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袴田事件で死刑に拘る検察はメンツの問題ではない

  • 執筆者の写真: 井上靜
    井上靜
  • 2024年5月25日
  • 読了時間: 3分

 袴田事件の再審で明白な反証が出て確実なのに検察は死刑を求めた。

 あまりに異常な検察の対応に、怒りや嘆きの声が上がっている。こんな情けない国なのかということだ。そして検察はメンツにこだわっていると言う人もいる。

 それは違うと明確に言える。この異常さでは逆にメンツが潰れるほどだ。



 かつて法学部で刑法や犯罪学を履修した教授は元検察官の弁護士だった。

 この人は日本に冤罪は無いという立場で、無罪判決は常に不当判決だと言っていた。日本の刑事裁判で有罪率が異常に高いので不公正だとか陪審員制度を復活させるべきだかと言うのはとんでもないことで、絶対に反対だと言う。

 まず有罪率の極端な高さは検察が有罪に出来そうでなければ不起訴にするからだと言うが、それは外国の刑事裁判でもやっているし、アメリカなど本裁判に持ち込めるほど証拠があるかの予備審問を公開の法廷で行っている。慎重さ公正さで日本など論外だ。元検察官の話は間違いというよりあからさまな嘘である。昔から指摘されてきたとおり日本の刑事裁判は杜撰で、馴れ合いや上司の裁判官の横やりによって裁判の独立が侵害されることが横行している。大学の講義で教授が嘘を言うのは普通にある問題だが、こんな程度の低い話は珍しい。

 そして、そんな低水準の嘘を言いながら、この教授は自分もいたくらいだから検察官とはいかに優秀であるかを説き、その根拠とは司法試験に受かったことだけ。そして陪審員が駄目で当然なのは自分と違って頭が悪いからだと選民思想を剥き出しにしていた。


 こうした検察の選民思想が、残虐な冤罪の素である。

 だからメンツなんかではない。罪のない人を権力によって殺害したり牢獄に閉じ込めて一生を台無しにさせたり、それによって家族を苦しませたり悲しませたりすることに悦楽を感じているのだ。生殺与奪を握っているのだと。真犯人を死刑にしたところで権力を持つ者にはちっとも楽しくない。無実の人を理不尽に殺すことを合法的にできることにこそ優越感と快感を覚える。

 また被疑者の女性に性的暴行をしても検察官だから罪に問われないことは昔から告発があるけれど、これはちょうど戦争で兵士がどさくさ紛れに婦女暴行するのと同じ感覚である。その癖が戦後も抜けずに帰国してからも婦女暴行殺害を繰り返して死刑になった小平義男という男がいたけれど、これと同じ感覚で元検察官は、大学で学生に自分の歪んだエリート意識を開陳させていたのである。


 これも日本の刑事訴訟法が検察の権限を大きく規定しているためだ。

 だから、それでもまだ足りないと検察は言い続けている。証拠の捏造を検察官がしでかした事件でも、悪いのは検察官ではなく法律であると検察は言った。ただでさえ「検察ファッショ」と言われているのに、それ以上に強権を持たせろ、でないとまた捏造するぞと脅したことは有名である。


 つまり公正で冤罪の無い司法のため必要なのは、検察の権限を大幅に制限する刑事訴訟法の全面改訂と陪審員制度の復活である。

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