神仏の実在は自分で勝手に決められる
- 井上靜

- 2022年8月7日
- 読了時間: 2分
なにより、神風が吹かなくて日本は戦争に負けた。
神はいる。
だから日本は戦争で負けた。
つまり、軍国主義の日本をどう評価するかである。価値観の違いで其々が解釈をするのだ。
神はどこにも見当たらないが、存在しない証明もない。
そう言う人もいて、まるで小泉首相の居直りである。米国による侵略と虐殺の戦争を支持したけれど、口実の大量破壊兵器は結局出てこなかったことに「無かった証拠も無い」と言った。それで劣化ウラン弾の被害は無視。通産省の官僚に騙されて原発推進してしまったと怒っているけれど、ブッシュ大統領には騙されたと言いたくないのだ。
これと同じで、神は存在しないと解ったが、宗教家に騙されたとか被害の実態とかは見て見ぬふりである。
前に、平和運動の集会で勝手に発言した人を見た。
この人は「キリスト者」と称し大きな十字架を持って掲げていた。小渕首相に平和の問題で陳情したけれど、話を聴いてもらえなかったそうだ。それを言いたくて勝手に台の上に上がり発言したのだ。このさい大真面目に言った。
「キリスト者の平和への願いと真摯な訴えを無視し、このため小渕さんは神の思召しで天に召されました」
同じころ、田中真紀子議員が演説中こう言った。
「小渕さんは、頭の中がブチッと切れて御陀仏さんになった。自業自得」
父田中角栄元首相が病気で倒れた間隙に裏切って派閥を乗っ取った仲間に入っていた小渕首相に怒っていたところ、同じ病気で死亡したということだ。
キリスト教徒は天罰と解釈したわけだが、仏教では因果応報ということになる。
安倍元首相を狙撃できたのは上手くいきすぎだと見る人もいる。
そして、これは神の御陰だと真面目に言う。神を冒涜する如何様の宗教と癒着した政治家に、その宗教の犠牲者が復讐したのは天罰ということらしい。
ということで、神仏なんて人それぞれ勝手な解釈によるものなのだ。




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