言動と人相が変わった鈴木宗男議員
- 井上靜

- 2月14日
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三浦和義氏の葬式に鈴木宗男議員から花輪が届けられていた。
三浦氏が製作した映画に鈴木議員もカメオ出演していたり、親交があったからだ。この当時、三浦氏に訊いたことがある。鈴木宗男という人は、国会で野卑た顔して嫌らしい野次を、質問している野党議員に浴びせるなど良い印象がないのだが、何か長所はあるのか。三浦氏は、男とはこうあるべきだと思わせることが鈴木議員にはあると言う。
もちろん、外交族議員として横柄な態度が問題になったさい、これがテレビで取り上げられたり、同じ自民党の議員からも叩かれたりしていたから、その悪印象がまずあって、他に長所もあると考えられはする。

しかし鈴木議員は、いかにも田舎から出てきた成り上がり者だ。
貧農の出身で、かなり無理して東京にある私立大学に行き、同郷の中川一郎議員の秘書になり、その急死で自分が後を継ぐと言い出して選挙に立候補すると、反発した周囲の人たちが対抗して亡き中川議員の息子を担ぎだし「骨肉の争い」と言われた。
このように、貧しい出自の人が出世するためなりふり構わずの強引さであったから、そのあとはひたすら権勢に媚びて嫌らしい態度であったのも自然のなりゆきだ。
ところが、自民党を追われて維新に入るがこれも追われた。
そうしたら、今までと打って変わって信念を貫くようになった。もともと道東の出身だから領土問題でロシアと交流があり、そこから現在のウクライナ情勢の問題でも積極的な外交と発言をしている。それで叩かれても、かつてのように悪口を言われたさいの変な気にし方は見せなくなった。今でも色々と言われて内心では怒っているはずだが。しかも昔とは人相まで違っている。
これは出世亡者の道から離れたからだとしか思えない。そこから一般的にも見せるようになった態度を、前から一部の人たちには見せていたのかもしれない。その一部の人たちの一人に三浦和義氏がいたということだろうか。



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