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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年11月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年11月25日

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 今、プロ野球の日本シリーズが開催されている。

 ヤクルトスワローズの高津監督は、かつてシンカーを得意とするセーブの投手として活躍していた。93年の日本シリーズ最終戦では、当時圧倒的に強かった西武ライオンズ最後の打者で強打者-鈴木を空振り三振にし、これでヤクルトスワローズが日本一になったことが印象に残っている人も多いだろう。

 

 この時、西武ライオンズの森監督と、ヤクルトスワローズの野村監督は、元名捕手同士の対決らしく、監督としての采配が詰将棋の名人戦みたいで面白いと言われた。

 このあとヤクルトスワローズは、古田捕手が南海ホークス時代の野村監督のように兼任で監督をしたり、ヤクルトスワローズ初優勝当時の主力選手だった若松監督になったりで、そのあと高津監督になった。


 この高津監督は、投手の当時、テレビで視聴者を笑わせる発言をしていた。

 高津投手が言ったのは、スポーツ選手としてトレーニングで身体を造っていることについて、しっかり鍛えている自負があり、それは服を脱いで見せれば納得であるはずだ、という意味だった。


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 この当時、テレビで放送していたエステの宣伝が話題になっていた。若い女性が会社の面接で、年配の管理職っぽい女性から「あなた美人ね。顔だけで世の中を渡っていけると思っているんじゃない」と、よくある意地悪な調子で言われたから「はい、思っています」と居直ったうえで「私、脱いでも凄いんです」と言う。これを演じた女性はインタビューで、話題になったことで、よく「ほんとうに脱いでも凄いんですか」と訊かれるようになってしまったと言って笑っていた。つまり女性の身体のプロポーションのことだった。


 それを高津投手は真似て「私、脱いでも凄いんです」と言ったのだった。



 この、当時話題のCМとトレーニングをひっかけての冗談も可笑しかったが、堅物で糞真面目かと思っていた高津投手に意外とオチャメな面がある意外さが面白かったのだった。

 ということで、野球そのものとは直接の関係がない話題であった。 


 追記

 その後から、高津監督は陽気な人と知った。歌真似はもちろん、『ニュース23』に出た時など背広着て筑紫哲也の真似して「こんばんは、高津哲也です」と言って代わりにニュースを読んだり、かなり愉快なことをしていたのを記憶している。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年9月26日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年11月28日


 暴力沙汰で謹慎中の選手を移籍させた読売ジャイアンツの「中田問題」とともに、プロ野球界の体質が批判された。

 もともと日本のプロ野球では、選手に暴力をふるう監督に人気が集まり、暴力を排除する監督は不人気であったから、例えば米国から来た選手が良い成績だったのに解雇となったのは、監督が他の選手に暴力をふるうのを止めたからだった、なんてことまで起きている。

 

 そして、スポーツ界が全体的に洗練され近代化しているのに、プロ野球と大相撲は旧態依然だと問題にする人たちがいる。

 しかし、これはアダルトビデオと同じで、AV業界は女性への人権侵害とともに暴力体質も深刻だが、では健全化で安心して鑑賞できるようになればいいのか。それは違うだろう。そんなものは見なければいいだけのことだ。商業的に成立しなければ衰退していずれ無くなる。


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 それで誰も困らない。他人がしているのを見てないで自分ですればいいだけのこと。既にかなり前から米国では、そんなものばかり見ていると依存症になり性的不能を引き起こすことが指摘されている。だから無くても困らないどころか無い方が良い。

 これと同じで、大相撲とプロ野球が無くなっても、相撲そのもの野球そのものが無くなるわけではなく、好きな人は自分でやればいい。


 もともと米国では、愚民化政策として財界も後押ししてポルノ解禁した。これはすぐに飽きられたが。

 そして日本では大相撲とプロ野球こそ愚民化政策であった。この「パンとサーカス」で、あの正力松太郎が中心的役割を果たしたことは有名である。しょせんは、そんなものだった。そのうえ一向に暴力体質が改まらないのなら、こちらも無くなってしまった方が世の中の為である。

 
 
 

 警察署内に神棚が設置されていることと、それは警官を政治的に偏向させる思想教育であるから、これは警察が間違った仕事ばかりしている事実の一因であることを何度か指摘した。

 これは安全祈願などではないし、そのつもりだとしても信じるか否かは個々人で違って良いことだ。よく武道の場では神棚があるけれど、公立学校には無い。しかし武道で宗教抜きの儀礼はできる。だから実際にそうしている。

 それでも必修科目の武道それ自体を、非暴力主義を標榜する宗教の信者である生徒が拒否し、これに怒った体育教師が暴力をふるって問題になったことがある。


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 かつて通っていた大学は、私立なので柔道で神棚に宗教儀式そのものをしていた。

 だから宗教上の理由から拒否した学生がいたけれど、柔道の講師が「ぼくはキリスト教だなんて生意気なことを言うな」と言った。そのとおり。柔道から他の種目に変えてもらうべきだ。自分がそうだった。その場で喧嘩売るのではなく、後で教務課に行って宗教上の問題があるからと言った。するとアッサリ変えてくれた。

 このように、公立学校はもちろん私立大学でさえ、そういう対応なのだから、公的機関であり総ての市民の自由と権利を守るはずの警察が堂々と署内に神棚というのが、いかに異常かということだ。

 もちろん警察は、信仰とか安全祈願とかではなく市民弾圧が目的の思想教育としてやっていて、だからそれを指摘すると「反日」などとネトウヨと同じことを警官はだいたいが言う。

 これだから、各地で何かデモその他で警官の暴虐があるのだ。


 ところで、安全祈願という方便は大学の柔道講師も言っていた。

 しかし、日本では柔道による深刻な事故が頻発している。柔道が日本より盛んなフランスでも、大統領が五段のロシアでも、こんな事故が頻発ということは無くて、神棚に安全祈願などしていない。

 これは結局、指導者がいい加減で、それを誤魔化すために宗教を利用しているからだ。戦争と同じだ。軍艦の中にも神棚があって、出撃するさい手を合わせ必勝祈願するが、パールハーバーでもミッドウェーでも失敗とか惨敗とか無様であった。指揮官が無能で戦術などいい加減では、いくら神に祈願しても無駄である。

 だから警官たちも安全ではないのだが、それを誤魔化されているのだ。しかも本音は偏向した思想教育が目的である。これに気づいている警官もいることは知っている。

 
 
 
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