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  • 執筆者の写真井上靜

神棚に手を合わせても敗戦するし武道も衰退した

 警察署内に神棚が設置されていることと、それは警官を政治的に偏向させる思想教育であるから、これは警察が間違った仕事ばかりしている事実の一因であることを何度か指摘した。

 これは安全祈願などではないし、そのつもりだとしても信じるか否かは個々人で違って良いことだ。よく武道の場では神棚があるけれど、公立学校には無い。しかし武道で宗教抜きの儀礼はできる。だから実際にそうしている。

 それでも必修科目の武道それ自体を、非暴力主義を標榜する宗教の信者である生徒が拒否し、これに怒った体育教師が暴力をふるって問題になったことがある。



 かつて通っていた大学は、私立なので柔道で神棚に宗教儀式そのものをしていた。

 だから宗教上の理由から拒否した学生がいたけれど、柔道の講師が「ぼくはキリスト教だなんて生意気なことを言うな」と言った。そのとおり。柔道から他の種目に変えてもらうべきだ。自分がそうだった。その場で喧嘩売るのではなく、後で教務課に行って宗教上の問題があるからと言った。するとアッサリ変えてくれた。

 このように、公立学校はもちろん私立大学でさえ、そういう対応なのだから、公的機関であり総ての市民の自由と権利を守るはずの警察が堂々と署内に神棚というのが、いかに異常かということだ。

 もちろん警察は、信仰とか安全祈願とかではなく市民弾圧が目的の思想教育としてやっていて、だからそれを指摘すると「反日」などとネトウヨと同じことを警官はだいたいが言う。

 これだから、各地で何かデモその他で警官の暴虐があるのだ。


 ところで、安全祈願という方便は大学の柔道講師も言っていた。

 しかし、日本では柔道による深刻な事故が頻発している。柔道が日本より盛んなフランスでも、大統領が五段のロシアでも、こんな事故が頻発ということは無くて、神棚に安全祈願などしていない。

 これは結局、指導者がいい加減で、それを誤魔化すために宗教を利用しているからだ。戦争と同じだ。軍艦の中にも神棚があって、出撃するさい手を合わせ必勝祈願するが、パールハーバーでもミッドウェーでも失敗とか惨敗とか無様であった。指揮官が無能で戦術などいい加減では、いくら神に祈願しても無駄である。

 だから警官たちも安全ではないのだが、それを誤魔化されているのだ。しかも本音は偏向した思想教育が目的である。これに気づいている警官もいることは知っている。

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