オリンピックで選手がメダルをとったら、嬉しいのは本人および支えた周囲の人たちである。
あと、その競技の種目に関心がある人なら面白いはずで、これは趣味の問題だ。それ以外の他人は無関係である。
ところが「同じ日本人として誇りに思う」と、自分は何もしてないくせして他人の努力の成果に便乗する人がいる。日本人特有の集り根性の延長線上にある。
そんな卑しい感情ではなく、本当に心から素直に、オリンピックで活躍し成果を出す選手がいることは国民として嬉しいことである。
なぜなら、スポーツできる安定した社会なのはありがたいことで、しかも国際大会で活躍する人までいるなら実に結構なことだから。戦争や貧困でスポーツどころではない国もあるのだ。そういう他所の国の人たちにも思いを馳せる必要があって、この大切な問題を忘れないなら、自分が居るのはスポーツもできる国だから良かったと思うのは当たり前である。
そういうことであるから、政治が悪くて生活苦の人たちが大勢いては、いくらメダルをとった選手がいても虚しくなるのだ。
こうなると、素直に祝えないから同調圧力による作り笑いが増えて、これをマスメディアが空虚に騒ぎ立てることになり、称賛と祝福を受ける選手も可哀想である。選手にはどうしようもないことで、責任は政府にある。
ただし、政府に責任があるだけで選手は全く関係ないのかというと、それも違うだろう。
もちろん、政府が伝染病対策をきちんとやって、安心してオリンピックを開催できるようにすればよかったが、そうではなかったのだから、そこで出場した選手たちは大勢の人命より自分の利益や名誉を優先させたことになる。
実際に、選手たちのインタビューをテレビで見ていて、自己愛ばかり強いのが感じられて不快だと言っている人たちが結構いる。マスコミが取り上げないけれどSNSでは顕名で堂々と指摘している人もいる。
これだから称賛や祝福などしたくないと言う権利はあるだろう。これは努力した人を侮辱するのとは違う。今日の生活が苦しい人や死に追いやられている人たちが大勢いるのだから、当たり前である。自分だけ勝ち組になりたいと言うのは勝手だが、そんな人は軽蔑すると言うのもまた勝手である。