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​炬火 Die Fackel 

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2021年4月17日
  • 読了時間: 2分

 ブログのコメント欄に何を投稿するか。その内容は投稿する人の勝手だが、それでもコメント欄であるのだからコメントを書くものだ。


 ところが、「スバム」の類は論外だが、そういう悪意ではなく善意で「この話題について書いてください」とコメント欄に書く人がいる。それはコメントではなくリクエストだ。エントリーの話題についてコメントしたうえで、因みに、この話題についてどう思いますか、というように牽強付会でもいいからするものだろう。

 それが無理でリクエストだけなら、連絡先のメールアドレスに送ればいい。


 これは普通のことのはずで、どう思うか訊ねると自分もそう思うと言う人ばかりだ。

 また、ブログをやっている人に訊くと、善意だから何をどう書いても良いと勘違いしている人たちは一定いて、迷惑させられると言う。もちろん、サイトの使い方を知らない人もいるが。

 しかし、ブログのコメント欄や掲示板などの性質はそれぞれ異なるということを知らない人がいて間違うことは昔なら普通にあったけれど、そんなこと今は無いだろう。

 あと、少し趣旨から外れるが、昔どこかの掲示板で一緒だったというコメントがあったけれど、そんな掲示板は記憶が無いし、内容的に興味が無いサイトだったので、そこに投稿していないことだけは確実だった。

 それは何かの勘違いである可能性があるけれど、そことは別のサイトでは悪意による成りすましをされていて、サイトの管理人に通報して削除してもらったことがある。そのさい確認のやり取りをしたイーメールも保存している。


 つまり、善意と悪意の両方で迷惑なことをする人がいるのだ。



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  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年9月17日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日

 かつてドリフのお笑い番組では、歌手がゲスト出演して歌うと同時にコントでも共演するが、そのなかで志村けんと桜田淳子の夫婦役は定番コントであった。そこでこんなやり取りもあった。勤めから帰宅した夫が着ていた背広の上着ポケットから風俗店のマッチが出てきて、妻が怒る。

 「あなた、なに、この『お触りバー百恵』って』

  「百恵」に会場は爆笑する。桜田淳子が言うから可笑しいのだが、ここで志村けんが言い訳する。

 「付き合わされたんだ、同僚の三浦くんに」

 ここでまた笑いが起きる。この三浦くんと百恵さんの夫婦の息子たちが、今タレントとして活躍している。

 この程度のことなら、まだ冗談ですむ。もちろん、合意して一緒に行ったり付き合わされたりだったのに、逆に付き合わせたことにされたら、不愉快とか迷惑とかである。

 ところで、安倍総理の辞任は体調不良のためだと言うけれど、本当は政策の行き詰まりで逃げたのではないかと言われ、なぜなら病気にしては食欲旺盛だからだ。

 しかし、体調が良くなくても、食欲だけは旺盛な人がいるものだ。それが節制しないといけない場合でも我慢できないから、家族としては心配で困る。

 そんな人が知り合いにいて、よく配偶者に怒られていた。この人は、食べるものが質より量であるうえ、栄養の偏りがひどい。これでは病気になって当たり前である。

また、彼はよくオーディオに金をかける散財をしていたのだが、これについて「井上がオーディオ雑誌を読ませたり、オーディオフェアに連れて行ったりするから、一度冷めていた熱が再燃してしまった」と言っていた。実際は、その雑誌を読んでいて、今度のオーディオフェアについての記事があったから話しただけで、これを聞いて「行こう、行こう」と彼の方が言い出したのだった。

 このオーディオフェアのことだけなら冗談ですむが、この調子なら外食したときにも勝手に暴飲暴食しておいて「井上に付き合わされた」と言い訳するだろう。それで付き合うのをやめてしまったのだった。

 風俗やオーディオならともかく、健康に関わることで言い訳のネタにされては堪らないし、ネタを提供しては当人のためにならない。

 
 
 
  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2020年9月11日
  • 読了時間: 2分

更新日:2021年6月24日

 拙宅の近所に住む人に陰口を言われていたことを知ったのだが、この人はかなり高齢の男性で、娘と二人暮らし。この娘も結構な年配で、精神障害者だ。身を寄せあって、それなりに楽しそうな暮らしぶりだが、父親が亡くなったらどうするのか。

 そんな感じだったけれど、悪口には呆れた。


 ところで、この残暑の夜、窓も玄関も開けた状態で、その父親が娘に怒鳴っていた。はっきり外にも聞こえた。「親に向かって何だ」と言いながら殴っている音もした。たまにある家庭内暴力だけど、娘の正常でない話し方は元々だが、父親も正常でなかった。いつもと違って、ただ感情的になっているのとは違い、認知症の症状だった。

 これなら陰口を言われても信じる者はいないからと安堵したけれど、あの親子どうなってしまうのかと少し気になる。

 また、もっと離れた所に住んでいる知的障害者が、いつもコンビニ店で買い物するため近くを歩いて通るのだが、独り言が激しいので皆が「また来た」と言う。それだけで、問題はない。

 同じようにしている人が最近は増えて、それは急速に普及しているコードレスホンを使用し会話しているからだ。このため独り言の人が目立たなくなった。


 このことで思い出すのが、かつてオーディオ機器の会社に勤めていた当時のこと。

 扱っている商品に、オーディオ用のアクセサリーでイヤホンとヘットフォンがあったのだが、次はどんなのを売ればいいかという話になり、それで高校の同級生だったオーディオ好きの男に言ったところ、しばらく後になってからグッドアイデアだとして「全くノイズが無いコードレスのヘットフォン」と言う。「絶対に売れるよ」と。当時の技術では不可能である。

 それで、どうやったら、その技術は実現するのかと訊いたが、それは考えてない。ただ、あったらいいなというだけのこと。まだ無かったBluetoothのような技術の理論を提唱したり、すでにある技術を挙げたうえで応用すればできるという具体的な指摘をしたり、ならば意味があるけれど、ただあったらいいなでは『ドラえもん』の主題歌だ。そりゃ、作れば絶対売れる。

 これは、他人の仕事だからふざけているのではなく、いいかげんなことを真面目に言っているのだ。なんで、こんな発想が出るのか、まったく謎である。

 
 
 
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