選択制夫婦別姓の実現は困難
- 井上靜

- 2024年12月30日
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選択制夫婦別姓に首相は反対ではないらしい。
しかし自民党内で猛反対があるから積極的になれないということだろう。かなり昔、テレビで野田聖子議員が夫婦別姓に皆が賛成のはずだと言ったところ、同じく自民党の男性議員から、田舎は違うと否定されていた。
たしかに田舎の人は、夫婦別姓なんて、とんでもないと言う。

それにしても、選択制なのに猛反対するのはなぜか。
同姓が良いと考える人は、そうすればいいだけのこと。なのに、不便で困るなどのことから別姓を希望している人の妨害をすることないじゃないかと思って当然だろう。
ところが違うのだ。田舎の人は、どうしても強制したいのだ。
これ以外のことでも同じことである。
もともと田舎の人は、自分のしていることが正当であるかは、皆が同じであるか、なのだ。良いことであるか、正しいことであるか、判断などしていない。
だから、今まで夫婦は同じ姓になるものだったから、それが当たり前であり、人によって考えが異なり、それぞれが判断するとなると、たいへん不安なのだ。
知人で、山奥の田舎で生まれ育った人が、そうだった。
例えばサンドイッチを注文して、お好みで何を挟むかと訊かれるのが非常に苦痛なのだ。自分で選ぶのでは美味しいか解らない。みんなお仕着せで同じ内容であるなら、おそらく美味しいのだろうと思う。自分の舌と脳の感覚で美味しさを判断することはできない。これでいいのか不安になってしまう。
また、忘年会でも合コンでも、みんな楽しくワイワイやっいるところで、NHKの定時のニュースが始まるからと勝手にテレビをつけて、居合わせた全員に見るように強制し、そんなことで盛り上がっているのを邪魔するな、自分だけで見ていろと言われると、みんな一緒に見て頭の中を同じにしないといけないと大真面目に言う。そうでないと不安になるのだ。
この人のように露骨ではなくても、田舎の人の発想と言動は、だいたい同じである。
これだから、田舎の人は選択制夫婦別姓に反対する。選択制だから人それぞれなのに何が駄目なのかと不可解がられるけれど、その人それぞれが許せないのだ。ファッショではなく、自分のしていることがこれで良いかは、皆が同じであるということによってのみ安心できるのだ。
だから、かたくなに反対する人たちを賛成させるには、むしろ夫婦別姓を全員に強制するほうが良いのだ。



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