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​炬火 Die Fackel 

 生活のアドバイザーと名乗る人がいる。

 生活習慣とかライフスタイルとかいうことで持論を説き、blogが人気で出した著書も売れているという女性である。その著書を読むと、実際に役立つことがある。

 そのなかでも「やる工夫より、やらない工夫」というモットーに感心させられる。一生懸命にやるには、どうすればいいか、ではなく、そんなことを最初からしなくてよいようにするには、どうすればいいか、が大事であるというわけだ。

 

 例えば、常に部屋を綺麗にする方法。

 掃除のやり方を工夫するより先ず、本当に必要でない物を買って散財のうえ部屋に置いて掃除がしにくい、というありがちなことに気を付けるべき、ということ。

 



 スペースキーで見た目を整える不効率も同じだ。

 文書や図表を作るさい、上手に早く出来るようにするには、映画『シャイン』みたいにピアノで『熊蜂の飛行』を弾くよう猛スピードでキーを叩くより前に、叩くキーを減らすことである。

 それに、スペースキーを沢山叩いてレイアウトしても、それでは何か少し削除や付け加えをしただけで配列がずれてしまい、その修正はまた一苦労である。

 だから、レイアウトのために必要な操作を知り、適切に使用することだ。

 

 ウエッブサイトはなおさらである。

 この件で、無知を曝け出した弁護士と、その逃げ方について、次回の話題とする。

 

 

 

 
 
 

更新日:2024年2月14日

 裏金は自民党だけでないというのが前回の話題だった。

 検察も裏金づくりの内部告発があって、内部告発者が弾圧されている。警官も自衛隊も、みんなある。組織が秘密主義であるほど酷いのはむしろ当然である。


 かつて『交番のウラは闇』という告発本がベストセラーだった。

 これは兵庫県警の内部告発だった。やはり組織の上層部がピンハネしているという実態を、東灘警察署に勤務していた元警官が生々しく語っていた。あの当時、出版社に警察から嫌がらせがあった。出版社は東京にある。もう昔のことだが、ちょうど若い頃に読んだ世代で今は警部補くらいの警官なら憶えている。


 この出版社から本を出している。(ホームページ参照)

 ということで、その本で告発された、その東灘警察署の警官たちが、凄い執念で兵庫県から東京まで来ると、ガサ入れと称して自宅に押し掛けて暴力をふるったのだ。二年前のことだ。

 令状など見せない。あるわけがない。後で問題になったら、提示したと言った。だが、実際には提示せよとの求めに対し、そうしたら鈴木邦男と同じ目に遭わせてやるぞと嗤ったのだった。今は亡き鈴木邦男氏は政治活動への弾圧に対し、捜索令状の提示を求めたことで公務執行妨害を口実に逮捕されたのだ。


 裁判で追及したら握り潰された。

 そのため法廷に傍聴人が入れないようにした。鈴木秀夫という裁判官が、警察の側に、記者や議員が法廷に入らないようにするから「どうぞ、ご安心ください」と言った。これについて知り合いの弁護士が、鈴木秀夫を修習の時から知っているので、いかにも彼らしいと言っていた。一年前のことだ。

 これを別に裁判で追及したら、三角比呂というヒラメ判事として名高い裁判官が「それでも猫の子一匹入れない状態だった証明はない」「市民が憲法に則って公正な訴訟を妨げられたなどと裁判官を訴えるなど言語道断」という判決を、まったく審理をせずに言い渡した。 

 そのとき三角比呂はヘラヘラと笑っていた。


 かつて辻元清美議員が秘書給与を事務経費に使って問題になったことがある。

 これは不適切だったからと返還するため、出版社を経営する知人から借金したと言っていたけれど、それが上記の出版社である。この時も、不正とはいえ辻元議員が逮捕までされたのは野党議員だったからだと言われたものだった。同じころ、やはり自民党では桁違いの不正があったのに咎めなしだったから。



 そして、他に何らかの事情があって、同出版社から著書を出しているが昔からの付き合いも無ければ本一冊の出版以外には全く付き合いが無いという筆者に迫害を加えることで圧力になると考えたらしい。ただし、そんなこと最初は言って無かったのだ。

 ところが、議員か議員の取り巻きが来て話を聞かれては不味いとか、もしも議員当人が来るとマスコミも来るかもしれないとか、そんなことを後から言い出し、それを受けて、そうならないようにすると裁判官が警察の側に言ったのだった。

 どう考えても裁判官の誇大妄想であり、そもそも警察としては警官の個人的な思い込みによる非常識でしかなく、まさか追及されるとは思ってなかったのだろう。


 「裁判所の裏も闇だった」

 辻元清美議員が議員になる前のことだ。例の警察の盗聴事件で、裁判所が屁理屈をこねて警察をかばったことについて言った。「交番のウラは闇だと本を読んで知っていたが、裁判所のウラも闇だった」と。

 しかし、無関係の者と政治家をコジツケるなんて無茶苦茶を警察と裁判所がやらかしているのだから、実に低水準な日本の司法である。

 
 
 

 死んだ赤ん坊を抱いた女性が警察に来た。

 その女性は、独りで産んだが、どう世話してよいか解らなかった。そして子供への対応が適切でなく死なせた。だから自分の責任であると思い、警察に行ったということだった。

 それなら誰か相談する相手はいなかったのだろうか。

 そういう残念な話であった。


 この事件は実名報道された。

 そんな気の毒な女性を曝し者にするなんて、いくら責任があるとしても可哀想だ。発表した警察からして何を考えているのか不可解だが、報道する各社も。実名報道するなら、もっと酷い事件があるのに。マスコミは判断の基準が間違っている。

 そう批判していた女性の弁護士がいた。


 マスコミの判断基準は訴訟リスクである。

 もしも実名報道した場合、対象が名誉毀損やプライバシー侵害で訴えてくることがある。その心配が小さいほど実名報道しやすい。それで弱い者いじめのようになる。

 しかも、社会的な地位が高い人ほど賠償金は高額になる。責任ある立場だから批判も甘受しなければならないという常識は、日本の司法では通用しない。社会的地位が高い人ほど、恥をかかされた損害は大きいから高額な賠償金は当たり前で、自分の失敗が原因だから自分の責任じゃないかと普通は思うが、司法では違う。エライ人がドジを踏んでもメンツを潰されてはならないという発想である。

 ここには、裁判官も検察官も自分がエライ官僚だから、という意識が働いているし、弁護士の発想も同じだ。

 

 莫大な賠償命令をされたら経営に打撃である。

 そのうえ刑事にもなれば逮捕である。カビやホコリだらけの部屋に監禁し、夏は冷房なし、冬は暖房なし。密室をいいことに警官が暴力をふるう。だから生命に関わる。社会的生命だけでは済まない。

 これが実態だから、マスコミばかり責めても気の毒な部分がある。



 そこで弁護士は何をしているのか、ということ。

 問題は権力や資本の御用聞き弁護士だけでない。マスコミを批判する弁護士は、そんなに報道の責務を問題にするなら、それを果たそうとして権力に弾圧されたマスコミを擁護して闘うべきである。それこそ弁護士の責務である。

 しかし、だいたい弁護士はマスコミを批判しっ放しだ。弱者のために権力と闘うなんて苦しいことだし儲かりもしないから避ける。これは、マスコミも弁護士も全く同じ態度なのだが、弁護士は自分のことを棚に上げてマスコミを批判する。それが弁護士の実態である。


 これはSNSにも反映しているから、観察すると良く判る。

 

 
 
 
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