見え透いた「反ワクチン」批判
- 井上靜

- 2021年8月29日
- 読了時間: 2分
最近になってSNSその他でよく見かけるが、コロナウイルスのワクチンに対して不信感を持つのは宗教と同じだとか、副反応は狂言または気のせいとか、そういう戯言だ。
そもそも、どんな薬品にだって不信感は在って当たり前のこと。
それが新しい薬なら尚更のことである。そして問題は、個別の薬品と使用する条件による。どんぶり勘定みたいに杜撰な発想で、科学技術は妄信するべきで、そうでなければ非科学的というのは、それこそ非科学的の最たるものだ。
だいたい、そんなこと今は語る意味がない。
なぜなら、コロナウイルスに対して予防接種したくてもできないとか、コロナウイルスに感染したうえ発病までしたのに病院で診察を受けられず入院できないとか、そうした、薬が有効ならぜひ使用したいけれど困難であること、それこそ今の問題であるからだ。
では、なんで無意味な話題をして見せるのか。
そんなことを語っている人たちを観察すると、他のことでは常に権勢に媚び、弱者を見下し、市民として啓発された言動を否定しようと躍起になっている。
ということは、予防接種や入院ができないのは政府の失策または無策が原因であること明らかなので、そこから話題を逸らそうとする意図があるのだろう。

これに引っかかる人がいる。
そんな人は、政府は対策をしっかりしろと批判したいものだから、その対策で使用する医薬品に対する不信感を語るなと言い出す。こうして、話題が問題の本質から逸脱していく。



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