元裁判官の瀬木比呂志さんと岡口基一さんのマスコミ批判
- 井上靜

- 9月18日
- 読了時間: 3分
更新日:9月19日
元裁判官の瀬木比呂志さんと岡口基一さんが、それぞれ著書で述べていた。
司法記者が司法に無知なので、裁判の判決文を読んでも意味が解らず、それで裁判所から「判決要旨」をもらって記事を書いているのが現状である。
こんなふうに教えてもらってばかりいるから、報道が司法に対しての監査とはならない。司法記者なら法的な勉強をして理解力を付ければいいはずだが、それを楽をするため新聞社と裁判所が癒着する。
これでは司法に何か問題があっても批判できるわけない。

前に立川の裁判所で裁判官から言われたことがある。
これは自分が提起した民事訴訟でのこと。敗訴した相手方がblogで愚痴っていたさい、その判決への批判が無茶苦茶な内容だったから、この裁判を傍聴に来た第三者がコメント欄に、あんたの判決批判は間違いだぞと指摘する投稿をしていた。そういうことがあった。
これを後に別件のさい裁判所で言った。関連があることだったからだ。すると裁判官に言われたのだ。当時者とはいえ素人だから間違いがあっても当たり前なくらいだよ、と。
新聞記事でも、判決の報道で無知に基づく間違いを書いていることがある。
その女性の裁判官は言っていた。判例時報でさえ読んで首を傾げることがあるくらいだから、素人の記者が書いている記事なんか毎度のように無茶苦茶なものだ。
そう言われても仕方ない現状だけれど、それで新聞社として強い司法記者を養成したり、司法記者が強くなろうと鍛えたり、ということはない。楽をしたがっているだけでなく、新聞社が役所と癒着して、そこからはみ出したりする者は排除するという、よくある図式が出来ているのだろう。
そうなると報道が裁判所から操作されることになる。
これに異を唱えると、ほんらいは監査する立場である報道が、裁判所の側に立って異を唱える市民を迫害することになる。
ここで、一般市民の多くが、お役所のしていることは正しいという思い込みに基いて、間違っている報道を鵜呑みにしてしまう。これを上記の元裁判官たちが指摘していた。そして、一般市民もお役所は正しいという思い込みを棄てることが大事であると指摘していた。
あと、判例時報でも専門家が首を傾げることがあるという点だが、前に新米のしょうもない某弁護士が、まさに若気の至りで、判例時報に解説を書いたと自慢していたので、こいつでも書けるのだから、これじゃ裁判官から首を傾げることがあると言われて当然のことだと納得したことがある。
みんな「権威ある」ものは疑いましょう。こんなに御粗末なのだから。



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