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辻元清美が高市早苗を祝福したのは変節したから

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 10月6日
  • 読了時間: 3分

更新日:10月8日

 辻元清美の「祝意」が批判されている。

 高市早苗自民党総裁の誕生にさいして、あの人とは年齢二十代のころからの知り合いだと言って、それが初の女性総理大臣になる予定だから、ということだ。

 かつてテレビで一緒に出て、そのさい高市早苗は論敵であったと辻元清美は言っていた。それが変わったということなのか。また、他の人のことでも辻元清美は知り合いであると言っていて、ただそれだけなのに政治姿勢と関係なく称えたから批判を受けたことがあった。知り合いだなんて、そんなことは関係ないのに。


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 大人の対応をして見せたのだと言う人がいた。

 それを意識してやったのだろう、と。だとしたらとんでもない勘違いである。選挙で対抗候補者だったなら、自分が落選しても当選した人に祝意を表明するものである。それは、自分もそれなりの得票があった場合である。そして、当選おめでとうと言ったうえで、ただし自分にもそれなりの得票があったのだから、自分の政策を支持した有権者のことも考えて職務に当たるよう頼むのだ。だからこれは首長のことで、議員ではやらない。

 この点で、辻元清美が自民党員で総裁選挙に立候補していたのなら、当選した高市早苗に祝意を言う意味があるけれど、そうではないのだから言う意味がない。


 また、生まれたのとは違う。

 かつて共産党の不破議長が、皇族で赤ん坊が産まれたことに祝意を述べたが、これは生命の誕生だから何処の誰でも喜ばしいことに変わりはなく、地位に就いたのとは違うからおめでとうございますと言ったのだと説明していた。

 逆に死んだ場合の弔意についても同じことが言える。皇族でも、安倍晋三もと首相が死んだことでも、これは人としてのことだから、政治的に相容れなくても弔意は普通のことである。それを国葬など政治的に利用するから、そこは批判する。


 けれど高市早苗が自民党総裁に当選したのは政治的地位を得たことである。

 それに対して政治的に相容れない者が祝意は不適切である。ヒットラーだって死んだら弔意くらいはあるけれど、ナチス党の総統に就任したのでお祝いを言うだろうか。しかもユダヤ人など敵対的な立場の者が。

 だから、大人としての礼儀などは全然、関係が無い。いったい立憲党の辻元清美は何を考えているのか。昔からの知り合いが出世したことを祝すというのは、自分も同類と思っているからだろう。意見は違っても、一緒にテレビに出ていたのが揃って永田町センセイになった、エラクなった、という想いを共有しているという心情の告白である。なんて小せえ心情だろうか。


 立憲党の野田代表も同様に祝意だった。

 そもそも自民党総裁さらに総理大臣というのは祝意の対象ではない。就任してから大変な仕事があるのだから。それを出世と思っているから祝意という発想になる。そして、そんな総理大臣に対して野党として対決することがたくさんあることを忘れているのでなければ、祝意なんてあり得ない。

 つまり立憲党は自民党と対決する意思が無いのだ。出世したからお祝いというのは、馴合ってないと出来ないことだ。もちろん野田は自民党と相容れないことはなく、ほとんど自民党の亜流である。そんな人ばかり代表者にするから立憲党は支持者が減っている。

 そして辻元清美も変節したのだろう。政治家になったのは信念からのはずだったが、そうではなく出世のための手段だった。いつからのことだろうか。政界入りを誘った土井たか子に代わった福島瑞穂とうまくいかず社民党に後ろ足で砂かけるように出てからのように見える。

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