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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年1月2日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年4月19日

 「急に冷たくなった人は、我慢していただけ」

 そういう指摘がある。今まで親しくしていたはずなのに、何か金銭その他で揉め事があったとか喧嘩したとかでもないのに、なぜか急に態度が冷たくなって避けられるようになってしまったから不可解だと感じるけれど、それは今まで我慢していたけれど耐えられなくなったということだ。

 

 「急に冷たくなった人は、優しい人」

 こうも同時に言われる。我慢してくれたのは優しいからで、しかし耐えられなくなったなら付き合いを止めて当然のことだが、そのさいも優しいから相手を悪く言ったりしない。黙って去る。だから、実は冷たい人こそ優しい人なのだ、というわけである。


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 こんなことが言われる訳は一つである。

 急に冷たくされたことで、自分に思いやりがないとか品がないとかが原因であるとは気が付かない人がいて、それで解らないなら仕方ないと思えばまだいいけれど、逆恨みする人がいる。だから注意する意味で言われているのだ。

 しかし、何か気付かないことで嫌われてしまったのだろうかと考えたり悩んだりし、なぜか解れば反省し、判らないなら留保しておく、という当たり前の対応を知らない人がいる。


 この解らない人には二種類ある。

 一つは自分が常に正しいと思い込んでいる人。もう一つは自分の思い通りにならないと気が済まない人。前者は頑固であるためだとかで単純だが、問題は後者で、他人に迷惑をかけても、とにかく自分の我が儘を通そうとする。それで、嫌われたのかもしれないとは考えない。なぜなら、嫌われようといまいと関係なく、自分の思い通りになって当たり前だと信じ込んでいるから、なにも考えないのだ。


 こんな人については、見分け方があるそうだ。

 だから最初から避けることが簡単にできる。その反省から、文句を言わずに黙って付き合いを断つ人がいるわけだ。

 では、簡単な見分け方とは何か。それは「自動車が好きで動物が嫌いな人」であるかどうか。なぜなら、自動車は機械なので操作したとおりになるが、動物だと忠犬でも意思がある。だからクルマが好きでペットは嫌いである人は性格が極端に我が儘なので相手にしないほうがいい、ということだ。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2022年12月25日
  • 読了時間: 2分

 スポーツ用の腕時計を年配の人が付けてよいかと疑問を持つ人がいる。

 これは、若者が付けるものではないかと考えるからだ。また、フォーマルな服装に不似合いではないかと考える人もいる。しかし、そんなこと関係ないと言う人もいて、若者でなくても、背広を着ていても、スポーツ用の腕時計が似合わないことは無いと考える。前に、どう思うかというネット上のキューアンドエーで議論になっていたが、結果は、一部で好まない人はいるけれど、一向に構わないということだった。


 ところが、スポーツ用腕時計を高校生が付けることを貶した人がいた。

 これは同じ高校だった男で、全体的に奇妙なセンスの持ち主であった。このためスポーツ用の腕時計を「玩具みたいな」「ちゃんとしたものではない」と言って、付けている人を貶した。この人は服装でもオッサン臭い(大人っぽいとかシックとかではない)のが好きだと自分で言って実践していたくらいだから、そこから変な感覚になっているのだろう。若い人がオッサン臭い服装をしてないと変な恰好だと言うくらいだから。

 仮に、安物であっても、高校生である。使えれば良い。高級腕時計を付けて通学することの方がよほど分不相応で不似合いである。金持ちばかりが通う私立校に、そんな制服を着て通学していたとしても、そうだろう。


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 つまり二重に間違っているのだが、それ以前に他人の持ち物を貶すのは非常識だ。

 それも、自分の御粗末なセンスで誤解しておいて勝手に安物だと思い込んでのことだから、実はスポーツ用の腕時計の方が防水機能その他のため、その男の付けている「ちゃんとしたもの」と彼が思い込んでいるものより、値段は高い。実に滑稽なのだ。他の同級生が指摘していたのだが、その男は趣味でスキューバダイビングをやったことがあるのに、なんで時計のことを解らないのか不可解だと言っていた。


 ただ、彼は劣等コンプレックスの塊だった。

 勉強ができず、偏差値の低い私大に入り、親がいないので働きながら夜間部で苦学している人を、その夜間部だって彼でさえも入れた私大より偏差値は高いのだが、それを「やーい、夜間。貧乏人」などと貶したりしていたのだから、すべてに渡って同じ調子ということだった。

 こんな妙ちくりんな人も世の中にはいるのである。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年12月6日
  • 読了時間: 2分

 歯の嚙み合わせを調整したことで思い出した。

 かつて顎関節症で困っていたが、複数の大学病院の口腔外科で治せなかったけれど、近所の歯科医がアッサリ治してくれた。原因と対処が、なかなか気がつかないことだけれど、気がつけば「なーんだ」という「コロンブスの卵」だった。だから大病院信仰は間違いだ。これは言われるようになって久しいことだ。


 それで深刻に悩んでいた当時、侮辱した人がいた。

 かつて顎関節症で困っていたさい、それが原因で話し方に癖があったのだが、これを同じ高校の同じ学年の男の父親が、侮辱していたのだ。

 もちろん、顎関節症で困っていることは知らないでのことだったろう。だが、それにしても、変な話し方だと思ったり、何か病気や障害があるのかと思ったり、そういう人ならいくらでもいたはずだけど、それを侮辱した人は他に居なかった。内心で何か悪く思っていた人ならいたかもしれないが、口に出して言ったのは彼の父親だけだった。


 そんな非常識な父親だから、息子も駄目な奴なんだと、よく指摘された。

 「だいたい、本当の友達なら、自分の友達を侮辱されれば怒って親に抗議するはずだ。友達でなくても、同級生に失礼なことをしないで欲しいくらいのことは、普通の常識を持つ人なら言うもの。なのに、親が悪口を言っていたことを面と向かって言い笑うのだから、その親にしてその子ありだ。病気で悩んでいたから症状にばかり気を取られていたのだろうけれど、これを機に絶交するべきだ」

 たしかに、とてもじゃないが良い友達とか本当の友達とか言える誠実さのある人ではなかった。


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 それについて、担任教師は、細かいことを言わずに仲良くしろと言った。

 しかし、学校以外で色々な人に訊くと、これは健康や身体にかかわることだから、細かいことではないと言う。また、学校内のことだから教師としては絶交しなさいとは言えないし、親が絡んでいるから事を荒立てたくないはずだ、と指摘された。

 あと、その父親には他にも常識を欠いた言動があり、例えば命にかかわる病気を冗談のネタにしたことがあった。この担任教師にしても、身体的な原因で虐めに遭っている生徒に、そんなこと気にしなければ良いと言って済ませる人だった。


 それで気が付いた。

 こういう人たちがいる環境に身を置くと、不愉快な思いをするだけでなく、本当の友達が出来なくなる。そんな環境の学校に入ってしまったら、不運にも学校で出くわしてしまっただけだと考え適当にあしらって、他で友達を作るべきだ、と。

 顎関節症の不幸中の幸いだ。

 
 
 
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