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  • 執筆者の写真井上靜

森喜朗も新聞も同類項

更新日:2021年6月24日

 女性蔑視発言で会長を辞すると表明した森氏が、同じく八十歳代と高齢なうえ女性蔑視してきた川淵氏を推挙したので問題になり、川淵氏は引き受けないと表明した。

 この川淵氏、かつて記者会見でサッカーの次の監督はオムシさんにすると、まだ発表するつもりでないのに間違えて口を滑らせたことにして「あっ、言っちゃった」と困って見せる空々しくて虚しいパフォーマンスで大いにシラケさせた人だ。


 ここは女性を登用するべきと指摘されていたのだが、森氏としては何としても同類項を後継にしたかったのだろう。そんなことしなくても、しょせん運動部体質だから、誰でも同じのはずだ。

 あの長島茂雄の「ぼくは保守派」政権交代したら「プロ野球が無くなる」というのと同じ感覚だ。

 こうした、歌手などからスポーツ選手まで含めた芸能人たちは、もともとスターと呼ばれる一方で「川原乞食」「猿回しの猿」として見下されもするから、それにより反骨精神を持つ人も稀にいるが、多くは劣等コンプレックスの塊なので権勢に媚びる。しかも今のように社会の格差が開きすぎると「負け組」になることを極度に恐れる。

 それで今、多くの歌手や俳優が、権力にすりよったり差別的だったりの発言をしている。


 もう一つ、忘れてはならないことがある。

 もしも、森喜朗発言問題が七十年代から八十年代前半のことだったら、これを報じる新聞各紙の見出しは「森さん、女性差別ヨ、夫人団体が批判」だったはず。こうして真面目な話を揶揄する。これはスポーツ新聞やタブロイド夕刊誌ではなく一般紙のことだ。専らサラリーマンのオジサンたちが読むので博打や風俗店の情報も載っている新聞ならともかく、家庭に配達される新聞が男社会のものだったのだ。

 もちろん家庭に配達される前提だから主婦向け欄も新聞にあるが、政治や経済とともに社会面も基本的に男性のものだった。そして学校の教師も「新聞を読んで社会に関心を持つようになさい」と言いながら、女の子はテレビ欄と家庭欄だけで良く、余計な事に関心を持つべきではないとされていた。


 この延長に森喜朗発言がある。新聞社に勤務していた昔の人たちは定年退職したが、スポーツ関連は現役引退している老人でも居座っていられるということだ。この違いがあるけれど、しかし男社会を支えてきたことに反省の色ナシということは同じである。

 だから日本の新聞はつまらないと言われ、読者が減る一方なのだ。



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