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辺野古の「裁判」政治そのもの

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2023年9月15日
  • 読了時間: 2分

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡る訴訟は最高裁で県敗訴が確定した。

 このことを受けて、前明石市長で弁護士の泉房穂氏は、自身のバツ(旧ツイッター)に投稿し、「“裁判”といっても、これは“政治”そのもの。最高裁の裁判官を決めるのは、ときの政権」と指摘した。



 その通りであるが、実態はもっと露骨である。


 よく法廷で堂々と「政治的配慮をヨロシク」とか「この御礼は後でまた」とか言ってる。

 こんなのが、日本の裁判なのだ。そこまで酷いなんて信じられない人もいるだろうが、そうでなければ、あんな訴訟の経緯と判決なんてあり得ない。また、そんなことをしても問題にできない。マスコミも報道できない。したら経営に大打撃となる酷い目に遭わせることが司法の権力にとっては簡単だからだ。


 実際に裁判所では、政権に媚びる裁判官の暴虐で騒ぎになることが時々ある。

 だが、裁判所の職員と雇われた警備員たちに暴力をふるわれ、これを見ている報道関係者は何もできず、多くの場合は慣れっこになっていて、諦観というより麻痺というべき様子である。

 これにより多大な得をしている人たちがいて、この不正を追及することが不可能であるのだから、やって当たり前であり、やらないのではむしろ不可解というものだ。


 だから裁判の傍聴をして、多くの市民が現実を知ることだ。

 それが困るから、悪徳裁判官たちは傍聴の妨害をする。裁判の公開は憲法に謳われていて、日本では特に裁判の公開性は重要とされている。ということは密かに不正を働く裁判官が日本は世界的にみても多い現実があるから、対策として厳重に定められているのだ。

 これを知っている市民は、裁判所が法廷に傍聴人が入るのを妨害するが、無視して入る人がいることは、先日の訴訟のさい実際にあった。前に報告した通りである。

 こうした行動こそが何にも増して重要である。

 



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