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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月22日
  • 読了時間: 2分

 ナワリヌイの死亡で欧米メディアはロシア当局の暗殺だと決めつけた。

 これに対して冷静な人たちは、今の段階では何も言えないはずだと指摘している。それが常識のはずだが、そうではない。マスメディアに煽られている。いともたやすく。

 これに伴う異常な騒ぎを見て怖くなったと言う人までいる。この調子では、周庭を殺して「中国政府に暗殺された」と騒ぐくらいのこと、やりかねないのではないか、と。こんなに簡単に信じる人が多ければ、やる可能性があるだろう。



 山崎雅弘、紀藤正樹、町山智浩、森達也…。

 これらは、今回のナワリヌイの死亡をロシア当局の殺人と早速に決めつけている「リベラル」な人たちである。他にも多くのリベラル派がメディアに対してリテラシーをまるで持ち合わせていない。自分がマスメディアに出たいからでもあるだろう。

 それにしても、洗脳されていると言って言い過ぎではないくらい検証能力が欠如している。これだから日本政府のウクライナ支援金の支出を批判できないのも当たり前。あの人たちは日本政府の増税と軍拡を、漠然と批判して見せているだけ。


 ここで問題なのは弁護士がいることである。

 もちろん、タレント化した弁護士もいる。しかし、普段は良識派と言われている弁護士も同じである。

 こういうことで、他の人はともかく弁護士は、事件について証拠などの検証をせず決めつけては職能と倫理の点で問題だ。そう言う人もいるが、言う通り当たり前のはずだが、実はそうではない。


 現実は弁護士の多くは職能が疑わしい。

 「マスコミが言っているから」「逮捕されたから」「起訴されたから」「有罪に決まっている」という俗人と同じ感覚の弁護士が多い。裁判官も同じだから、それと闘うのが弁護士の責務であるはず。しかし実態はまるで違う。

 あるいは「疑わしいけど世間に逆らうのは難しい」「権力に逆らうと怖い」「マスコミに合わせないと損」とか、そんな判断基準で言動している。


 そうなるのは、弁護士が不勉強だからだ。

 医師にも駄目な人はたくさんいるが、真面目な人は免許を取得してからも勉強を続けている。ところが弁護士は勉強しない。この点で弁護士は裁判官をよく批判するが、弁護士も同じである。前に実例をいくつか挙げて述べたとおり、世間一般の知識も乏しいし、専門すら司法試験どころが学部の卒論でも不可食らうようなことを言う人が珍しくないのだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月18日
  • 読了時間: 2分

 杉田水脈議員は最高裁判所に上告していた。

 TBS記者の男性から性暴力を受けたと訴えた女性の記者に対し、ツイッター(現バツ。エックスとも言う)上で「枕営業の失敗」などとする複数の匿名投稿があった。これらは明らかに、匿名で嫌らしいことを投稿する卑劣漢の行為であった。

 こうした投稿25件に「いいね」を押した杉田水脈議員は、侮辱的行為であると訴えられていた。


 一審の東京地裁判決は侮辱と断定できないとした。

 「いいね」だけでは何に対してか不明確である。侮辱と断定できないとした。それが「称賛」から「悪くない」まで幅広い感情を含み、また対象が投稿の全部か一部かも区別できない。

 この一般論により賠償責任を否定した。

 それはある。


 例えばクリミア情勢でのこと。

 政治的な共感ではあく、あの美人検事ナタリアポクロンスカヤにハートマーク押しただけの人は少なくないだろう。

 だから、差別発言に共感して「いいね」しても、杉田水脈議員にハートマーク押したのだと空々しい逃げも可能である。



 ところが杉田水脈は他でも悪意を示していた。

 これを二審判決は重視した。杉田議員が当時、その女性記者に批判的な言動を繰り返していたことなど、「いいね」が押されるまでの経緯から「侮辱する内容のツイートに好意的・肯定的な感情を示すために行われたものと優に認められる」と結論付けた。

 これに不服だった杉田水脈議員は上告していたが、裁判官全員一致の意見で、上告の理由に当らないと退けられたのだった。

 これは法的な仕組みからテクニカルに無理だったはずである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年2月17日
  • 読了時間: 2分

 国家賠償請求訴訟は民事訴訟の制度を援用している。

 あくまで援用であるから、個人と個人の金銭に関わる争い揉め事とは全く違う。私人間での財産的な争いや調整で公を煩わせるのでは、それが市民の権利であるとしても、普段から納税している他に費用を支払わされるのは仕方ないと言い得る部分がある。

 しかし国家賠償請求訴訟は先ず国が原因を作ったことであるから、民事訴訟の制度を援用しているとはいえ訴訟の費用が要るということから不道徳である。



 しかも裁判所の誤りに異議申し立てするにもいちいち費用が要る。

 それも高額である。選挙の供託金と同じで、日本では市民が権利を主張するだけで高額な費用を国に払わなければならない制度になっている。しかも公的機関が気を付けていれば最初から何も問題が無かったことを追及したり救済を求めたりすることに対してまで要る、ということであるから非常に図々しい。

 そして国など公的機関の責任を裁判所が認めることは非常に少ない。特に日本では三権分立が無いからだ。


 やはり法律の改正が必要である。

 国家賠償請求訴訟は無料に。これに伴う抗告の費用も無料に。連絡の郵券はすべて国庫負担に。希望すれば弁護人も公費で雇える。ということにしなければならない。

 こうして訴訟が増えれば、国のほうでも誤りが無いように気を付けるようになり、必然的に訴訟も減る。


 なぜ法律が変わらないのか。

 おそらく国会議員に意識が乏しいのだろう。そんなことをしても票にならないからではないかと思ったら大間違いで、いろいろと議員に質問しても、ほとんどの議員は関心がなく、基礎的な知識を持ち合わせていないから、実態を訴えられてもチンブンカンプンなのだ。

 これは昔からの、日本人の法意識の弱さ、に由来しているのだろう。

 
 
 
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