に間違いは一切ない」「検察官は神様である」「検察官に罰してもらうのは神の愛を受けることである」などと嘯いていた。ここでも前に取り上げている。


 だいたい、法学部の教壇に立つ元検察官は、こんな調子である。

 このような狂信者になってしまうのは、ひとえに日本の刑事訴訟法が検察を全知全能の神のように絶大な権限を与えているからだ。そこから錯覚と傲慢が産まれるのだ。法体系を全面的に改訂するべきであり、昔から言われているように検察を解体して作り直すしかない。

 
 
 

 なぜバレたのだろうか。

 この部分は報道されていないので不明だが、こんなことがあるのだから他にもあるだろう。佐賀県警は、科学捜査研究所(科捜研)に所属する年齢40代の男性の技術職員が、行ってもいないDNA鑑定を実施したように装う虚偽の報告などをしていたと、明かにした。

 この男は、2017年から7年を超える期間に630件の鑑定を担当したが、そのうち130件の不正が確認され、鑑定してもいないのに実施したと偽った報告が9件あった。


 同県警はその職員を懲戒免職処分とした。

 また不正の中で13件に関し、虚偽有印公文書作成と行使などで書類送検したとのこと。県警は再鑑定をしたと言い、検察は不正の報告で裁判で採用されたものは無かったと言う。ほんとうかと疑問を持ってしまうが、このようなことがあれば他にも不正があって、その中には裁判で採用されたものもあった可能性がある。

 先日も証拠の捏造が冤罪事件を発生させている実態が騒ぎになっている。そういうことと合わせて考えれば、やはり刑事裁判は恐ろしい不正を権力の側がやっているのだと深刻に考えないといけない。テレビドラマと現実は違う。



 先日の傍聴記でも述べている。

 刑事裁判で、物的証拠の鑑定について技術職員が証人として出廷すると、検察官は最初に「鑑定の仕事をしてどのくらいの期間か」と質問する。これに対して証人の技術職員は「5年以上」などと答える。 

 これは、それ相当に経験があるから間違いないという趣旨のやり取りである。ところが7年もイカサマをやっていた人が科捜研にいたということである。

 これは故意であるから、怠けたとかいうことだけではなく人を陥れようとしてやることもあるわけだ。そこで検察官もグルであれば不正がまかり通ってしまう。


 そういうことが裁判で問われない。

 あくまで法廷で問われるのは、警察に間違いがあるかということだけで、不正をやっていないかは問われない。不正は一切の追及がされない。そして間違いがないという前提で訴訟は進行する。

 これこそ真昼の暗黒であり、とても恐ろしいことである。

 
 
 
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